見もの・読みもの日記

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森の中へ/飛騨の円空(東京国立博物館)

2013-02-19 23:59:33 | 行ったもの(美術館・見仏)
東京国立博物館 140周年特別展『飛騨の円空-千光寺とその周辺の足跡-』(2013年1月12日~4月7日)

 円空展に行ってきた。会場は本館大階段の奥の特別5室である。広すぎず狭すぎない広場のような空間、絶妙な暗さ、作品配置がとてもよかった。会場内を行き交う人の群れは、次の展示ケースへの視線を遮断するくらいの混み具合で、草むらを掻き分けながら、深い森の中を歩いているような感じがした。ときどき天井を見上げては、夜空の星が見えるのではないかと思った。

 会場を入ってすぐにあったのは賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)坐像。丸い頭部が立体的に彫り起こされており、円空仏としては写実的な部類だと思う。側面にまわって、あまりにも薄い体躯に驚く。その裏側に、唯一伝わる円空の肖像画(百年ほどのちの模写)が掛かっており、かなり面白い画像なのだが、視線は反対側の大きな木彫仏の列(護法神、不動明王、金剛神)に吸いつけられてしまった。

 護法神立像(二体)、金剛神立像(二体)はいずれも2メートルを超す。魚の骨のように上に向かって切り込みの入った垂直な柱の上に、不敵な笑みを浮かべた頭が乗っており、見ている間にもずんずん背が伸び上がりそうだ(山の中にはそんな妖怪がいたな)。不動明王立像は、ずんぐりした体形だが、それでも172センチある。眉間、目と鼻のまわりに深い皺が刻まれ、厳しい自然とともに生きてきた山人の表情を思わせる。こういう円空仏は好きだ。

 本展は、岐阜・千光寺所蔵の円空仏61体を中心に岐阜県高山市所在の100体(46件)を展示する。思わずほっと微笑みがこぼれるような、素朴で愛らしい仏像もあるが、厳しさ、恐ろしさ、グロテスクな奇ッ怪さを感じさせる作品もあり、(自然が本来そうであるように)両者をあわせて円空の魅力だと思っているので、「微笑み」路線に偏らない、この展覧会はとても感じがよかった。

 会場の最奥に鎮座した両面宿儺坐像(りょうめんすくなざぞう)には、魂を奪われる感じがした。髪を逆立てた丸顔が二つ。中央の大きな顔の右横に、少し小さい顔が張り付いている。よく見ると両肩の後ろに置かれた手があって、双子の片割れが、背後からひょいと顔を出しておどけているようにも見える。中央の像は膝の上に重たそうな斧を置き、腰には刀らしきものを差している。斧に添えた大きな両手が印象的だ。童子のように無心にも見え、凶暴さを秘めた邪悪な神にも見える。

 全く余談だけど、私は、両面スクナ(飛騨の国に住む怪物=仁徳紀)の登場する舞台芸術をテレビで見た記憶がある。かなり古い話。日本神話を題材にしたオペラかミュージカルだと思うのだけど、何だったんだろう…。

 両面宿儺と向かい合うように置かれた金剛力士(仁王)立像も、異様な迫力だった。地面から生えた立ち木に彫ったものを、のちに根を切断したと伝える。木の節くれだった形がそのまま残っていて、ものすごい異形。

 ほかにも、倒立した竜の頭が噛み付いたような龍頭観音立像とか、私は大きい彫像に無条件に惹かれるが、小さくて魅力的な像もたくさんある。秘仏・歓喜天立像は、象頭というより獏(バク)みたいな長い顔の二神が抱き合っているが、全くエロチックでない。夢見るような表情が幸せそうでかわいい。トグロを巻く宇賀神像や八大龍王像、逆三角形顔の迦楼羅(烏天狗)や稲荷像も面白い。写実的で、洗練された柿本人麿像も好きだ。

 会場では、井浦新さんの語る音声ガイドを使用。このひとの声は深みがあってよい。特別展ブログの記事によれば、トークイベントでは「いつか役者として、円空を演じてみたい」という発言もあったそうで(無理に言わせてないか?)楽しみである。

展覧会公式サイト

飛騨千光寺(岐阜県高山市)
井浦さん、千光寺にも行っているのか!(2012/11/10記事)
コメント
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