○原克『アップルパイ神話の時代:アメリカ、モダンな主婦の誕生』 岩波書店 2009.2
「はじめに」の冒頭3パラグラフを読むだけで、本書の主題と方法は容易に把握できる。過不足のない、実に気持ちいいほど明晰な説明を、さらに無理やり要約すれば以下のとおりだ。
20世紀前半の米国、「モダンな主婦」という神話が仕掛けられた。モダンな主婦とは、最新の電気製品を難なく使いこなし、家事を合理的に遂行する「できる女」と、夫や子供に無償の愛をそそぐ「かわいい女」の二本柱でできている。どちらが欠けてもいけない。そのもっとも完成された姿は「完璧なアップルパイを焼く主婦」であり、この「アップルパイ神話」(お袋の味神話)こそ、現在の「主婦」像の生みの親なのである。
本書は、上記の仮説をポピュラー系科学雑誌および女性向け家庭雑誌の「語り口」によって検証していく。「物証」として、いちばん多く取り上げられているのは商品広告である。数枚の写真とセリフまたは説明で構成された、短いマンガ(あるいは紙芝居)仕立てのものが多い。夫のYシャツの汚れが落としきれなかった不甲斐なさに涙する妻。でも○○石鹸を使えば、もう安心。甘ったるいサラダ(なんだ、それ?!)にダメ出しをする夫と息子。でも○○社の無糖ゼラチンを使えば、夫は大喜び。妻に「世界の料理チャンピオン」と書かれたブルーリボンを進呈する、等々。実に分かりやすい、微笑ましいほど臆面もないメッセージだ。
著者によれば、「モダンな主婦」の完成形「ミス・アメリカンパイ」は1950年代に全貌を現すという。それは「豊かで強い国アメリカ」「あたたかく無償の愛に満ちた20世紀型米国家庭」の幻想と表裏を成していた。現実には、朝鮮戦争、アフリカン・アメリカン系住民の苦難など、幻想は破られつつあったにもかかわらず。
著者は「モダンな主婦」であることを要請された女性たちに同情的である。けれども本書は、要請される「客体」としての女性/要請する「主体」としての男性というような、ありがちな二分法からは限りなく遠い。著者は、自分の分析対象が「20世紀前半」「米国」「白人中流社会の女性」という限定つきの歴史的事例であることを強く意識している。また「お袋の味」幻想は、女性たちを「かわいい女」に追い込んでいくだけでなく、男性たちの食欲を「お袋の味」という「仮構された規範」に追い込んでいくことも鋭く指摘している。私が本書を最後まで興味深く読めたのは、この点が大きいのではないかと思う。
「はじめに」の冒頭3パラグラフを読むだけで、本書の主題と方法は容易に把握できる。過不足のない、実に気持ちいいほど明晰な説明を、さらに無理やり要約すれば以下のとおりだ。
20世紀前半の米国、「モダンな主婦」という神話が仕掛けられた。モダンな主婦とは、最新の電気製品を難なく使いこなし、家事を合理的に遂行する「できる女」と、夫や子供に無償の愛をそそぐ「かわいい女」の二本柱でできている。どちらが欠けてもいけない。そのもっとも完成された姿は「完璧なアップルパイを焼く主婦」であり、この「アップルパイ神話」(お袋の味神話)こそ、現在の「主婦」像の生みの親なのである。
本書は、上記の仮説をポピュラー系科学雑誌および女性向け家庭雑誌の「語り口」によって検証していく。「物証」として、いちばん多く取り上げられているのは商品広告である。数枚の写真とセリフまたは説明で構成された、短いマンガ(あるいは紙芝居)仕立てのものが多い。夫のYシャツの汚れが落としきれなかった不甲斐なさに涙する妻。でも○○石鹸を使えば、もう安心。甘ったるいサラダ(なんだ、それ?!)にダメ出しをする夫と息子。でも○○社の無糖ゼラチンを使えば、夫は大喜び。妻に「世界の料理チャンピオン」と書かれたブルーリボンを進呈する、等々。実に分かりやすい、微笑ましいほど臆面もないメッセージだ。
著者によれば、「モダンな主婦」の完成形「ミス・アメリカンパイ」は1950年代に全貌を現すという。それは「豊かで強い国アメリカ」「あたたかく無償の愛に満ちた20世紀型米国家庭」の幻想と表裏を成していた。現実には、朝鮮戦争、アフリカン・アメリカン系住民の苦難など、幻想は破られつつあったにもかかわらず。
著者は「モダンな主婦」であることを要請された女性たちに同情的である。けれども本書は、要請される「客体」としての女性/要請する「主体」としての男性というような、ありがちな二分法からは限りなく遠い。著者は、自分の分析対象が「20世紀前半」「米国」「白人中流社会の女性」という限定つきの歴史的事例であることを強く意識している。また「お袋の味」幻想は、女性たちを「かわいい女」に追い込んでいくだけでなく、男性たちの食欲を「お袋の味」という「仮構された規範」に追い込んでいくことも鋭く指摘している。私が本書を最後まで興味深く読めたのは、この点が大きいのではないかと思う。