見もの・読みもの日記

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底抜けの明るさ/『帝都復興史』を読む(松葉一清)

2012-04-22 22:05:45 | 読んだもの(書籍)
○松葉一清『「帝都復興史」を読む』(新潮選書) 新潮社 2012.2

 『帝都復興史』(正式な書名には「付:横濱復興記念史」とあり)は、1923(大正12)年9月の関東大震災発生から、復興事業の完成を祝う1930(昭和5)年3月26日の「帝都復興祭」までの軌跡をまとめた全3巻の刊行物である。1930年5-6月刊行、三千ページを超す大著。いま、WebcatあらためCiNii Booksで検索してみたら、所蔵館は29件(オックスフォード大、南京大を含む)。意外と少ない。大学図書館にはあまり寄贈されなかったのかな。

 本書は、この大著を読み込み、要点を分かりやすく紹介した労作である。『帝都復興史』の記述を、ほかの資料に当たって検証したり、補足したりすることには、あまり注意が払われていないので、注意が必要だ。しかし、そんな必要を感じさせないくらい、『帝都復興史』全3巻の世界は、豊富なネタにあふれている。

 関東大震災は、死者・行方不明者十万人超(東日本大震災の五倍)という大惨事であったにもかかわらず、大衆は、たちまち鎮魂よりも復興の希望に関心を切り替えた。本書の冒頭には、演歌師・添田啞蝉坊がつくった「コノサイソング」が掲げられている。「チンチンドンドン復興院/鐘だ太鼓だ鳴り物入りよ」という、この底抜けの明るさは何なのだろう。誰も「不謹慎だ」とか言わない。

 本書は「復興ビジョンの有無が、大衆心理に大きな影響を及ぼしているのでは」と分析するが、うーん、それだけとは思えない。誤解を恐れずにいえば、民衆の多くが貧乏で、失う家財もなく、命の値段も安く、人権意識などの知恵もなかった時代なんじゃないか、とも思う。

 はじめに「復興ビジョン」の大風呂敷をひろげたのは、帝都復興院の総裁に就任した後藤新平。これを補佐する復興院評議会、復興院参与会も足並みを揃えた。しかし、最上位の帝都復興審議会には、政財界の大物が手ぐすねをひいて待っており、四十億円とも三十五億円ともいわれた後藤プランは四億円台にまで削られてしまった。この政治的攻防を描くのが序盤。

 中盤は、とにかく滑り出した復興事業で、実際に行われたこと。東京の主要道路の愛称「昭和通り」「八重洲通り」などが、このとき公募で決まったものだと知る。でも「大正通り」(いまの靖国通り)とか、使われなくなったものもあるのね。私の大好きな東京の風景、隅田川に架かる橋梁の多くが「復興橋梁」であるというのも初めて知った。篤志家、藤平久太郎が私費を投じて建設した新幸橋の美談も、心に留めておきたい。

 最後は、『帝都復興史』の寄稿者による帝都復興の検証に目を通す。地域の名士(学校長など)の苦労話と助成の要望が多い中で、椎名龍徳なる人物の冷静、的確な追想が取り上げられている。住民が「自分の町を守ろう」という自覚にしたがって協働した地域は類焼をまぬがれたが、自分の家財だけを守ろうとした利己主義者は、東西に逃げ惑って墓穴を掘った、という話が興味深い。浅草の観音堂が類焼をまぬがれたのは「浅草寺が境内に荷物を入れることを禁じたから」というのも、災害時の心得として肝に銘じておきたいと思った。
コメント
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