○佐高信『電力と国家』(集英社新書) 集英社 2011.10
東日本大震災から1年経って、ようやく振っ切れたような感じで、関連書を読みあさっている。その何冊目だろうか。カバーの折り返しに「"電力の鬼"松永安左エ門」の名前を見つけて、そうそう、このひとのことが知りたかったんだ、と思い、購入した。
経済史よりも美術史に関心の深い私は、松永安左エ門(まつなが やすざえもん、1875-1971)という名前より先に、「耳庵」という号のほうを聞き覚えた。耳庵旧蔵の美術品といえば、福岡市美術館所蔵の『五彩魚藻文壺』とか、京博の『釈迦金棺出現図』とか、大井戸茶碗『銘、有楽』とか、志野筒茶碗『銘、橋姫』とか…いや、こんな話は本書には出てこない。
本書に描かれる松永は、徹底した実業人である。長崎の壱岐の生まれ。きかん気で早熟。福沢諭吉の『学問のすすめ』に感激し、慶応義塾に入る。ここにチラッと出てくる福沢先生がいい。教師に会って、深々とお辞儀をしていた松永の背中をポンポンと叩いて「うちでは教える人に逢ったくらいで、いちいちお辞儀をせんでもいいんだ」と声をかけたのが、股引に尻ッぱしょりの福沢だったという。福沢精神を体現した門人の筆頭は松永である、という著者の言葉は、本書を最後まで読むと、心から納得がいく。
さて、学校を飛び出してからは、三井呉服店の売り子、日本銀行、石炭販売と転身し、電力事業に出会う。昭和に入り、台頭する革新官僚たちの「電力国有化」論に対し、徹底抗戦するが、昭和13年、「国家総動員法」とともに「電力国家管理法」が成立し、松永は敗れる。それからは、所沢の柳瀬荘、のち小田原に隠棲して、戦中・戦後の10年間、茶道三昧の日を過ごした。そうかー耳庵旧蔵の茶道具は、この「雌伏」の日々の友だったのか…。
敗戦後、昭和23年に発足した第二次吉田内閣の下、松永は電力再編成審議会の会長に推されて就任する。時に73歳。そして、官僚、右派・左派政党、世論、GHQ、全てを敵にまわし(時には懐柔し)、現在につながる九電力体制をスタートさせる。近年、電力の「地域独占」として批難される「九電力体制」であるが、戦前戦中は国家の手にあった電力を、民間企業に取り戻す目的(それも多くの抵抗を押し切って)で成立したことは、記憶されなければならないだろう。
「福沢精神」を受け継いだ松永は、大の官僚嫌いだった。国営、国家統制は、出発時点でこそ、効率的で公平な計画が描かれる。しかし、結局は無責任のもとに腐敗し、行き詰まる。時には国家を破滅に導く。「国営の下に役人どもが電気事業をやってもうまくいくはずがないが、さらに肝心なことは、民営でなければ大きな人物が育たない」というのは、アメリカ人の友人が松永に忠告した言葉だというが、私も50年生きて、日本の社会を見てきて、そのとおりだと思う。
だが、松永が、現在の日本に掃いて捨てるほど湧いて出ている官僚嫌いと違うのは、「官」に媚びないと同時に、「民」にも「私」にも媚びなかったことだと思う。ようやく誕生した九電力体制の経営基盤を固め、日本経済の復興を果たすために、松永は電力料金の引き上げを打ち出す。当然、政府、国会、消費者、産業界から集中砲火を浴びせられるが、孤高の信念をもって、これをやりぬく。「官吏は人間のクズである」と広言した松永だが、電力再編成審議会で「多数決など存在せず」とも言い放っている。
女遊びも骨董道楽もやった松永だが、「財産は倅および遺族に一切くれてはいかぬ」と遺言し、勲章位階は無論、葬儀も墓碑も戒名も一切不要と言い残して、世を去った。著者は本書の冒頭に「国家の支配する領土や領海の外に公(おおやけ、パブリック)が存在する」と記しているが、福沢や松永は、私企業の自由なエネルギーを信じつつ、この「公」を見据えていた人たちだと思う。
松永の死後、今日に至る最終章「九電力体制、その驕りと失敗」を読むのはつらい。福島に原発を持ってきたのは、東電副社長だった木川田一隆(1899-1977)だという。木川田は、松永を支えて電力再編を成し遂げた人物で、福島県梁川町の生まれである。昭和40年代、発電用原子炉購入をめぐる政府の動きが活発化し、電力をめぐって、再び官民対立の図式が浮かび上がってきた状況で、木川田は、政府及び官僚に原子力発電のイニシャチブを渡すことを潔しとしなかったのではないか、と著者は推測する。
木川田は、原子力が「悪魔のような代物」だと認識していたからこそ、いい加減な官の手に任せず、民間企業の責任で管理していこうとしたのではないか、とも言う。しかし、結果だけ見れば、木川田の思いは後継者に伝わらず、東電は、国家との緊張関係を失うことによって、「役所以上の役所」に変質し、このたびの原発事故と引き続く迷走を生み出してしまった。松永は雲の上から、どんな思いで、この電力会社の体たらくを眺めているだろう。
