見もの・読みもの日記

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文楽・冥途の飛脚(国立劇場)

2008-02-24 23:28:04 | 行ったもの2(講演・公演)
○国立劇場 2月文楽公演『冥途の飛脚』

 2006年に、10年ぶりくらいで文楽公演を見て、やっぱり面白いなあ、また以前のように劇場に通おう、と思ったが、なかなか果たせない。結局、昨年2月の『摂州合邦辻』以来、1年ぶりの文楽である。

 大阪淡路町の飛脚問屋・亀屋の養子跡取りである忠兵衛は、近頃、遊女梅川と深い仲になり、養母や手代に黙って、店の金をつぎ込むまでになっている。忠兵衛の行状を案じた友人・八右衛門は、梅川ら遊女たちの前で、忠兵衛を悪しざまにののしり、彼が遊里に近づけなくなるよう、仕向けた。ところが、逆上した忠兵衛は、金のあるところを見せようとして、預かり物の公金の封印を切ってしまう。

 登場人物に悪人はひとりもいないのに、必然のように悲劇は起こる。あえて言うなら、忠兵衛本人の弱さと優しさと無分別が、悲劇の原因なのである。この役どころ、現代なら、オダギリ・ジョーあたりかなあ、などと考えていた。淡路町の段→封印切の段→道行相合かご、と短い時間に凝縮された人間ドラマだが、羽織落としに登場する野犬とか、禿(かむろ)による三味線の弾き真似とか、華やかな見どころもあって、深刻になり過ぎないところがよい。

 私が、この演目を初めて見たときの忠兵衛は、吉田玉男さんだった。”封印切り”というのが、具体的にどう演じられるものなのか、皆目見当のつかない中で、忠兵衛と八右衛門の激しい応酬のあと、一瞬の静寂をおいて、チャリン、という小判の音が響き渡ったときの驚愕と緊張は忘れられない。続いて、硬直した姿勢の忠兵衛のふところから、シャーッという摩擦音とともに流れ下る小判。運命が悲劇に向かって、砂のように崩れ出す瞬間だった。このとき、忠兵衛の後ろで顔色ひとつ変えることのなかった吉田玉男さんが、強い印象に残っている。

 今回は久しぶりに床に近い席が取れたので、大夫さんと三味線の表情がよく見えて嬉しかった。「封印切」は綱大夫と鶴澤清二郎。三味線の清二郎さん、いいなあ。綱大夫さんはもちろん定評のあるところだが、「淡路町」(~羽織落とし)を語った英大夫さんって、こんなに上手い方とは認識していなかった。何しろ1年に1演目聴きにいくだけじゃ、なかなか会えない大夫さんも多いのである。

 プログラムの冒頭エッセイを、売れっ子の茂木健一郎氏が書いていた。ドイツ人に勧められて、初めて文楽を見たという。「圧倒的な体験だった」という。そうでしょう、そうでしょう、とうなづく。でも茂木健一郎氏が「衝撃」を受けたという『夏祭浪花鑑』は、これだけ文楽に通って20余年、私はまだ一度も見たことがないのである。くやしい。
コメント
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