見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

素顔に戻る季節/京都 冬のぬくもり(柏井壽)

2011-01-08 22:13:05 | 読んだもの(書籍)
○柏井壽『京都 冬のぬくもり』(光文社新書) 光文社 2010.12

 年が明けたら京都へ行くぞ!と思っていたのだが、寒波と正月疲れで気持ちが萎えてしまった。今日もぬくぬくとコタツで読書。本書は、京都人である著者が、冬の京都の歳時記やおすすめ町歩きコース、冬の味を語ったもの。夏→秋→冬ときたシリーズの3作目である。

 観光のハイシーズンである夏や秋については、京都人のおすすめを聞くまでもない。聞いたとしても、だいたい1泊か2泊の週末旅行で、美術館の企画典やら、お寺の特別拝観やらを当て込んで行くので、それ以上のものを盛り込む余裕がない。けれど、本当に「京都」の魅力を味わうなら、冬がいちばんだと昔から思っている。一年中で最も観光客の少なくなる季節。「京都は京都を演じなくても済むわけで、ホッと一息ついて、素顔に戻る」という著者の表現は、言い得て妙だと思った。

 「冬の町歩き」に紹介されているコースも、烏丸通り(五条から御池辺りまで)と寺町通り(三条辺りから丸太町まで)。一般のガイドブックが取り上げるような、観光有名寺院は特にない。しかし、橘行平邸址と伝える因幡薬師(ここは行った)とか、「送り鐘」で知られる矢田地蔵尊とか、街中にひっそり守り伝えられた古寺社が紹介されている。富岡鉄斎や北大路魯山人が揮毫した看板を見て歩くのも楽しそうだ。

 初めて知った豆知識に「十二月十二日」(石川五右衛門の命日)と書いた紙を逆さに貼ると泥棒除けになるというのがある。年末の短い期間にだけ見られる習慣だそうで、機会があったら探してみたい。それから、保津峡に近い水尾の里は柚子の名産地(日本の柚子の発祥の地)で、花園天皇がこの地に植えたとの説があるそうだ。これも初耳。食べてみたいと思ったのは、洋菓子・桂月堂の「瑞雲」。よしよし、次回の京都旅行では、ぜひこの烏丸通り~寺町通りを歩いてみよう。

 京都の本だと思って読み進んだら「冬近江の愉しみ」という1章が設けられていてびっくりした。著者は、本書に先立つ「夏」「秋」本でも、同様に近江(滋賀県)の魅力を紹介しているらしい。近江好きの私には、嬉しい付録だった。本書には、2010年秋、大津市歴史博物館で開かれた『大津 国宝への旅』と「黄不動」特別公開の様子がレポートされている。人の少なさに「もったいないやら、ありがたいやら」と困惑する著者。ほんとにねえ、2009年、京都・青蓮院の「青不動」特別公開には大勢の観覧客が訪れ、話題になったというのに。でも、このユルさが近江の魅力である。

 秋の大津祭も楽しそうだな。ミニ祇園祭みたいな趣きがあるそうだ。行ってみたいが、10月(2011年は10月8-9日)は行事が多いんだよなあ…。あと「終い弘法」「終い天神」も一度行ってみたいが、全ては定年退職後の楽しみに取っておくしかないだろうか。

 ところで、京都市は、2000年当時、年間4000万人であった入洛観光客数を、2010年までに5000万人に増やす「観光客5000万人構想」を宣言し、目標より2年早い2008年にこれを達成したそうだ。さんざん貢献している私が言うのもなんだが、京都の魅力を保つためには、もうやめてくれ、という感じ。観光客を年間3000万人まで減らします、っていう公約を掲げる政治家は出てこないものだろうか。
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私は悪人である/かくれ佛教(鶴見俊輔)

2011-01-08 00:57:39 | 読んだもの(書籍)
○鶴見俊輔『かくれ佛教』 ダイヤモンド社 2010.12

 1922年生まれの鶴見さんが、第一線の運動家、評論家として活躍していたのは1960~70年代くらいだろうか。私はその頃の著者をよく知らない。けれど、先だって、著者が80歳から87歳の間に書いたエッセイ『思い出袋』(岩波新書、2010.3)を読んでファンになった。こういう老人に私もなりたい、と思った。本書はさらに、85歳から88歳の間のインタビューをもとに構成したもの。冒頭に、石畳の街頭に杖をついて、しかし背筋を伸ばし、正面を見据えて立つ著者の全身近影が掲げられている。

 本書のテーマは宗教である。著者は、自分の立場を「かくれキリシタン」にちなんで「かくれ仏教徒」と表現する。ハーバードの神学校で学んだ著者だが、キリスト教徒にはならなかった。キリスト教は、つねに自分が正しいと思っていて、「あなたは間違っている」という。その点で、マルクス主義もウーマン・リブも、ヨーロッパに学ぼうとした、明治以降の日本政府も同じ一派である。

 厳しい母親に育てられた著者は「マゾヒスト」に育った。さらに子どもの頃、張作霖爆殺事件を知って「日本人は悪いやつだ」と思った。「私はもともと人間として悪い奴」である上に「悪い日本人の一部」だ。そこに、結果として、仏教に親近感を持つ下地があったという。笑ってしまった。昨今不評の自虐史観の極みではないか。しかし、自虐史観が日本人を萎縮や卑屈に導いたと考えるのは短絡的にすぎる。「私は悪人である」という自覚の徹底から、どれだけ強靭で、かつ自由で独立不羈な精神が生まれてくるか、著者の一例をもっても分かろうというものだ。

 著者は、キリスト教の一部にも仏教に似た立場があることを、イエスはキリスト(救世主)ではなくブッダ(自覚を得た人間)と呼ぶべきではないか、と説いた木下尚江を引いて述べる。しかし著者は、戦時中の僧侶や牧師が、戦争を支持し、人を殺していいと触れまわっていたことに、今も不信感をもっている。「私の葬式のときは、友人の僧侶や牧師に説教などしてもらいたくない。一代の終わりまで」。この執念深さを、私は爽快だと思う。

 本書には、古今東西、多種多様な人物が登場する。法然、親鸞、良寛など、歴史上の高僧とともに、著者の精神的遍歴に直接の影響を与えた家族(父、母、姉)、友人、恩師なども登場する。戦前の学習院では、軍人の大官の子どもたちが威張りかえっていて、それを不快に思った少年たちが「白樺」に集まった。軍人批判で教師や生徒父兄を怒らせたのが柳宗悦で、それをかばった教師が西田幾多郎とか、意外な有名人と有名人が、イモヅル式につながっていたりする。河合隼雄とは存命中のつきあいもあったが、没後に著作を読んで受けた影響も大きく、「私は河合隼雄没後の門人」という表現を使っている。牧口常三郎、戸田城聖は、創価学会の前身、創価教育学会の創立者である。著者は創価教育学会の影響を受けた家庭教師との出会いを好意的に語っている。

 仏教の教理そのものへの言及は少ないが、私は、ほとんど慣用句として耳になじんでいた「寂滅為楽」という言葉を、あらためて美しい言葉だと感じた。田村芳朗の「しじまをたのしみとなす」という和訳も美しい。それから、仏典に出典をもつ「犀のように一人で歩め」という言葉。参った。脚注には「あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め」とある。優しくて、かつ厳しい言葉だと思う。
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