○加藤徹『中国人の腹のうち』(廣済堂新書) 廣済堂あかつき 2011.9
近ごろ、中国及び中国人の評判が悪い。まあ根本から文化が違うので仕方ないと思うが、タイトルだけで的外れと分かるような、悪意と思い込みに満ちた中国解説本を見かけると、なんだかなあ、と首をかしげたくなる。
本書の著者は、古典作品から現代風俗にまで通じた気鋭の中国文学研究者(本書の解説)。『京劇』(中公叢書、2002)、『西太后』(中公新書、2005)、『梅蘭芳』(ビジネス社、2009)などの著書は、このブログでもたびたび取り上げてきた私の愛読書である。加藤さんの本なら、嘘はないだろうと思って読み進めた。予想どおりで、大きく裏切られたところはなかった。
いったん中国人の感覚を「是」として受け入れてみると、日本人の常識を再考する材料ともなる。たとえば「中国人はなぜルールを守らないのか」で、中国人は体面を重視する分、真実は別のところにあると思っているから、という解説がある。政府の発表する重大事件の真犯人、統計の数字、そんなものを中国人は信じていないという。逆に「日本人は、自国の政府を信用しすぎ」。国債赤字でも非正規雇用の問題でも「最終的には『お上』が何とかしてくれるのを期待している。水戸黄門の時代と変わりませんね」と言われると、そうだなあ、と思う。
「中国人はなぜ他民族に噛みつくのか」は、中国は一つでなければならない、という強固な意識があることから説明される。しばしの分裂状態は許せても、必ず一番力の強い勢力が天下を統一しようとする。だから連邦制の導入はたぶん無理。
ちなみに中国語の「皇帝」は、世界に一人しか存在してはならないもので(モンゴル人でも満州人でも構わない)、西洋の「エンペラー」とは概念が異なる。ドイツのカイゼルとロシアのツァーリが戦争(第一次世界大戦)をしたのは、利害が衝突したからであって、別に「世界に皇帝は俺一人だ」と争ったわけではない。おお、言われてみれば、そうだ。
この「誤訳」を確信犯的に行ったのは新井白石だという。白石は「ちょっと国粋主義的な面があって、中国人だけが皇帝を名乗るのはおこがましいと考えて、ヨーロッパのエンペラーをわざと皇帝と訳したんです」という。お~学者って、こういうことをするんだ! 後世に与えた影響は大きいなあ。本書は気楽な座談の雰囲気で書かれているので、詳しい傍証や出典が挙がっていないのが残念だが、いつか納得できる先行研究に出会うまで、気に留めておきたいと思う。
本書全体を通し、中国はなぜ民主化しないのか、という根本的な疑問に対して、いちばん近い民主国家である日本に魅力がないから、という答えは痛い指摘だと思った。欲望に正直な中国人は、魅力的なものは何でもパクる。新幹線をパクり、ファッションをまね、日本の土地を買いあさる。しかし、日本の選挙政治では、自分たちが選んだ政治家を国民が罵倒し、首相は威厳もカリスマ性もなく、政治は混迷し、国力は弱くなる。中国人は、そんな日本式の民主制をパクりたいとは思わない。
もちろん中国には、政治的自由の制限を不満に思う人々もいる。しかし彼らは、自由や人権を求めるなら、自分がアメリカに行ってしまえばいい、と考えるのだそうだ。中国人は国家や国籍に対する考え方が、日本人に比べてずっとドライなのである。ああ、たぶん日本人が中国人の行動を「読み間違える」根本は、ここじゃないかなあ、という気がした。
根底にあるのは、意外かもしれないが、中国人の「腰の軽さ」だそうだ。中国には「人間は動いてこそ生きる。木は動かすと死ぬ」ということわざがあるという。知らなかったので中国語サイトで調べてみた。出典は不明だが、確かに「人動活,樹動死」という言いまわしがあるらしい。中国人は、引っ越し・転職・国籍離脱もフツーのことで、何十年も同じことをやっているやつは、むしろ時流に乗れないバカだと考えるので、今も昔も「老舗」が育たないのだそうだ。
笑ってしまった。そうだな、中国=悠久の歴史は正しいけど、彼らは、日本人がイメージするほど、途切れない伝統を重んじる国民じゃないんだよな、確かに。そのときどきで売りものとなる「歴史」を復活させているだけなのだ。
※参考※
・京劇城
著者が運営する京劇情報サイト。いつもお世話になっています。
・明清楽資料庫
