○竹内洋『大衆モダニズムの夢の跡:彷徨する「教養」と大学』 新曜社 2001.5
教育社会学、特に日本の高等教育学史に関する竹内洋先生の著作と、私が出会ったのは、2006年のこと。以来、精力的に読み尽くしてきたつもりだったが、本書の存在は見逃していた。
本書は、著者が雑誌や新聞などのもとめに応じて書いてきた短文をまとめたもの。90年代前半の文章も少しあるが、90年代後半から0年代初めにかけて書かれたものが多い。もとがジャーナリズム向けに書かれた文章なので、これまで読んできた長編の代表作に比べると、ずいぶん味わいが違う。詳細な説明や検証はすっ飛ばして、ピリリと辛口なコメントを述べているところがあって、驚かされた。
たとえば、社会人入試は大学の入口を多様化し、機会を開くという趣旨でできた、しかし、いったん大学入学を諦めた人に「学び直しができます」というのは、もう一度欲望を焚きつけるシステムである。あちらこちらの大学の門をたたき「何を学ぶかよりも学歴改造だけに終始してしまう」(あーここ辛辣)「あきらめきれない人間の再生産システムになっている面も否定できない」云々。
また、大学院重点化によって大学院の定員が増えたたため、大学院の入学試験のハードルが下がり、○○大学の学部には入学できないような学生が、同じ大学の大学院には容易に入学できるという「木の葉が沈んで石が浮く」事態が起こっている(これが書かれたのは2001年である)。増えすぎて行き場のない博士の社会問題化(ポスドク問題)が「目睫の間に迫っている」ことも、1999年の時点で、既に現場では正確に予見されていたことが分かる。
それから、「学校知」を否定し「生きる力(経験知)」の育成を目指した、いわゆる「ゆとり」カリキュラムは、昭和20年代、アメリカ教育使節団がもたらした進歩教育にきわめてよく似ているという。このアメリカ流進歩主義教育は、無残な失敗に終わった。けれども、そのことを誰も思い出さなかったのはどうしたことか。ほんとに日本人って、直近の歴史に学ばないなあ…。著者は、「学校知」の否定にみられる、教育ポピュリズム、あるいは大衆迎合主義への嫌悪を隠さない。
「エリートはエリート、わたしはわたし」というのが成熟した大衆感情である、と著者はいうが、そんな成熟社会から、ますます遠ざかりゆくのが日本の現況ではないか、と思った。
教育社会学、特に日本の高等教育学史に関する竹内洋先生の著作と、私が出会ったのは、2006年のこと。以来、精力的に読み尽くしてきたつもりだったが、本書の存在は見逃していた。
本書は、著者が雑誌や新聞などのもとめに応じて書いてきた短文をまとめたもの。90年代前半の文章も少しあるが、90年代後半から0年代初めにかけて書かれたものが多い。もとがジャーナリズム向けに書かれた文章なので、これまで読んできた長編の代表作に比べると、ずいぶん味わいが違う。詳細な説明や検証はすっ飛ばして、ピリリと辛口なコメントを述べているところがあって、驚かされた。
たとえば、社会人入試は大学の入口を多様化し、機会を開くという趣旨でできた、しかし、いったん大学入学を諦めた人に「学び直しができます」というのは、もう一度欲望を焚きつけるシステムである。あちらこちらの大学の門をたたき「何を学ぶかよりも学歴改造だけに終始してしまう」(あーここ辛辣)「あきらめきれない人間の再生産システムになっている面も否定できない」云々。
また、大学院重点化によって大学院の定員が増えたたため、大学院の入学試験のハードルが下がり、○○大学の学部には入学できないような学生が、同じ大学の大学院には容易に入学できるという「木の葉が沈んで石が浮く」事態が起こっている(これが書かれたのは2001年である)。増えすぎて行き場のない博士の社会問題化(ポスドク問題)が「目睫の間に迫っている」ことも、1999年の時点で、既に現場では正確に予見されていたことが分かる。
それから、「学校知」を否定し「生きる力(経験知)」の育成を目指した、いわゆる「ゆとり」カリキュラムは、昭和20年代、アメリカ教育使節団がもたらした進歩教育にきわめてよく似ているという。このアメリカ流進歩主義教育は、無残な失敗に終わった。けれども、そのことを誰も思い出さなかったのはどうしたことか。ほんとに日本人って、直近の歴史に学ばないなあ…。著者は、「学校知」の否定にみられる、教育ポピュリズム、あるいは大衆迎合主義への嫌悪を隠さない。
「エリートはエリート、わたしはわたし」というのが成熟した大衆感情である、と著者はいうが、そんな成熟社会から、ますます遠ざかりゆくのが日本の現況ではないか、と思った。