見もの・読みもの日記

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理屈は分かる/ルポ賃金差別(竹信三恵子)

2012-04-24 23:52:52 | 読んだもの(書籍)
○竹信三恵子『ルポ賃金差別』(ちくま新書) 筑摩書房 2012.4

 正直、あまり共感しない本だった。それは私が差別の外側にいるせいだろう。いや、私だって、女性だし、中途採用だし、一時期は非正規雇用だったし、公務員に準ずる身分だけど、同年代の「本省採用」との差には、へえ~と驚くことがある。しかし、いちおう正規雇用のカテゴリーに安住している身では、この問題に感度が鈍いと言われても反論できない。

 まず、著者の言い分を聞こう。本書は「差別」を、「人々が他者に対してある社会的カテゴリーをあてはめることで他者の具体的生それ自体を理解する回路を遮断し、他者を忌避・排除する具体的な行為の総体」と定義する。この定義によれば、「時間要員」や「アルバイト」という社会的カテゴリーをあてはめることで、彼らの具体的な労働への理解を遮断し、「家計補助」という架空につくられた特性にもとづいて賃金の上昇を阻止する行為は「賃金差別」と呼ぶことができる。

 パート、派遣、契約などの非正規雇用、あるいは中途採用、再雇用、(女性をターゲットとした)コース別採用など、仕事は同じなのに雇われ方が変わると、「低賃金でもかまわない人たち」というレッテルが貼られ、「競争」も「成果主義」も、この「身分」を是正することはない。そして、今は身分制度によって保護されているかに見える正社員も、現状を放置すれば、会社は必ず安い非正規職員を増やし、正職員を減らしていく。結果的に、労組は弱体化し、正職員の処遇も次第に劣化し、ツケは全ての働き手に及ぶ。同一価値労働同一賃金を原則とする差別是正こそ、早急に行われなければならない。

 理屈は分かる。しかし、本書に載せられた様々なルポルタージュ(京大図書館の時間雇用の男性職員、兼松の女性社員、中国電力の男性社員、等々)を読んでも、あまり共感がわかない。社会人として二十数年、働いてくると、年功を重ねただけの正社員のオジサン(オバサンもあり)より、若くて安月給のパート職員のほうがずっと優秀で、あんたたち立場を代わってくれたら、と思う場面には何度も遭遇した。一方で、(正職員と非正規とを問わず)「私がいなければ」と吼える職員に限って、いや、要らないから、というケースも多かったように思う。なので、実際に自分が、ルポに取り上げられた人たちの同僚だったとしたら、どのくらい共感できただろうか…という点には、疑念を感じてしまう。このへんは、「他者の具体的生それ自体を理解する回路を遮断し」と言っている本書のルポ自体が、被害者<->加害者の紋切り型に終始し、対象者の「具体的生」に全く迫れていない弱さではないかと思う。

 それから、何をもって「同一価値労働」とするかも難しい問題だと思う。生産物が目に見える工場労働と違って、オフィスワークやチームワークを主とする事務労働となると。本書の終盤には「職務評価」の手法が紹介されている。これは、男性の仕事に比べて安く評価されがちな女性の仕事(ケア労働、感情労働)を正当に評価するための試みだというが、これもどうかなあ。感情労働(気配り、配慮、コミュニケーション)を仕事の評価ポイントに据えてしまうと、男女問わず、そうしたことが苦手な若者にとって、「働くこと」の壁がさらに高くなるようで、私はあまり賛成できない。さらに(将来に希望を持たせるという点で)年功賃金制度に一定の意味があることも否めないと思う。

 あと、根本的に「謎」と感じるのは、賃金差別を強いる会社を、なぜ見切らないのかということ。A社が差別的ならB社に移ることを、日本の社会に見込みがないなら、国外を目指すことを考えてもいいのに。一時期、私は本気でそう考えていた。でも、これは、かなり非日本人的な思考かもしれない。社会の公平を目指す取り組みは続けられなければならないのだろうが、私は、不公平を怒るよりも、「上有政策、下有対策」的な割り切りかたのほうが、なんとなく腑に落ちる。
コメント
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