見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

エロスと食欲/文士の舌(嵐山光三郎)

2011-01-15 23:22:50 | 読んだもの(書籍)
○嵐山光三郎『文士の舌』 新潮社 2010.12

 出先で読む本が切れたので、手近の本屋に飛び込んで買った。家につくまでの30分ほど持てばいいので、肩の凝らない食道楽エッセイを選んだつもりだった。そうしたら、意外とズシリと腹にひびく読み応えだった。

 本書は、明治から平成までの作家24人が愛した料理店を、その名物料理とともに語ったもの。しかし、駆け出しのライターが、ネットでちょっと「取材」をして、「小説家○○のエッセイにも登場する名店○○のオムライス」とか、したり顔で書くグルメ記事とは、根本から趣きを異にする。著者は、おそらく取り上げる文士のことを徹底的に調べ、作品を読み尽くして「この一店」を選んでいる。だから、「この一店」「この一皿」は、文士が最期に食べた料理になることが多い。

 林芙美子は、「名料理店を食べ歩く」の取材で銀座の「いわしや」を訪れ、つみいれ、南蛮漬け、酢の物、いわしの蒲焼を食べ、そのあと別の鰻屋で、鰻の蒲焼と車海老を食べ、自宅に戻って、お汁粉を食べた。夜になって苦しみ出し、吐瀉して帰らぬ人となった。うらやましいほどの大往生である。

 三島由紀夫は、市ヶ谷の自衛隊駐屯地に乗り込む前日、鳥割烹「末げん」に「盾の会」の隊員4名とあらわれた。その2日前には家族を連れて来店している。「末げん」は三島の父が贔屓とし、家族団欒の思い出深い店だった。家族の記憶を断つために「盾の会」隊員との最後の晩餐が必要だったのではないか、と著者は推測する。

 永井荷風は、通い慣れた洋食店「アリゾナ」で昼食中に発病して歩行困難となり、自動車で市川の自宅へ帰った。2ヵ月ほどの病臥の後、孤独に没した姿を発見されたときは、吐いた血にまじって、近所の大黒屋で食べたカツ丼の飯つぶが散っていたという。

 文士と食欲といえば、正岡子規の『仰臥漫録』が思い浮かぶ。子規は病人だったので、旺盛な食欲が奇異に感じられて人目を引くのだが、だいたい文士という連中は、食べることに対する執着が、人一倍強いと見て間違いような気がする。食欲はエロス(生と性の欲望)に直結しており、エロスは文学の重要な源泉だった。少なくとも近代文学においては。

 斎藤茂吉の鰻好きは可愛らしく微笑ましいが、高村光太郎の大食いと愛欲生活になると、ちょっとまがまがしさを感じさせる。晩年にはようやく「野獣のような食欲」を飼いならしたようだけど。岡本かの子の「どぜう」談義も、鬼気迫るものがあって怖い。

 このほか、登場する文士は、谷崎潤一郎、川端康成、坂口安吾など。冒頭の「文豪」鴎外、漱石は別格として、そのあとは、いかにも「文士」と呼ぶにふさわしい顔ぶれで、「食」の話題以外にも、いろいろと興味深い人となりを知ることができる。特に老いて以降のエピソードが、いずれもいいなあ。昭和の「文士」遠藤周作、水上勉、山口瞳などになると、さらに編集者としてその謦咳に接した著者の思い出話が加わる。

 冒頭に各店の「この一皿」の写真つきだが、どれもフツーの料理にしか見えないところが味わい深い。
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2つの欲の間で/へうげもの(山田芳裕)

2011-01-15 10:55:14 | 読んだもの(書籍)
○山田芳裕『へうげもの』第1巻(2005.12)-第11巻(2010.7) 講談社

 古田織部を主人公にしたマンガがあるということには、第1巻の刊行当時から気がついていたのに、そのうち読もうと思っているうち、5年が立ってしまった(年寄りの感慨…)。今年の正月休みにまとめて読もうと思い立ち、書店に行ったら、11巻も出ていて慌てた。直接の動機は、この春からNHKでアニメ放映決定(→公式サイト)と聞いたためだが、よく調べたら、BSプレミアムじゃないか…見られない。

 マンガのほうは、もっと真面目な歴史モノかと思っていたので、はじめはギャグパートや、歴史の粉飾に戸惑った。3巻くらいまでは、なかなかノリについていけなかったが、馴染んでくると、やめられなくなって、一気に読み通してしまった。

 古田織部って、茶人・芸術家であると同時に、いっぱしの戦国武将だったんだなあ、というのは、あらためて教えられた。信長、秀吉、家康、光秀など、おなじみの武将たちが、おなじみの戦国ドラマを展開する中、彼らの隣人として、ときには戦場に生命をさらしながら、織部は生きていたのである。

 Wikiによれば、雑誌欄外のあらすじには、「これは『出世』と『物』、2つの【欲】の間で日々葛藤と悶絶を繰り返す戦国武将【古田織部】の物語である」と紹介されているそうだが、「武人の生き方」と「数寄者の生き方」の葛藤と言い換えることもできそうだ。そして、教科書的な歴史はあまり触れないことだが、戦国武将の大半は、この2つの人生の間で、ある者は悩み、ある者はバランスよく生きていたのではないかと思う。と、ここまで書いて思ったのは、いまのサラリーマンに「公(仕事)」と「私(趣味)」の2つの【欲】があることと、あまり変わらないかもしれない。私も、それなりの社会人人生の脇で、こうして読書と展覧会通いの欲を捨て切れずにいる。

 楽しいのは、同時代の芸術家たちが、次々に登場し、織部ら戦国武将たちと絡んで活躍することだ。戦国武将を主人公とする普通の歴史小説では、こうはいかない。登場してもチョイ役だろう。前半(織部の壮年期)には、千利休(宗易)、長次郎、長谷川等伯らが登場し、そろそろ中年を過ぎた現在は、岩佐又兵衛、本阿弥光悦が登場している。あ~なるほど、彼らの「世代差」って、こんな感じなのか、と実感する。織部、又兵衛、光悦が、便船を求めて朝鮮に渡るという10~11巻のエピソードには、荒唐無稽さに苦笑しながら、ひそかに快哉を叫んでしまった。続巻も楽しみである。
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