○小熊英二 『1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産』 新曜社 2009.7
下巻では、1968年以降の日本社会(70年代パラダイム)に大きな影響を与えた3つの個別テーマを論じる。「べ平連」「連合赤軍」そして「ウーマン・リブ」である。
この中で、最も感銘深く読んだのは「べ平連」だ。べ平連の活躍した67~68年、小学生だった私は、もちろんリアルタイムでこの奇妙な名前を覚えている。しかし、具体的な活動は理解していなかった。ギターを抱えてフォークソングを歌い、花束を渡しながら参加を呼びかける、という独特なデモのスタイルも、80年代の「お笑い」のネタでしか見たことがない。そんな私が、少し「べ平連」に興味を持ったきっかけは、同じ著者の『〈民主〉と〈愛国〉』(2002)だった。ただし、同書は「ベ平連の活動の記述については最低限にとどめた」と注されているように、鶴見俊輔と小田実の2人に焦点が絞られていて、「べ平連」総体の記述にはなっていない。むしろ、今年出た『戦後日本スタディーズ2:60・70年代』(2009.5)で、はじめて吉川勇一という名前を知り、同氏へのロングインタビューを読んで、”個人原理に立った大衆運動”という「べ平連」の基本理念に、強い共感を覚えた。
本書では、この理念が、具体的な場面で、どのような「強み」と「弱み」を発揮してきたかが語られている。68年の「6月行動」や69年の沖縄デーは、よくできた映画のワンシーンのようで、ぐっと胸を突かれるが、その一方、刺激を求める急進的な若者と年長メンバー(オールド・べ平連)の間で、たびたび軋轢が繰り返されていたことも描かれている。それにしても、吉川勇一さん、素敵な方だなあ。先日、紀伊國屋のトーク・セッションで、遠目にお姿を拝見できて嬉しかった。
「連合赤軍」は読んでいてつらい章だ。リンチ殺人の顛末が、あまりに凄惨だからというばかりではない。著者は、これまでの連合赤軍論――党組織の問題とか「理想」が陥る隘路とか「女」性の否定といった解釈に与しない。いずれの論者も、この事件に自分が見たいものを見ようとし、過大な意味づけを与え過ぎているのではないか、と苦言を呈する。実に身もフタもない話だが、そうかもしれないなあ、と思うところがある。
「リブ」はいちばん理解しがたい。男の言葉(論理、学問)を語ることを拒否して、女の言葉を探し続けた女たちは、最後は言葉を捨てて、肉体を重視する方向に行ってしまう。これって、意味のある運動だったのだろうか。「男の言葉」を十分に内在化してしまった女の私には、よう分からん。著者は、「言葉が見つからない」という苦悩には、全共闘運動の学生と共通する点があると指摘している。言葉というメディアは「伝統」を基盤としているから、ある程度、伝統を受け入れ、そこに参画する意思のない者には使いこなせないのだと思う。
こうして、1968年の叛乱には、結局、大した意味などなかったのではないか、という干からびた気持ちで、終章の「結論」に突入する。著者は、若者たちの叛乱とは「高度成長にたいする集団摩擦現象」であり、「日本が発展途上国から先進国に(略)脱皮する過程において必要とした通過儀礼」であったと結論する。それゆえ、真に社会を変革する運動とはならなかった。
挫折した大衆運動は、彼ら自身の「現代的不幸」から目をそらし、プロレタリアートの代用品としてマイノリティ(アイヌ、公害被害者、戦争責任など)の問題を探しあてる。これが「70年パラダイム」である。マイノリティへの注目には評価すべき点もあるが、マジョリティに訴える言葉の喪失と表裏一体だった(うーん、ここ厳しい!)。「70年パラダイム」が力を失いつつある今日、われわれは、あの時代の若者の失敗に学び、新しい社会運動(社会を変革する運動)を作り出していかなけれなならないのではないか。この提言は、やや紙数不足で説明足らずの感もあるが、重要だと思う。最後の最後に、もう一度、希望の光を見せてくれるあたり、本書の読後感は悪いものではない。
私なりに著者の提言を受けるとすれば、あまりにも「私」の言葉探しに収斂してしまう運動に、未来はないんじゃないかと思う。「個人原理」というのは、どこかで「社会」や「伝統、歴史」とつながっていなければ、生き延びられないのではないか…。