わりと最近、訪ねあてた。カラオケが主だが、一部、著者の美声も聞ける。
近ごろ、中国及び中国人の評判が悪い。まあ根本から文化が違うので仕方ないと思うが、タイトルだけで的外れと分かるような、悪意と思い込みに満ちた中国解説本を見かけると、なんだかなあ、と首をかしげたくなる。
本書の著者は、古典作品から現代風俗にまで通じた気鋭の中国文学研究者(本書の解説)。『京劇』(中公叢書、2002)、『西太后』(中公新書、2005)、『梅蘭芳』(ビジネス社、2009)などの著書は、このブログでもたびたび取り上げてきた私の愛読書である。加藤さんの本なら、嘘はないだろうと思って読み進めた。予想どおりで、大きく裏切られたところはなかった。
いったん中国人の感覚を「是」として受け入れてみると、日本人の常識を再考する材料ともなる。たとえば「中国人はなぜルールを守らないのか」で、中国人は体面を重視する分、真実は別のところにあると思っているから、という解説がある。政府の発表する重大事件の真犯人、統計の数字、そんなものを中国人は信じていないという。逆に「日本人は、自国の政府を信用しすぎ」。国債赤字でも非正規雇用の問題でも「最終的には『お上』が何とかしてくれるのを期待している。水戸黄門の時代と変わりませんね」と言われると、そうだなあ、と思う。
「中国人はなぜ他民族に噛みつくのか」は、中国は一つでなければならない、という強固な意識があることから説明される。しばしの分裂状態は許せても、必ず一番力の強い勢力が天下を統一しようとする。だから連邦制の導入はたぶん無理。
ちなみに中国語の「皇帝」は、世界に一人しか存在してはならないもので(モンゴル人でも満州人でも構わない)、西洋の「エンペラー」とは概念が異なる。ドイツのカイゼルとロシアのツァーリが戦争(第一次世界大戦)をしたのは、利害が衝突したからであって、別に「世界に皇帝は俺一人だ」と争ったわけではない。おお、言われてみれば、そうだ。
この「誤訳」を確信犯的に行ったのは新井白石だという。白石は「ちょっと国粋主義的な面があって、中国人だけが皇帝を名乗るのはおこがましいと考えて、ヨーロッパのエンペラーをわざと皇帝と訳したんです」という。お~学者って、こういうことをするんだ! 後世に与えた影響は大きいなあ。本書は気楽な座談の雰囲気で書かれているので、詳しい傍証や出典が挙がっていないのが残念だが、いつか納得できる先行研究に出会うまで、気に留めておきたいと思う。
本書全体を通し、中国はなぜ民主化しないのか、という根本的な疑問に対して、いちばん近い民主国家である日本に魅力がないから、という答えは痛い指摘だと思った。欲望に正直な中国人は、魅力的なものは何でもパクる。新幹線をパクり、ファッションをまね、日本の土地を買いあさる。しかし、日本の選挙政治では、自分たちが選んだ政治家を国民が罵倒し、首相は威厳もカリスマ性もなく、政治は混迷し、国力は弱くなる。中国人は、そんな日本式の民主制をパクりたいとは思わない。
もちろん中国には、政治的自由の制限を不満に思う人々もいる。しかし彼らは、自由や人権を求めるなら、自分がアメリカに行ってしまえばいい、と考えるのだそうだ。中国人は国家や国籍に対する考え方が、日本人に比べてずっとドライなのである。ああ、たぶん日本人が中国人の行動を「読み間違える」根本は、ここじゃないかなあ、という気がした。
根底にあるのは、意外かもしれないが、中国人の「腰の軽さ」だそうだ。中国には「人間は動いてこそ生きる。木は動かすと死ぬ」ということわざがあるという。知らなかったので中国語サイトで調べてみた。出典は不明だが、確かに「人動活,樹動死」という言いまわしがあるらしい。中国人は、引っ越し・転職・国籍離脱もフツーのことで、何十年も同じことをやっているやつは、むしろ時流に乗れないバカだと考えるので、今も昔も「老舗」が育たないのだそうだ。
笑ってしまった。そうだな、中国=悠久の歴史は正しいけど、彼らは、日本人がイメージするほど、途切れない伝統を重んじる国民じゃないんだよな、確かに。そのときどきで売りものとなる「歴史」を復活させているだけなのだ。
※参考※
・京劇城
著者が運営する京劇情報サイト。いつもお世話になっています。
・明清楽資料庫
わりと最近、訪ねあてた。カラオケが主だが、一部、著者の美声も聞ける。