見もの・読みもの日記

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永井荷風のシングル・シンプル・ライフ(世田谷文学館)

2008-02-23 23:48:32 | 行ったもの(美術館・見仏)
○世田谷文学館 企画展『永井荷風のシングル・シンプル・ライフ』

http://setabun.jp/exhibition/kafu/

 上に貼ったのは、この企画展トップページのURLである。開いてみると、白磁金彩のコーヒーカップと、皿にのったクロワッサンの写真。「<ひとり>の悦楽、戦略としてのエロス、老いへの周到な準備」という絶妙のキャプション。そして、写真の説明として、荷風の日記『断腸亭日乗』大正8年1月1日の冒頭、「正月元旦。曇りて寒き日なり。九時頃目覚めて床の内にて一碗のショコラを啜り、一片のクロワサンを食し、昨夜読残(よみのこし)の『疑雨集』をよむ。」とある。なんだ、この公営の文学館らしからぬオシャレなつくりは!!と思って、誘い出されて、見に行った。

 人によって、永井荷風(1879~1959)のイメージは、さまざまだろう。私は『腕くらべ』『おかめ笹』など、色町に残る江戸情緒の世界から接近した。西欧文化への若々しい憧憬に満ちた『ふらんす物語』『あめりか物語』を読んだのは、比較的、近年のことである。また、(当然だけど)ただの遊び人ではなくて、漢詩文から西欧の最新文学まで、幅広い教養を持ち、森鴎外と上田敏の推薦で慶応大学文学科教授に就任、「三田文学」の初代編集長をつとめたということも、実は、最近、認識した。

 生涯独身で、中年期は麻布の偏奇館(戦災で焼失)、晩年は市川に独居したことは、なぜか早い時期から知っていた(私は市川の隣の小岩育ちだったので)。けれど、家族を持たない”ひとり暮らしのおじさん”というのが、中学生くらいだった私には、よく飲み込めなかった記憶がある。いや、80年代、大学生になってもそうだった。巨額の貯金通帳を鞄に入れて持ち歩いていたとか、小岩の赤線に出没していたとか、晩年のエピソードは、普通に考えて”こうはなりたくない”と思うものばかりだった。

 ところが、2008年の今、気が付けば、ひとり暮らしのおじさんもおばさんも、街にあふれている。そこで、持田敦子氏の著書『朝寝の荷風』に基づき、都市的独身生活の真髄を学ぼうというのが、本展のコンセプトである。規模の点では、昨年の江戸博の『漱石展』に比ぶべくもないが、荷風の原稿・書簡・写真・日用品、あるいは当時の風俗を伝えるレストランのメニューやカフェのマッチなど、多様な資料で構成されていて、面白かった。

 ただ、荷風の独身生活は、私が子どもの頃に思ったほど悲惨なものではなかったとしても、あんまり理想化するのも間違いではないかと思う。会場には、戦後、荷風が使用した炊事道具や食器が展示されていたが、戦後~昭和30年代の日本の一般家庭と同様、使い込まれた質素なものばかりだった。決して、上記のイメージ写真のような、シャレた洋食器の朝食で一生を過ごしたわけではない。

 会場で、いちばん私の目を引いたのは、死の前日まで書き続けた日記『断腸亭日乗』の現物である。38歳から40年にわたって書き継いだわけだから、当然といえば当然だが、物理的形態が(紙の質、罫線の有無)少しずつ変化しているのを面白いと思った。戦時中は、いつでもすぐに持ち出せるよう、書類箱に入れて枕元に置いていたそうだ。おかげで、偏奇館の蔵書は焼けてしまったけれど、この日記だけは助かって、本当によかった。

 荷風が孤独な生涯を終えたとき、死の床には、尊敬する森鴎外の『渋江抽斎』が開いてあったという。これには、ちょっと参った。鴎外を、そこまで本気で敬愛していたのか。死を覚悟したら、私なら何の本を枕辺に持ち込むかなあ。まだ決められない。
コメント
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