「源平ゆかりの地を歩く」史跡散歩を続けているうち、だんだん京都市中も迷わなくなった。龍谷ミュージアムを出たあとは、ナチュラルローソン隣りの「左女牛井之庭(さめがいのにわ)」を通り過ぎ、源頼義建立と伝える若宮八幡宮を再訪(※前回散歩の記事)。北に進み、五条通の手前が楊梅通という細い路地。義朝の愛妾、常盤御前がひそんでいた楊梅小路の名残りともいう。
五条通を渡る。いま読んでいる『双調 平家物語』では、平重盛と悪源太義平が「五条堀川」で市中戦を繰り広げることになっているが、当時の五条大路は現在の松原通なので、さらに2ブロック北上して、堀川松原あたりで往時を偲ぶ。
■五条天神
その松原通の南側にある五条天神社。桓武天皇が平安遷都に際して勧請した古社で、元来、菅原道真とは無関係。写真は西洞院通に面した鳥居。

源義経が弁慶と出会ったのは五条天神社境内とする伝承もある。よって、松原通商店街には、このフラッグ。

松原通の東の先、鴨川にかかっていたのが、かつての五条大橋で、渡れば平氏の六波羅第。
■平安宮一本御書所跡
堀川通をバスで北上し、「堀川下立売」で下車。下立売通を西に進むと、智恵光院通を渡った先に「平安宮一本御書所(いっぽんごしょどころ)」の旧跡がある。平治の乱で後白河上皇と上西門院統子さまが幽閉されたところ。大内裏の内側、陽明門と待賢門の間にある(※大内裏図)。

「いしぶみデータベース」の解説によれば、(1)世間に流布する書籍をそれぞれ「一本」(一部)ずつ書き写して保管していた、(2)「一本書」(一冊しかない稀覯本)を納めさせ保管していたという2つの説があるそうだが、現場にあった解説板は(1)の説を採っていた。へえ~一種の納本制度ではないか。平安時代には、貴族の私設文庫だけでなく、朝廷(おおやけ)にもこうした文化保護システムが整備されていたことを初めて知った。後白河院は、いわば貴重書庫に幽閉されていたわけだ。
現在は、格子戸の上に「あぶら」の文字が見えるとおり、山中油店の店舗となっている。
■平安宮内裏綾綺殿跡
さらに少し下立売通を西に行くと「カフェ&ショップ綾綺殿(りょうきでん)」の案内板が立っている。綾綺殿は、宜陽門を入った内裏の中にあり、内宴や相撲節会に用いられた建物(※内裏図)。その旧跡では、山中油店直営の町屋カフェが営業している。

さっくり揚がったエビフライとから揚げが美味。食べ応えもあり。

あまり来たことがなかったけど、この一帯が、まさに平安京の中心地だったんだな…と、はるけき往時を偲ぶ。
■おまけ:伏見稲荷大社「しるしの杉」
最後に、この日(2月9日)は旧正月前夜にして、さらに初午だったので、伏見稲荷に参詣して「しるしの杉」をいただいてきた。

一見、源平合戦とは何の関係もなさそうだが、『平治物語』によれば、熊野参詣の途中、三条殿夜討を知って京に引き返した清盛は、「先づ稲荷の社にまいり、各々杉の枝を折って、鎧の袖にさして六波羅へぞつきにける」というので、上の「平安宮一本御書所」と、ちゃんと即応しているのである。
※参考:藤の花咲く都~平安朝小事典
五条通を渡る。いま読んでいる『双調 平家物語』では、平重盛と悪源太義平が「五条堀川」で市中戦を繰り広げることになっているが、当時の五条大路は現在の松原通なので、さらに2ブロック北上して、堀川松原あたりで往時を偲ぶ。
■五条天神
その松原通の南側にある五条天神社。桓武天皇が平安遷都に際して勧請した古社で、元来、菅原道真とは無関係。写真は西洞院通に面した鳥居。

源義経が弁慶と出会ったのは五条天神社境内とする伝承もある。よって、松原通商店街には、このフラッグ。

松原通の東の先、鴨川にかかっていたのが、かつての五条大橋で、渡れば平氏の六波羅第。
■平安宮一本御書所跡
堀川通をバスで北上し、「堀川下立売」で下車。下立売通を西に進むと、智恵光院通を渡った先に「平安宮一本御書所(いっぽんごしょどころ)」の旧跡がある。平治の乱で後白河上皇と上西門院統子さまが幽閉されたところ。大内裏の内側、陽明門と待賢門の間にある(※大内裏図)。

「いしぶみデータベース」の解説によれば、(1)世間に流布する書籍をそれぞれ「一本」(一部)ずつ書き写して保管していた、(2)「一本書」(一冊しかない稀覯本)を納めさせ保管していたという2つの説があるそうだが、現場にあった解説板は(1)の説を採っていた。へえ~一種の納本制度ではないか。平安時代には、貴族の私設文庫だけでなく、朝廷(おおやけ)にもこうした文化保護システムが整備されていたことを初めて知った。後白河院は、いわば貴重書庫に幽閉されていたわけだ。
現在は、格子戸の上に「あぶら」の文字が見えるとおり、山中油店の店舗となっている。
■平安宮内裏綾綺殿跡
さらに少し下立売通を西に行くと「カフェ&ショップ綾綺殿(りょうきでん)」の案内板が立っている。綾綺殿は、宜陽門を入った内裏の中にあり、内宴や相撲節会に用いられた建物(※内裏図)。その旧跡では、山中油店直営の町屋カフェが営業している。

さっくり揚がったエビフライとから揚げが美味。食べ応えもあり。

あまり来たことがなかったけど、この一帯が、まさに平安京の中心地だったんだな…と、はるけき往時を偲ぶ。
■おまけ:伏見稲荷大社「しるしの杉」
最後に、この日(2月9日)は旧正月前夜にして、さらに初午だったので、伏見稲荷に参詣して「しるしの杉」をいただいてきた。

一見、源平合戦とは何の関係もなさそうだが、『平治物語』によれば、熊野参詣の途中、三条殿夜討を知って京に引き返した清盛は、「先づ稲荷の社にまいり、各々杉の枝を折って、鎧の袖にさして六波羅へぞつきにける」というので、上の「平安宮一本御書所」と、ちゃんと即応しているのである。
※参考:藤の花咲く都~平安朝小事典