※補記:吉川勇一さんの個人ページを見つけた。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/

この中で、最も感銘深く読んだのは「べ平連」だ。べ平連の活躍した67~68年、小学生だった私は、もちろんリアルタイムでこの奇妙な名前を覚えている。しかし、具体的な活動は理解していなかった。ギターを抱えてフォークソングを歌い、花束を渡しながら参加を呼びかける、という独特なデモのスタイルも、80年代の「お笑い」のネタでしか見たことがない。そんな私が、少し「べ平連」に興味を持ったきっかけは、同じ著者の『〈民主〉と〈愛国〉』(2002)だった。ただし、同書は「ベ平連の活動の記述については最低限にとどめた」と注されているように、鶴見俊輔と小田実の2人に焦点が絞られていて、「べ平連」総体の記述にはなっていない。むしろ、今年出た『戦後日本スタディーズ2:60・70年代』(2009.5)で、はじめて吉川勇一という名前を知り、同氏へのロングインタビューを読んで、”個人原理に立った大衆運動”という「べ平連」の基本理念に、強い共感を覚えた。
本書では、この理念が、具体的な場面で、どのような「強み」と「弱み」を発揮してきたかが語られている。68年の「6月行動」や69年の沖縄デーは、よくできた映画のワンシーンのようで、ぐっと胸を突かれるが、その一方、刺激を求める急進的な若者と年長メンバー(オールド・べ平連)の間で、たびたび軋轢が繰り返されていたことも描かれている。それにしても、吉川勇一さん、素敵な方だなあ。先日、紀伊國屋のトーク・セッションで、遠目にお姿を拝見できて嬉しかった。
「連合赤軍」は読んでいてつらい章だ。リンチ殺人の顛末が、あまりに凄惨だからというばかりではない。著者は、これまでの連合赤軍論――党組織の問題とか「理想」が陥る隘路とか「女」性の否定といった解釈に与しない。いずれの論者も、この事件に自分が見たいものを見ようとし、過大な意味づけを与え過ぎているのではないか、と苦言を呈する。実に身もフタもない話だが、そうかもしれないなあ、と思うところがある。
「リブ」はいちばん理解しがたい。男の言葉(論理、学問)を語ることを拒否して、女の言葉を探し続けた女たちは、最後は言葉を捨てて、肉体を重視する方向に行ってしまう。これって、意味のある運動だったのだろうか。「男の言葉」を十分に内在化してしまった女の私には、よう分からん。著者は、「言葉が見つからない」という苦悩には、全共闘運動の学生と共通する点があると指摘している。言葉というメディアは「伝統」を基盤としているから、ある程度、伝統を受け入れ、そこに参画する意思のない者には使いこなせないのだと思う。
こうして、1968年の叛乱には、結局、大した意味などなかったのではないか、という干からびた気持ちで、終章の「結論」に突入する。著者は、若者たちの叛乱とは「高度成長にたいする集団摩擦現象」であり、「日本が発展途上国から先進国に(略)脱皮する過程において必要とした通過儀礼」であったと結論する。それゆえ、真に社会を変革する運動とはならなかった。
挫折した大衆運動は、彼ら自身の「現代的不幸」から目をそらし、プロレタリアートの代用品としてマイノリティ(アイヌ、公害被害者、戦争責任など)の問題を探しあてる。これが「70年パラダイム」である。マイノリティへの注目には評価すべき点もあるが、マジョリティに訴える言葉の喪失と表裏一体だった(うーん、ここ厳しい!)。「70年パラダイム」が力を失いつつある今日、われわれは、あの時代の若者の失敗に学び、新しい社会運動(社会を変革する運動)を作り出していかなけれなならないのではないか。この提言は、やや紙数不足で説明足らずの感もあるが、重要だと思う。最後の最後に、もう一度、希望の光を見せてくれるあたり、本書の読後感は悪いものではない。
私なりに著者の提言を受けるとすれば、あまりにも「私」の言葉探しに収斂してしまう運動に、未来はないんじゃないかと思う。「個人原理」というのは、どこかで「社会」や「伝統、歴史」とつながっていなければ、生き延びられないのではないか…。
※補記:吉川勇一さんの個人ページを見つけた。
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/