見もの・読みもの日記

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山水長巻の墨の色/毛利家の至宝(サントリー美術館)

2012-04-29 23:11:50 | 行ったもの(美術館・見仏)
サントリー美術館 サントリー美術館・東京ミッドタウン5周年記念『毛利家の至宝 大名文化の精粋 国宝・雪舟筆「山水長巻」特別公開』(2012年4月14日~5月27日)

 防府の毛利博物館には、一度だけ行ったことがある。検索したら、このブログを書き始めた2004年の夏に山口県立美術館に行っていて、毛利博物館を訪ねたのは、さらに2年前のことらしい。ただし、このとき見た『山水長巻(四季山水図巻)』は模本だったように思う。2002年には、春に東博で『没後500年 雪舟』展が開かれていて、そこではホンモノを見たはずだ。しかし、実はあまり明確な印象がない。

 本展は「東京圏では10年ぶりに特別公開」がうたわれているので、今度こそちゃんと見よう、と思って、展覧会が始まると早々に出かけた。会場の冒頭には、毛利元就公と類代の肖像。像主の個性が描き分けられていて面白い。それから古風な中世の鎧(腹巻)。落ち着いて始めから見ようと思ったが、やっぱりダメ。『山水長巻』が気になるので、巡路を離脱して奥へ急ぐ。すると、最初の角を曲がってすぐ、第1展示室(4階)のいちばん横長の空間を使って、お目当ての品が展示されていた。およそ16メートル。

 幸い、1、2組のお客しか張りついていなかったので、好きなように行きつ戻りつして眺めることができた。毛利家の殿様はどうやって見たんだろう。こんなふうに座敷の畳に一挙に広げて眺めたのかしら。でも、歩きながら足元を眺めるのでは遠すぎる。座って、いざりながら眺めたのだろうか。

 日本の絵巻は、肩幅くらいに広げて、両手で繰りながら見てゆくものだと聞いたことがある。新たな場面が次々に現れ、また消えていくところに妙味がある。それに比べると、中国(漢画)の画巻は、こうして大きく広げたほうが楽しい。導入のゴツゴツした岩山の山中を行く高士(かな?)の姿を見つけたときには、その先に広がる白い雲海が視界の端に入っている。渓谷を抜けて、岸辺の人なつかしい漁村に到達すると、数歩戻って、人影のなかった山中を振り返ってみたくなる。

 毛利の殿様は、この画巻のどのへんに興味をもっただろう。私は、冒頭の人物が歩んでいる路が、断崖の下の切り込みみたいな路(片側の壁を落としたトンネルみたいな形状)につながっているのを見て「あるあるw」と思ってしまった。日本では、ごく稀にしか見ないが、岩山の多い中国では比較的よくある風景なのだ。

 最初の人物は、閲覧者の視線と同じく、左←右を向いているが、次に登場する人物は、変化をつけて、左→右に歩んでいる。ここは、うねうねと曲がりくねって遠景に消えていく水の流れと呼応して、絵に奥行きを与えていると思う。湖畔(河畔?)の家々は意外と立派だ。屋根が茅葺きでない。瓦屋根とは思えないけど、板葺きだろうか。高い塔が見えるが、屋根が反っていない。中国の寺院建築の屋根が、激しく反りかえり始めるのはいつの時代からなんだろう?

 終盤近く、山間の猫の額ほどの平坦地に、突然、大勢の人々が現れる。女性らしき姿もある。この画巻は、墨筆オンリーでなくて、冒頭から青と緑の淡彩が使われているのだが、この場面ではじめて、数人の衣服と、遠景の木の花(紅葉?)に赤が見える。それから、次第に樹木が少なくなり、城壁が見えはじめ、城壁の外から城市を眺める体の場面が続く。薄墨を流した空。輪郭だけを白抜きで表わした遠景の山。夜なのだろうか。城壁の上にも楼閣も窓にも人の姿がない。

 最後に再び、あの絶壁に穿った路が現れて、画巻は終わる。そう言えば『清明上河図』は、にぎやかな城市の中に入っていくのが見どころだったのに対して、『山水長巻』は、敢えて城市を迂回する気持ちを示しているのかな、と思ったりした。

 それにしても美しい墨色+淡彩である。展示ケースの上に、全巻の写真パネルが掲げられているのだが、現物と比較すると、写真図版の再現力が、まだまだであることを実感する。墨の微妙な濃淡がベタッとした黒インク色になっているし、墨と緑の溶け合った色彩が、黒+緑の「重ね摺り」に分裂してしまっている。残念ながら、図録の写真も同様の印象を否めない。ちなみに、図録収録の山下裕二先生の文章が、画巻の色彩の美しさに触れていて、うれしかった。

 不思議と私の記憶に残っていたのは、2005年に『片岡球子展』で見た「面構え」シリーズの「雪舟」が、似顔絵と一緒に『山水長巻』の一場面を描いており、しかも鮮やかな着彩を用いていたこと。作品を見たとき、さすが片岡球子、勝手なことをするなあ、と思ったのだが、球子は『四季山水図巻』本来の色彩の美しさに反応したのかもしれない、と考え直した。なお、伝・雲谷等顔筆と狩野古信筆の模本があるのだが、特に前者は別物すぎて、微笑ましい。

 さて、再び冒頭に戻る。私は、けっこう文書類が面白かった。現物が読めないので、もっぱら解説を読んでいたのだが「毛利家の几帳面さ」とか「当主の独断でない集団指導体制」とか、なるほどーと納得できる資料がいろいろ出ていた。あと朝鮮との交易に用いられた「通信符」(割印)および「日本国王之印」は、大内氏を経て毛利家に伝わっていたのか。国王印は、金印を亡失したため木印で代用された、という説明に笑ってしまった。いいのか、そんなことで。

 階下の第2、第3展示室では、茶の湯文化、特に井戸茶碗と高麗茶碗に萌える。さらに、サントリー美術館のある東京ミッドタウンが、長州藩毛利家の下屋敷であったという説明を読んで、驚く。そうだったのかー。それじゃあ、東京に勢ぞろいしたお家のお宝を見に、殿様たちの魂魄がそっと集まっているかもしれない。
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