旧暦2013年の元旦(2月10日)は、京都駅前から史跡散歩をスタート。1月14日に建碑序幕式の行われた「平清盛終焉推定地・高倉天皇誕生地」を探しに行った。
NPO法人「京都歴史地理同考会」のブログには「京都市下京区東之町(須原通八条上がる)・JR京都駅八条口から八条通りを東へ徒歩約10分」とあったので、線路沿いに東へ。河原町通を横切ってさらに東へ進む。「須原通」は町名表示板のない(たぶん)細い通りなので、行き過ぎやすい。
集合住宅の前に立つ「崇仁の名の由来と銭座場跡」の史跡案内板が目印。

そのすぐ先の角を左(北)に曲がると目的地が見える。敷きつめた白石が、まだ初々しい。

北側を高架線が通っているので、大阪方面に向かう新幹線や奈良線の車窓から見えるかもしれない。

八条通を進んで、もし水路(高瀬川の末?)に突き当たってしまったら、行き過ぎなので戻ること。
石柱の三面には「平安京左京八条四坊十三町」「此附近 平清盛終焉推定地」「此附近 高倉天皇誕生地」とあった。説明板には「平安京における平家邸宅」の地図が掲載されていて、興味深かった。
NPO法人「京都歴史地理同考会」のブログには「京都市下京区東之町(須原通八条上がる)・JR京都駅八条口から八条通りを東へ徒歩約10分」とあったので、線路沿いに東へ。河原町通を横切ってさらに東へ進む。「須原通」は町名表示板のない(たぶん)細い通りなので、行き過ぎやすい。
集合住宅の前に立つ「崇仁の名の由来と銭座場跡」の史跡案内板が目印。

そのすぐ先の角を左(北)に曲がると目的地が見える。敷きつめた白石が、まだ初々しい。

北側を高架線が通っているので、大阪方面に向かう新幹線や奈良線の車窓から見えるかもしれない。

八条通を進んで、もし水路(高瀬川の末?)に突き当たってしまったら、行き過ぎなので戻ること。
石柱の三面には「平安京左京八条四坊十三町」「此附近 平清盛終焉推定地」「此附近 高倉天皇誕生地」とあった。説明板には「平安京における平家邸宅」の地図が掲載されていて、興味深かった。