○出光美術館 『悠久の美-唐物茶陶から青銅器まで』(2012年4月3日~6月10日)
中国工芸美術の醍醐味にふれる展覧会。出光コレクションの原始・古代中国美術展は13年ぶりだという。13年前の展覧会って何だろう?と思って探してみたら、ネットには情報があるものだ。『館蔵 中国美術の源流展-中国古代の工芸に表された図像を中心に-』(1999年7月27日~9月26日)というのが出てきた(※個人サイト:考古学のおやつ)。この時期なら、たぶん見に行っていると思うが確証はない。
「唐物茶陶から青銅器まで」と聞いて、ん?逆だろう、と思ったが、日本人にとっての馴染みの深さからいえば、こうなるのだろう。しかも工芸だけかと思っていたら、冒頭にいきなり牧谿筆『平沙落雁図』のサービス。私は、むしろ隣りの別山祖智の書『唐詩三題』がいいと思った。王之渙「登鶴雀楼」、儲光羲「洛陽道」、孟浩然「春暁」の三首がダラダラと書かれている。何だろう、区切りも配置も全く構わず、思い出すままに書き付けたという感じ。どんな状況で書かれたのかなあと、いろいろ想像してしまう。伝・夏珪筆『山水図』二幅も久しぶりに見た。これら書画は、5/81から展示替え。
さて、肝腎の工芸は、宋代の繊細で都会的な美意識の真髄というべき建窯、吉州窯の天目茶碗。とろりとした龍泉窯の青磁瓶など。私は、明代の唐物文琳茶入「銘:奈良」が気に入った。銘の由来は、斑文が奈良絵を思わせるためかと思ったのだが、全然違うかもしれない。螺鈿の説明に、宋代には一時衰退したが、元代に復興した、というのを面白いと思った。確かに華やかな螺鈿って、宋の美意識には合わない。しかし、こうしてみると、一般の中国人にとって「最も中国らしい美意識の時代」って何時なんだろうか。清代工芸は、倣古趣味の品を中心に展示。
そして、会場の後半は、ずらりと並んだ青銅器。つい先だって、泉屋博古館分館(東京)で『神秘のデザイン-中国青銅芸術の粋-』を見て、いわゆる「饕餮文(とうてつもん)」の見かたが少し分かったこと、漢代の青銅器は、もう十分にモダンの域にあると分かったことを思い出しながら見た。漢代どころか、春秋戦国の青銅器も、その前の殷周時代に比べるとモダンかも知れない。まったく早熟な文化である。
中国工芸美術の醍醐味にふれる展覧会。出光コレクションの原始・古代中国美術展は13年ぶりだという。13年前の展覧会って何だろう?と思って探してみたら、ネットには情報があるものだ。『館蔵 中国美術の源流展-中国古代の工芸に表された図像を中心に-』(1999年7月27日~9月26日)というのが出てきた(※個人サイト:考古学のおやつ)。この時期なら、たぶん見に行っていると思うが確証はない。
「唐物茶陶から青銅器まで」と聞いて、ん?逆だろう、と思ったが、日本人にとっての馴染みの深さからいえば、こうなるのだろう。しかも工芸だけかと思っていたら、冒頭にいきなり牧谿筆『平沙落雁図』のサービス。私は、むしろ隣りの別山祖智の書『唐詩三題』がいいと思った。王之渙「登鶴雀楼」、儲光羲「洛陽道」、孟浩然「春暁」の三首がダラダラと書かれている。何だろう、区切りも配置も全く構わず、思い出すままに書き付けたという感じ。どんな状況で書かれたのかなあと、いろいろ想像してしまう。伝・夏珪筆『山水図』二幅も久しぶりに見た。これら書画は、5/81から展示替え。
さて、肝腎の工芸は、宋代の繊細で都会的な美意識の真髄というべき建窯、吉州窯の天目茶碗。とろりとした龍泉窯の青磁瓶など。私は、明代の唐物文琳茶入「銘:奈良」が気に入った。銘の由来は、斑文が奈良絵を思わせるためかと思ったのだが、全然違うかもしれない。螺鈿の説明に、宋代には一時衰退したが、元代に復興した、というのを面白いと思った。確かに華やかな螺鈿って、宋の美意識には合わない。しかし、こうしてみると、一般の中国人にとって「最も中国らしい美意識の時代」って何時なんだろうか。清代工芸は、倣古趣味の品を中心に展示。
そして、会場の後半は、ずらりと並んだ青銅器。つい先だって、泉屋博古館分館(東京)で『神秘のデザイン-中国青銅芸術の粋-』を見て、いわゆる「饕餮文(とうてつもん)」の見かたが少し分かったこと、漢代の青銅器は、もう十分にモダンの域にあると分かったことを思い出しながら見た。漢代どころか、春秋戦国の青銅器も、その前の殷周時代に比べるとモダンかも知れない。まったく早熟な文化である。