見もの・読みもの日記

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古い問題設定/日本人の階層意識(数土直紀)

2011-01-02 22:34:45 | 読んだもの(書籍)
○数土直紀『日本人の階層意識』(講談社選書メチエ) 講談社 2010.7

 はっきり言うと物足りない本だった。本書が素材としているのは、おなじみ「国民生活に関する世論調査」と「社会階層と社会移動調査(SSM調査)」である。

 前半では、「学歴には(収入と関係なく)階級帰属意識を高くする影響力がある」という事実が問題にされる。しかも、この30年間(1970年代→2000年代)、四年制大学への進学率は20パーセント台から50パーセント台に跳ね上がり、高学歴(大卒)の稀少価値は減少しているにもかかわらず、学歴が階級帰属意識を引き上げる影響力は上昇している。著者はこれについて、大卒者を「父親も大卒」グループと「父親は非大卒」グループに分けて比較した結果、前者のほうが高い階層帰属意識を持つことを示し、進学率の上昇により高学歴継承者が増えたことによって、学歴が指示する階層的地位により強くコミットする個人が増えた、と結論する。

 うーん。素人から見ても、なんか検証手続きが不満。まず、最新(2005年)のSSM調査において「大卒」に括られる対象者の年齢がバラバラ(20~70歳)で、大学進学率が低かった(大卒が稀少価値だった)頃に学生時代を過ごした人たちが多数含まれていることが忘れられているように思う。大学進学率と階層帰属意識の相関関係を調べるなら、対象グループが実際に進学~卒業・就職した時期の進学率がどうであったか、および、その意識が、社会人経験を積んだ後も保たれているか、あるいは変化していくか、という問題設定があるべきではないか。

 また、社会へ出て間もない若者が、父親の帰属階層=自分の帰属階層と認識するのは自然なことだが、父親を学歴で分けるより、その職業(社会的地位)や収入によって分けたほうが、もっと明確な影響関係が表れたのではないかと思う。

 前半の続き、地域と階層意識の考察でも、都道府県別の大学進学率と階層帰属意識の比較はあまり意味がないと思うなあ。もうちょっとミクロに、たとえばホワイトカラーの多い新興住宅地と、中小家内企業の従事者が多く大学進学率の低い地域をサンプルで比較するほうが有意味だったのではないだろうか。

 後半では、2005年のSSM調査が「望ましい配分原理」を聞いたところ、1位:努力、2位:実績、3位:必要、4位:平等だったという事実を紹介。実は、立ち読みでは、ここからが面白そうだったので、本書を購入したのである。しかし、著者が、日本人の「努力」好きを「チームプレーを強いられる社会」と結び付け、実績主義→個人プレーに短絡している感があることにも納得できない。努力至上主義の個人プレーもあれば、実績主義のチームプレーもあり得ると私は思うので。

 本書について、決定的な不満は、考察対象が「男性」に限られていることだ。1975年までのSSM調査が男性しか対象にしていないので仕方がないのだが、2010年に刊行する図書として、この内容で「日本人の階層意識」を名乗っていいのかは大いに疑問。それから、近年、ホワイトカラーの内部で増大している新しい格差、非正規雇用者の問題が、終章近くにようやく顔を出すだけというのも、全体を通じて問題設定が古すぎると思う。

 著者は、戦後数十年の急激な経済成長期に比べれば、今後は社会構造も安定し、メディアの発達によって、人々の社会全体に対する情報・知識も正しいものとなっていくだろうと述べているが、この点も私は全く同感できない。産業の情報化・グローバル化によって、社会構造はますます流動化しそうだし、「メディアの発達」は、時として必要以上に被害者意識の強い、誤った階層帰属意識を人々(特に若者)にもたらしているような気がする。新年から悲観的すぎるだろうか。
コメント
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