観光初日。まず、太宰府の九州国立博物館に行こうと思っていたのだが、二日市で電車を乗り間違えてしまう。それなら、と思って、午後に行こうと思っていた九州歴史資料館へ直行。
■九州歴史資料館 常設展示『歴史(とき)の宝石箱』
西鉄・三国が丘駅で下車。「駅前」と聞いていたが、駅からそれらしい建物は見えない。きれいに整備された丘陵地が見えるので、ははあ、あの奥だな、と当たりをつける。控えめな立て看板をたよりに遊歩道に沿って丘を登っていくと、突如、眼下に壮麗な瓦屋根が現れる。この舞台装置はなかなかのものだ。
九州歴史資料館へは、太宰府天満宮の近傍にあったときに2回ほど来ている。いま、当時(2004年)の記事を読みかえして懐かしく思った。Wikiによれば、旧館は2010年3月限りで休館し、同年11月21日に現在の建物が開館したそうだ。常設展示が始まったのは、今年の2月からで、まだ生まれたてホヤホヤの博物館である。
展示品数は少ないが、九州ならではの珍しいものもあって、歴史好きなら1時間は楽しめる。鉄剣・鉄矛・鉄製の短甲は、朝鮮文化との親近性を濃厚に感じさせる。そういえば、ニュータウンに囲まれたこの博物館のロケーション自体が、金海市の大成洞古墳と古墳博物館に似ている。大野城跡から出土した鉄製軸受金具は、半島にも類例がないそうだ。石帯の石が出土している(太宰府跡から?)というのも珍しい。平安時代(12世紀)に早くも白磁鉄絵牡丹文四耳壺が渡来しているというのも驚き。実質的に機能しているののは1室のみで、古代~近代までをカバー。欲張ってるけど、中世~近世初期が貧弱過ぎじゃない?と思った。
■唐津散歩:旧高取邸(唐津市北城内)
太宰府は明日にまわすことにして、唐津に向かう。唐津焼のお店などを覗いて歩くつもりだったが、どんどん雨が強くなり、歩いている人もいない状態なので、いちばん有名な観光スポット「旧高取邸」に逃げ込む。「肥前の炭鉱王」と呼ばれた高取伊好(1850-1927)の旧宅。近代和風建築の粋として、国の重要文化財に登録されている。大正7年建造の居室棟と明治37年建造の大広間棟からなり、茶室、能舞台、マントルピースつきの洋間も有する大邸宅だが、その魅力は、むしろ欄間、杉戸絵、引き金具、床柱などの「細部」に宿るようだ。ちょうど10人くらいの案内ツアー(案内は館長さん?)が始まったところで、詳しいお話を聞かせていただけたのはラッキーだった。
夜や雨の日など、周囲が暗いと「型抜き欄間」の穴のとおり、孔雀や千鳥の影が壁に映るというのは面白かった。それから「この建物の調査をされた東京大学の藤森照信先生のお気に入りは、柳にホタルの杉戸絵です」なんて、思わぬお名前も。内部は写真撮影禁止なのだが、むしろ自由に撮影させて、個人ブログなどで拡散に任せたほうが、この建物の魅力が広がって、来館者が増えるんじゃないかと思ったが、どうだろう…。
帰ってから、高取伊好のことを調べてみたら、はじめ、高島炭鉱の開設を佐賀藩主・鍋島直正に進言したのは、トーマス・グラバーだったり、グラバーから炭坑を譲り受けたのは後藤象二郎(後藤様!)で、その下で現場の指揮監督にあたったのが伊好だったり、やがて炭鉱の経営権は後藤から三菱の岩崎弥太郎のもとに移った、という具合に、『龍馬伝』の世界がよみがえってくるようで、笑ってしまった。
※「去華就実」と郷土の先覚者たち:第15回 高取伊好(上)→第16回(下)
■九州歴史資料館 常設展示『歴史(とき)の宝石箱』
西鉄・三国が丘駅で下車。「駅前」と聞いていたが、駅からそれらしい建物は見えない。きれいに整備された丘陵地が見えるので、ははあ、あの奥だな、と当たりをつける。控えめな立て看板をたよりに遊歩道に沿って丘を登っていくと、突如、眼下に壮麗な瓦屋根が現れる。この舞台装置はなかなかのものだ。
九州歴史資料館へは、太宰府天満宮の近傍にあったときに2回ほど来ている。いま、当時(2004年)の記事を読みかえして懐かしく思った。Wikiによれば、旧館は2010年3月限りで休館し、同年11月21日に現在の建物が開館したそうだ。常設展示が始まったのは、今年の2月からで、まだ生まれたてホヤホヤの博物館である。
展示品数は少ないが、九州ならではの珍しいものもあって、歴史好きなら1時間は楽しめる。鉄剣・鉄矛・鉄製の短甲は、朝鮮文化との親近性を濃厚に感じさせる。そういえば、ニュータウンに囲まれたこの博物館のロケーション自体が、金海市の大成洞古墳と古墳博物館に似ている。大野城跡から出土した鉄製軸受金具は、半島にも類例がないそうだ。石帯の石が出土している(太宰府跡から?)というのも珍しい。平安時代(12世紀)に早くも白磁鉄絵牡丹文四耳壺が渡来しているというのも驚き。実質的に機能しているののは1室のみで、古代~近代までをカバー。欲張ってるけど、中世~近世初期が貧弱過ぎじゃない?と思った。
■唐津散歩:旧高取邸(唐津市北城内)
太宰府は明日にまわすことにして、唐津に向かう。唐津焼のお店などを覗いて歩くつもりだったが、どんどん雨が強くなり、歩いている人もいない状態なので、いちばん有名な観光スポット「旧高取邸」に逃げ込む。「肥前の炭鉱王」と呼ばれた高取伊好(1850-1927)の旧宅。近代和風建築の粋として、国の重要文化財に登録されている。大正7年建造の居室棟と明治37年建造の大広間棟からなり、茶室、能舞台、マントルピースつきの洋間も有する大邸宅だが、その魅力は、むしろ欄間、杉戸絵、引き金具、床柱などの「細部」に宿るようだ。ちょうど10人くらいの案内ツアー(案内は館長さん?)が始まったところで、詳しいお話を聞かせていただけたのはラッキーだった。
夜や雨の日など、周囲が暗いと「型抜き欄間」の穴のとおり、孔雀や千鳥の影が壁に映るというのは面白かった。それから「この建物の調査をされた東京大学の藤森照信先生のお気に入りは、柳にホタルの杉戸絵です」なんて、思わぬお名前も。内部は写真撮影禁止なのだが、むしろ自由に撮影させて、個人ブログなどで拡散に任せたほうが、この建物の魅力が広がって、来館者が増えるんじゃないかと思ったが、どうだろう…。
帰ってから、高取伊好のことを調べてみたら、はじめ、高島炭鉱の開設を佐賀藩主・鍋島直正に進言したのは、トーマス・グラバーだったり、グラバーから炭坑を譲り受けたのは後藤象二郎(後藤様!)で、その下で現場の指揮監督にあたったのが伊好だったり、やがて炭鉱の経営権は後藤から三菱の岩崎弥太郎のもとに移った、という具合に、『龍馬伝』の世界がよみがえってくるようで、笑ってしまった。
※「去華就実」と郷土の先覚者たち:第15回 高取伊好(上)→第16回(下)