迷走を抜け出す途はどこにあるのか。著者は最後に、国家対電力(会社)という対立が失われた今、希望があるとすれば、中央対地方という対立構造が見え始めていることではないか、と短く触れている。

経済史よりも美術史に関心の深い私は、松永安左エ門(まつなが やすざえもん、1875-1971)という名前より先に、「耳庵」という号のほうを聞き覚えた。耳庵旧蔵の美術品といえば、福岡市美術館所蔵の『五彩魚藻文壺』とか、京博の『釈迦金棺出現図』とか、大井戸茶碗『銘、有楽』とか、志野筒茶碗『銘、橋姫』とか…いや、こんな話は本書には出てこない。
本書に描かれる松永は、徹底した実業人である。長崎の壱岐の生まれ。きかん気で早熟。福沢諭吉の『学問のすすめ』に感激し、慶応義塾に入る。ここにチラッと出てくる福沢先生がいい。教師に会って、深々とお辞儀をしていた松永の背中をポンポンと叩いて「うちでは教える人に逢ったくらいで、いちいちお辞儀をせんでもいいんだ」と声をかけたのが、股引に尻ッぱしょりの福沢だったという。福沢精神を体現した門人の筆頭は松永である、という著者の言葉は、本書を最後まで読むと、心から納得がいく。
さて、学校を飛び出してからは、三井呉服店の売り子、日本銀行、石炭販売と転身し、電力事業に出会う。昭和に入り、台頭する革新官僚たちの「電力国有化」論に対し、徹底抗戦するが、昭和13年、「国家総動員法」とともに「電力国家管理法」が成立し、松永は敗れる。それからは、所沢の柳瀬荘、のち小田原に隠棲して、戦中・戦後の10年間、茶道三昧の日を過ごした。そうかー耳庵旧蔵の茶道具は、この「雌伏」の日々の友だったのか…。
敗戦後、昭和23年に発足した第二次吉田内閣の下、松永は電力再編成審議会の会長に推されて就任する。時に73歳。そして、官僚、右派・左派政党、世論、GHQ、全てを敵にまわし(時には懐柔し)、現在につながる九電力体制をスタートさせる。近年、電力の「地域独占」として批難される「九電力体制」であるが、戦前戦中は国家の手にあった電力を、民間企業に取り戻す目的(それも多くの抵抗を押し切って)で成立したことは、記憶されなければならないだろう。
「福沢精神」を受け継いだ松永は、大の官僚嫌いだった。国営、国家統制は、出発時点でこそ、効率的で公平な計画が描かれる。しかし、結局は無責任のもとに腐敗し、行き詰まる。時には国家を破滅に導く。「国営の下に役人どもが電気事業をやってもうまくいくはずがないが、さらに肝心なことは、民営でなければ大きな人物が育たない」というのは、アメリカ人の友人が松永に忠告した言葉だというが、私も50年生きて、日本の社会を見てきて、そのとおりだと思う。
だが、松永が、現在の日本に掃いて捨てるほど湧いて出ている官僚嫌いと違うのは、「官」に媚びないと同時に、「民」にも「私」にも媚びなかったことだと思う。ようやく誕生した九電力体制の経営基盤を固め、日本経済の復興を果たすために、松永は電力料金の引き上げを打ち出す。当然、政府、国会、消費者、産業界から集中砲火を浴びせられるが、孤高の信念をもって、これをやりぬく。「官吏は人間のクズである」と広言した松永だが、電力再編成審議会で「多数決など存在せず」とも言い放っている。
女遊びも骨董道楽もやった松永だが、「財産は倅および遺族に一切くれてはいかぬ」と遺言し、勲章位階は無論、葬儀も墓碑も戒名も一切不要と言い残して、世を去った。著者は本書の冒頭に「国家の支配する領土や領海の外に公(おおやけ、パブリック)が存在する」と記しているが、福沢や松永は、私企業の自由なエネルギーを信じつつ、この「公」を見据えていた人たちだと思う。
松永の死後、今日に至る最終章「九電力体制、その驕りと失敗」を読むのはつらい。福島に原発を持ってきたのは、東電副社長だった木川田一隆(1899-1977)だという。木川田は、松永を支えて電力再編を成し遂げた人物で、福島県梁川町の生まれである。昭和40年代、発電用原子炉購入をめぐる政府の動きが活発化し、電力をめぐって、再び官民対立の図式が浮かび上がってきた状況で、木川田は、政府及び官僚に原子力発電のイニシャチブを渡すことを潔しとしなかったのではないか、と著者は推測する。
木川田は、原子力が「悪魔のような代物」だと認識していたからこそ、いい加減な官の手に任せず、民間企業の責任で管理していこうとしたのではないか、とも言う。しかし、結果だけ見れば、木川田の思いは後継者に伝わらず、東電は、国家との緊張関係を失うことによって、「役所以上の役所」に変質し、このたびの原発事故と引き続く迷走を生み出してしまった。松永は雲の上から、どんな思いで、この電力会社の体たらくを眺めているだろう。
迷走を抜け出す途はどこにあるのか。著者は最後に、国家対電力(会社)という対立が失われた今、希望があるとすれば、中央対地方という対立構造が見え始めていることではないか、と短く触れている。