○武田双雲『人生を変える「書」:観る愉しみ、真似る愉しみ』(NHK出版新書) NHK出版 2011.3
東洋美術が好きで、彫刻(仏像)→絵画→工芸、陶磁器…など、だんだん趣味を広げてきたが、いちばん近寄りがたかったのが「書」である。どこに魅力を発見したらいいのだか、皆目分からない、と思っていたが、最近そうでもなくなってきた。書は面白い。でも全てが面白いわけではなくて、自分の感覚にピッタリくる作品もあれば、そうでもない作品もある、という当たり前のことが、実感できるようになった。
というわけで、初めて読む「書」の解説書。著者は、NHK大河ドラマ『天地人』の題字を書いた書家である。本書では、王羲之、欧陽詢、顔真卿など中国の古典から、聖徳太子、良寛、太宰治など日本人の書、さらに織田信長から本田宗一郎、松下幸之助までヒーロー(リーダー)の書、等々を鑑賞する。戦国武将が多かったり、坂本龍馬、岩崎弥太郎、正岡子規などが登場するのは、やっぱりNHK出版だからか?と勘ぐりたい点もあるが、面白かった。
王羲之がなぜ書聖か。それまで公的な記録の手段だった書に「個性」を持ち込み、書く愉しみ、観る愉しみを開花させたという点で、宮廷音楽に大変革をもたらしたモーツァルトにも喩えられる。取り上げられている作品『十七帖』は、先日、現物を京博の『筆墨精神』で見てきたばかり。掲載図版(路轉欲逼耳…で始まる)が、ものすごく魅力的なので、京博の収蔵品データベースの写真で探してみたが、該当箇所がどうしても見つからない。京博の上野本は、解説に「欠けた所も少ない」というけど、この箇所はないのかな。”書中の龍”という表現が、本当にぴったりくる箇所なのに。
顔真卿の『裴将軍詩』は書道博物館で中村不折の臨模を何度か見ているけど、やっぱり本物(拓本)を見たいなあ。この作品の魅力を、さまざまなキャラクターが目まぐるしく登場する舞台に喩えているのは、とても分かりやすい。欧陽詢の書を評して「目立たぬように込められた個性」というのも、いい表現だと思った。若い頃の近視眼では気づきにくいが、不思議なことに素人でもトシを取ると、こういう作品の魅力が分かるようになる。
坂本龍馬の手紙について、上下の余白を目いっぱい使って、縦横無尽に筆を走らせているにもかかわらず「絶対に字と字がぶつからない」点をとらえ、こういう運筆ができる人は「人と人との距離をしっかり取れる人です」という把握には、説得力がある。対照的に、岩崎弥太郎の書は、字間が狭く、ぶつかっており、エネルギッシュだが、人と人との距離の取り方が上手い人ではなかっただろうという。勝海舟と西郷隆盛の書が、どちらもバランスと包容力に長け、よく似ているという指摘も面白かった。
私は、小泉純一郎みたいな「尖った字」、本田宗一郎の極端な「右上がり」の字はどうも好きになれない。やっぱり、正岡子規みたいなふわっとした、余白の開いた字に惹かれる。憧れる。それでいうと、著者の「天地人」の字はあまり好きではないのだ。ご本人も「書き手の意識が立ちすぎている」という厳しい意見をいただいた、と告白しているが、同感である。でも北方謙三『楊令伝』の題字なんかは好きだ。→※武田双雲公式サイト(作品多数あり)
東洋美術が好きで、彫刻(仏像)→絵画→工芸、陶磁器…など、だんだん趣味を広げてきたが、いちばん近寄りがたかったのが「書」である。どこに魅力を発見したらいいのだか、皆目分からない、と思っていたが、最近そうでもなくなってきた。書は面白い。でも全てが面白いわけではなくて、自分の感覚にピッタリくる作品もあれば、そうでもない作品もある、という当たり前のことが、実感できるようになった。
というわけで、初めて読む「書」の解説書。著者は、NHK大河ドラマ『天地人』の題字を書いた書家である。本書では、王羲之、欧陽詢、顔真卿など中国の古典から、聖徳太子、良寛、太宰治など日本人の書、さらに織田信長から本田宗一郎、松下幸之助までヒーロー(リーダー)の書、等々を鑑賞する。戦国武将が多かったり、坂本龍馬、岩崎弥太郎、正岡子規などが登場するのは、やっぱりNHK出版だからか?と勘ぐりたい点もあるが、面白かった。
王羲之がなぜ書聖か。それまで公的な記録の手段だった書に「個性」を持ち込み、書く愉しみ、観る愉しみを開花させたという点で、宮廷音楽に大変革をもたらしたモーツァルトにも喩えられる。取り上げられている作品『十七帖』は、先日、現物を京博の『筆墨精神』で見てきたばかり。掲載図版(路轉欲逼耳…で始まる)が、ものすごく魅力的なので、京博の収蔵品データベースの写真で探してみたが、該当箇所がどうしても見つからない。京博の上野本は、解説に「欠けた所も少ない」というけど、この箇所はないのかな。”書中の龍”という表現が、本当にぴったりくる箇所なのに。
顔真卿の『裴将軍詩』は書道博物館で中村不折の臨模を何度か見ているけど、やっぱり本物(拓本)を見たいなあ。この作品の魅力を、さまざまなキャラクターが目まぐるしく登場する舞台に喩えているのは、とても分かりやすい。欧陽詢の書を評して「目立たぬように込められた個性」というのも、いい表現だと思った。若い頃の近視眼では気づきにくいが、不思議なことに素人でもトシを取ると、こういう作品の魅力が分かるようになる。
坂本龍馬の手紙について、上下の余白を目いっぱい使って、縦横無尽に筆を走らせているにもかかわらず「絶対に字と字がぶつからない」点をとらえ、こういう運筆ができる人は「人と人との距離をしっかり取れる人です」という把握には、説得力がある。対照的に、岩崎弥太郎の書は、字間が狭く、ぶつかっており、エネルギッシュだが、人と人との距離の取り方が上手い人ではなかっただろうという。勝海舟と西郷隆盛の書が、どちらもバランスと包容力に長け、よく似ているという指摘も面白かった。
私は、小泉純一郎みたいな「尖った字」、本田宗一郎の極端な「右上がり」の字はどうも好きになれない。やっぱり、正岡子規みたいなふわっとした、余白の開いた字に惹かれる。憧れる。それでいうと、著者の「天地人」の字はあまり好きではないのだ。ご本人も「書き手の意識が立ちすぎている」という厳しい意見をいただいた、と告白しているが、同感である。でも北方謙三『楊令伝』の題字なんかは好きだ。→※武田双雲公式サイト(作品多数あり)