○加藤徹『梅蘭芳:世界を虜にした男』 ビジネス社 2009.3
映画『花の生涯-梅蘭芳』を見た翌日、駅ナカの小さな本屋で本書を見つけた。ド派手なピンク色の「梅蘭芳」の文字が目に入って、あっ映画のタイアップ本だな、と思った。捨て置こうと思った瞬間、小さく添えられた加藤徹さんの名前が目に入って即買いしてしまった。
本書は、京劇俳優・梅蘭芳(1894-1961)の評伝である。映画のサブテキストとしても、映画と切り離して読んでも興味深い。映画には、理論派ブレーンとして梅蘭芳を支える邱如白という男性が出てくるが、これは斉如山という実在の人物がモデルだそうだ。斉如山は、後年、台湾に渡り、共産党員となった梅蘭芳とは袂を分かつ。また、梅蘭芳と舞台対決を行う十三燕爺のモデルは「老生」の名優・譚鑫培で、映画に類する事実があったことが、梅蘭芳の自伝に記されている。逆に、これってチャン・ツイーのために創作した役?と疑っていた孟小冬(男役を演じる京劇女優で、梅蘭芳と恋に落ちる)は、全くそのままの名前で実在の人物であることが分かった。
梅蘭芳は、京劇一家の家系に生まれた。中国は、門閥主義の日本と異なり、「科挙」に合格すれば、誰でも高級官僚になることができたと思われているが、「役者は三代の子孫に至るまで科挙を受験できなかった」そうだ。これほど明示的な差別があったということは、初めて知った。子供時代の梅蘭芳は不器用で、全く将来性を感じさせなかったらしいが、テクニックに走らず、じっくりのどと体を鍛えるうち、自然と顔立ちも美しくなり、売れっ子になったという。いいな、このエピソード。中国人が好むタイプの才人だと思う。
著者は梅蘭芳の芸風を、ひとことで「おおらか」(中国語なら、大方 dafang)と表現しているが、収録された写真を見ると、とても納得できる。最晩年の写真でも、濃い舞台メイクにもかかわらず、若々しい自然体の笑顔が魅力的だ。61歳のとき「梅蘭芳の声は突如として若返り、1つ上の高いキーで歌えるようになった」というのも受け入れられる。著者の言うとおり、「児童期にたっぷり京劇の基礎訓練を受けて役者として理想的な体を作ったこと、六十代になっても毎日新しい仕事を続けたこと」があって、初めて生まれた「奇跡」なのだろうけど。
梅蘭芳の生き方を表わすキーワードは「明哲保身」である。日本人は、ついこの四字熟語を「保身」に重点を置いて読むので、自分さえよければ、という手前勝手な処世術のように誤解してしまうけれど、そうではない。他人におもねらず、恐れず、争わず、良心を守り、道理に従っていく、志の高い生き方である。そして、梅蘭芳を利用しようと近づく人々は、結局、この男の魅力の虜となってしまう。本書には、梅蘭芳と関わりを持った多くの日本人の証言が紹介されている。香港で軍の芸能班長をつとめた和久田幸助の回想を読むと、日本軍の中に梅蘭芳に敬意を抱いた人物がいたことが作り話でないと分かる。
本書には、映画では省略されてしまった戦後の梅蘭芳の活躍ぶりが詳しく描かれており、彼の人柄を表す、興味深いエピソードばかりである。ひとつだけ挙げておくと、1956年の訪日公演の終了後、帝国ホテルで盛大な宴会が開かれた。宴会が終わり、帰ってゆく客を見送っていると、突如停電になった。この時代の「緊張感」は、今のわれわれには分かりにくいが、中華民国(蒋介石政権)の工作員が、梅蘭芳を拉致することが恐れられていたという。居合わせた俳優・演出家の千田是也は、暗闇の中で「梅蘭芳のもとに駆け寄って彼をすわらせ」「身を挺してガードした」。のちに梅蘭芳は、このときの感動を「もし千田先生が中国の俳優だったら、きっと出色の趙雲を演じられるのに、という思いを禁じえなかった」と書いている。三国志の猛将・趙雲子龍に喩えられては、千田氏も微笑まれたに違いない。
もうひとつだけ。この来日公演で梅蘭芳が演じた『覇王別姫』を見て、日本人観客は泣いた。著者によれば「中国では『覇王別姫』を見て泣く観客は、めったにいない」。だから梅蘭芳は、そのことを特筆しているのだそうだ。私は、そもそもこの演目が、梅蘭芳のために創られた「古装新戯」(1922年の作)であることも、本書によって初めて知った。そう思うと、チェン・カイコーの映画『さらば、わが愛』は、『覇王別姫』の悲劇性を「発見」した日本人の感性を経由してつくられた、と言えるかも知れないなあ。
