○奈良国立博物館 特別陳列『お水取り』(2011年2月5日~3月14日)
『お水取り』は、この季節、奈良博恒例の特別陳列である。2009年に見ているので、さほど内容に変化はないだろうと思ったが、常設展料金(パスポートでOK)なので、寄っていくことにした。二月堂本尊光背(断片)や縁起絵の数々、鐃(にょう=鈴)、法螺貝、袈裟、袴、差懸(沓)など、何を見ても懐かしく感じる。中央には、実物大?で二月堂の礼堂が再現されており、白い戸張(カーテン)をくるくるねじって端に寄せ、整然と荘厳された内陣を見せている。こんなふうに戸張を開けてもらえるのは、冷え込みの厳しくなる深夜からなんだよなあ…。会場に低く流れる声明は、折しも「南無観」に差し掛かったところで、嬉しかった。
思わず目が留ったのは、『二月堂練行衆日記』と題された冊子。展示箇所には、寛文7年(1667)の二月堂焼亡の様子が、緊迫した筆で記録されている。小観音は、実賢という僧侶が厨子を破り、袈裟に包んで持ち出した。しかし、大観音は運び出すことができなかった。「猛火忽昇于棟梁、無力消之、但怳然耳。然而、本願和尚安置之尊像、安然于火中、宛如有勢、衆人共拝更恐」…十分には理解できないけれど、文字を追っているだけでも、当時の人々の心の震えが伝わってくるようである(この箇所、「于」が「千」に見えて読みにくい)。
隣りの『両堂記』によれば(この2点は1セットの資料らしい)、火が鎮まると、焼け落ちた棟木や瓦が尊体に当たることなく、大観音は焼け跡に立ちつくしており、人々は感涙した。しかし、秘仏であるので、急ぎスダレで覆い隠し、焼け残った八幡宮の新造屋に運び入れた。錬行衆は宿所でひそかに六時の行法を行い(修二会の最中だったのである)、小観音は法華堂内陣に南向きに遷した、云々。
また『東大寺年中行事記録』には、同年=寛文7年(1667)9月、「鈴木与次郎」なる人物が、二月堂再建の設計担当者として、江戸幕府から派遣されたことが記されている。遠い過去の物語だと思っていた「二月堂焼亡」事件が、突然、生々しい人間ドラマとなって迫ってきて、面白かった。しかし、これらの記録文書類は、初見である。一昨年の展示には出ていなかったものだ。これらの写真が載っているなら、カタログが欲しいと思ったが、展示室に置かれているサンプルは、一昨年買って帰ったものと同じだ(奥付=平成21年改訂版)。せめて今年の展示リストがあるなら貰って帰りたいと思い、案内員の方に聞いてみた。すると、1階の受付にあるというので、貰いに行く。
リストをいただくついでに「あのう…展示図録の内容は変わってないんですよね」と未練がましく聞いてみた。すると「以前にお買い求めですか? では、これを」と言って、全4ページの色刷りリーフレットを出してくれた。今年の展示品の写真と説明が掲載された追補ページである。わーい、ありがとうございます! 言ってみるものだな、と思った。
引き続き、名品展『珠玉の仏教美術』(2011年2月15日~3月14日)を見ていく。大好きな『華厳五十五所絵巻』がたっぷり広げてあったり、ふだんあまり見ることのない考古遺品の犬型埴輪(白クマみたい)に驚いたり、楽しかった。気がついたら、この日も奈良博で4時間近く遊んでしまった。
ミュージアムショップでのお買い物については、別掲。
『お水取り』は、この季節、奈良博恒例の特別陳列である。2009年に見ているので、さほど内容に変化はないだろうと思ったが、常設展料金(パスポートでOK)なので、寄っていくことにした。二月堂本尊光背(断片)や縁起絵の数々、鐃(にょう=鈴)、法螺貝、袈裟、袴、差懸(沓)など、何を見ても懐かしく感じる。中央には、実物大?で二月堂の礼堂が再現されており、白い戸張(カーテン)をくるくるねじって端に寄せ、整然と荘厳された内陣を見せている。こんなふうに戸張を開けてもらえるのは、冷え込みの厳しくなる深夜からなんだよなあ…。会場に低く流れる声明は、折しも「南無観」に差し掛かったところで、嬉しかった。
思わず目が留ったのは、『二月堂練行衆日記』と題された冊子。展示箇所には、寛文7年(1667)の二月堂焼亡の様子が、緊迫した筆で記録されている。小観音は、実賢という僧侶が厨子を破り、袈裟に包んで持ち出した。しかし、大観音は運び出すことができなかった。「猛火忽昇于棟梁、無力消之、但怳然耳。然而、本願和尚安置之尊像、安然于火中、宛如有勢、衆人共拝更恐」…十分には理解できないけれど、文字を追っているだけでも、当時の人々の心の震えが伝わってくるようである(この箇所、「于」が「千」に見えて読みにくい)。
隣りの『両堂記』によれば(この2点は1セットの資料らしい)、火が鎮まると、焼け落ちた棟木や瓦が尊体に当たることなく、大観音は焼け跡に立ちつくしており、人々は感涙した。しかし、秘仏であるので、急ぎスダレで覆い隠し、焼け残った八幡宮の新造屋に運び入れた。錬行衆は宿所でひそかに六時の行法を行い(修二会の最中だったのである)、小観音は法華堂内陣に南向きに遷した、云々。
また『東大寺年中行事記録』には、同年=寛文7年(1667)9月、「鈴木与次郎」なる人物が、二月堂再建の設計担当者として、江戸幕府から派遣されたことが記されている。遠い過去の物語だと思っていた「二月堂焼亡」事件が、突然、生々しい人間ドラマとなって迫ってきて、面白かった。しかし、これらの記録文書類は、初見である。一昨年の展示には出ていなかったものだ。これらの写真が載っているなら、カタログが欲しいと思ったが、展示室に置かれているサンプルは、一昨年買って帰ったものと同じだ(奥付=平成21年改訂版)。せめて今年の展示リストがあるなら貰って帰りたいと思い、案内員の方に聞いてみた。すると、1階の受付にあるというので、貰いに行く。
リストをいただくついでに「あのう…展示図録の内容は変わってないんですよね」と未練がましく聞いてみた。すると「以前にお買い求めですか? では、これを」と言って、全4ページの色刷りリーフレットを出してくれた。今年の展示品の写真と説明が掲載された追補ページである。わーい、ありがとうございます! 言ってみるものだな、と思った。
引き続き、名品展『珠玉の仏教美術』(2011年2月15日~3月14日)を見ていく。大好きな『華厳五十五所絵巻』がたっぷり広げてあったり、ふだんあまり見ることのない考古遺品の犬型埴輪(白クマみたい)に驚いたり、楽しかった。気がついたら、この日も奈良博で4時間近く遊んでしまった。
ミュージアムショップでのお買い物については、別掲。