見もの・読みもの日記

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脱亜の反転/日本とアジア(竹内好)

2009-03-27 17:10:48 | 読んだもの(書籍)
○竹内好『日本とアジア』(ちくま学芸文庫) 筑摩書房 1993.11

 竹内好の名前には、さまざまな場面で出会ってきたが、私は、これが初めて読む著作になる。本書は、戦後まもなく(1948年)から60年代前半にかけての講演・著作集である。巻末の解題で加藤祐三氏が、最後に収録された学生に対する講演「方法としてのアジア」から読み始めるのが最適だと思う、と書いているのを先に読んでしまったので、そのアドバイスに従った。これは正解だったと思う。冒頭の「中国の近代と日本の近代」から読み始めたら、たぶん投げ出してしまったに違いない。

 著者はいう。近代化の過程には2つ以上の型があるのではないか。日本の近代化は1つの型ではあるけれど、唯一絶対の道とはいえないのではないか。そこに著者は、日本人が中国の文化や歴史を学ぶ意味を見出す。しかし、著者は、文化的な多元主義には立たない(←ここ重要!)。人間は等質である。近代社会というものは世界的に共通であり、「平等」とか「民主主義」は全人類的に貫徹されなければならない。それには、東洋が西洋の侵略に抵抗するのではなくて、「西洋をもう一度東洋によって包み直す」「東洋の力が西洋の生み出した普遍的な価値をより高めるために西洋を変革する」ことが必要だと説く。これが「方法としてのアジア」の謂いである。

 表題作「日本とアジア」は、1961年の著作。魯迅など、中国文学研究で有名な(と私は思ってきた)著者は、ここで意外な人物について語っている。福沢諭吉である。「脱亜」を掲げた福沢は、アジアの現状についてきわめて正確な認識を持っていた。ヨーロッパ列強に蚕食されるアジア隣国の運命は、明日の日本であるかもしれなかった。その切迫したレアリズムの中から、「亜細亜東方の悪友を謝絶」し、「西洋の文明国と進退を共に」するという選択肢が立ち上がってくる。福沢は、日本をアジアの一部と認識していたからこそ「あえて脱亜の目標をかかげたのだともいえる」。

 さて、「東京裁判は、日本国家を被告とし、文明を原告として、国家の行為である戦争を裁いた」。そうなのか。力ある者が、同盟者を「文明」の側に、敵対者を「反文明」の側に置きたがるのは、いまに始まったことではないのだな。「東京裁判の検事および裁判官(少数意見をのぞく)は、文明一元観の上に立っている。その文明観の内容は福沢とほぼ等しい」。つまり、近代日本の初発の時期に、欧化主義者たちが必死でつかみ取ろうとしていた、近代ヨーロッパの古典的文明観である。「それならば被告である日本国家の代表たちは、原告である連合国を通して福沢そのものに告発されていると見るべきであろうか」。私は、この留保つきの告発を、きわめて重要なものとして受け取った。

 けれども、現実の戦後日本に起きたことは、「近代主義者」も「日本主義者」も一緒になって「日本イコール西欧」を謳歌するという、「天下泰平の空前の文明開化時代」(エセ文明時代)の再来だった。まことに、これでは福沢の立場がないと思う。同様に、もうひとりの印象的な明治の思想家、アジアは屈辱において一つである(あらねばならぬ)と考えた岡倉天心も、「大東亜共栄圏」の先覚者だったかのように、曲解されて今日に至っている。

 日本人が敗戦によって失ったのは「明治以来つちかってきたアジアを主体的に考える姿勢である」と著者はいう。「侵略はよくないことだが、しかし侵略には、連帯感のゆがめられた表現という側面もある。無関心で他人まかせでいるよりは、ある意味では健全でさえある」(日本人のアジア観、1964年)というのは、毒気の多い言葉だが、見逃しがたい真実を含んでいると思う。

 また、「日本人の多くは今日、日本が無名の師をたたかったことに屈辱を感じている。無名の師では肉親である『英霊』も救われず、したがって自分も救われないのだ。戦争から『何ごとも学ばず』に進歩に乗りかえることは、『進歩的な文化人』ならできるが自分たちにはできないと思っている。これが新しい反動化の思想的温床であることは疑いない」(アジアにおける進歩と反動、1957年)というのは、まるで今日の日本を予言したかのようだ。ここでも「進歩」「反動」「進歩的な文化人」という発言には、なかなか複雑な(著者の個性と時代思潮に基づく)プラスとマイナスの絡み合った評価が込められている。慎重に向き合って読みたい評論集である。
コメント
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