映画『花の生涯-梅蘭芳』を見た翌日、駅ナカの小さな本屋で本書を見つけた。ド派手なピンク色の「梅蘭芳」の文字が目に入って、あっ映画のタイアップ本だな、と思った。捨て置こうと思った瞬間、小さく添えられた加藤徹さんの名前が目に入って即買いしてしまった。
本書は、京劇俳優・梅蘭芳(1894-1961)の評伝である。映画のサブテキストとしても、映画と切り離して読んでも興味深い。映画には、理論派ブレーンとして梅蘭芳を支える邱如白という男性が出てくるが、これは斉如山という実在の人物がモデルだそうだ。斉如山は、後年、台湾に渡り、共産党員となった梅蘭芳とは袂を分かつ。また、梅蘭芳と舞台対決を行う十三燕爺のモデルは「老生」の名優・譚鑫培で、映画に類する事実があったことが、梅蘭芳の自伝に記されている。逆に、これってチャン・ツイーのために創作した役?と疑っていた孟小冬(男役を演じる京劇女優で、梅蘭芳と恋に落ちる)は、全くそのままの名前で実在の人物であることが分かった。
梅蘭芳は、京劇一家の家系に生まれた。中国は、門閥主義の日本と異なり、「科挙」に合格すれば、誰でも高級官僚になることができたと思われているが、「役者は三代の子孫に至るまで科挙を受験できなかった」そうだ。これほど明示的な差別があったということは、初めて知った。子供時代の梅蘭芳は不器用で、全く将来性を感じさせなかったらしいが、テクニックに走らず、じっくりのどと体を鍛えるうち、自然と顔立ちも美しくなり、売れっ子になったという。いいな、このエピソード。中国人が好むタイプの才人だと思う。
著者は梅蘭芳の芸風を、ひとことで「おおらか」(中国語なら、大方 dafang)と表現しているが、収録された写真を見ると、とても納得できる。最晩年の写真でも、濃い舞台メイクにもかかわらず、若々しい自然体の笑顔が魅力的だ。61歳のとき「梅蘭芳の声は突如として若返り、1つ上の高いキーで歌えるようになった」というのも受け入れられる。著者の言うとおり、「児童期にたっぷり京劇の基礎訓練を受けて役者として理想的な体を作ったこと、六十代になっても毎日新しい仕事を続けたこと」があって、初めて生まれた「奇跡」なのだろうけど。
梅蘭芳の生き方を表わすキーワードは「明哲保身」である。日本人は、ついこの四字熟語を「保身」に重点を置いて読むので、自分さえよければ、という手前勝手な処世術のように誤解してしまうけれど、そうではない。他人におもねらず、恐れず、争わず、良心を守り、道理に従っていく、志の高い生き方である。そして、梅蘭芳を利用しようと近づく人々は、結局、この男の魅力の虜となってしまう。本書には、梅蘭芳と関わりを持った多くの日本人の証言が紹介されている。香港で軍の芸能班長をつとめた和久田幸助の回想を読むと、日本軍の中に梅蘭芳に敬意を抱いた人物がいたことが作り話でないと分かる。
本書には、映画では省略されてしまった戦後の梅蘭芳の活躍ぶりが詳しく描かれており、彼の人柄を表す、興味深いエピソードばかりである。ひとつだけ挙げておくと、1956年の訪日公演の終了後、帝国ホテルで盛大な宴会が開かれた。宴会が終わり、帰ってゆく客を見送っていると、突如停電になった。この時代の「緊張感」は、今のわれわれには分かりにくいが、中華民国(蒋介石政権)の工作員が、梅蘭芳を拉致することが恐れられていたという。居合わせた俳優・演出家の千田是也は、暗闇の中で「梅蘭芳のもとに駆け寄って彼をすわらせ」「身を挺してガードした」。のちに梅蘭芳は、このときの感動を「もし千田先生が中国の俳優だったら、きっと出色の趙雲を演じられるのに、という思いを禁じえなかった」と書いている。三国志の猛将・趙雲子龍に喩えられては、千田氏も微笑まれたに違いない。
もうひとつだけ。この来日公演で梅蘭芳が演じた『覇王別姫』を見て、日本人観客は泣いた。著者によれば「中国では『覇王別姫』を見て泣く観客は、めったにいない」。だから梅蘭芳は、そのことを特筆しているのだそうだ。私は、そもそもこの演目が、梅蘭芳のために創られた「古装新戯」(1922年の作)であることも、本書によって初めて知った。そう思うと、チェン・カイコーの映画『さらば、わが愛』は、『覇王別姫』の悲劇性を「発見」した日本人の感性を経由してつくられた、と言えるかも知れないなあ。