見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

雪の近畿周遊(1):唐招提寺

2008-02-10 20:58:40 | 行ったもの(美術館・見仏)
○唐招提寺(奈良県奈良市)

 いま、京都駅前のネットカフェ。三連休のところ、昨日の午後は仕事が入ってしまったので、夕方、東京を発った。雪の影響で新幹線が止まるんじゃないかと危ぶまれたが、予定より30分ほどの遅れで奈良着。尼ヶ辻のビジネスホテルに泊まった。

 せっかく西の京に泊まったので、朝は雪道を歩いて唐招提寺へ。右手には、広いお濠に囲まれた垂仁天皇陵。鬱蒼とした木立に降った雪は、あらかた落ちてしまったようだが、田道間守の墓とされる小島は、すっぽり雪に埋もれていた。

 やがて見えてきたのは、大きなプレハブ(?)舎。唐招提寺に来るのは久しぶりである。前回は「金堂平成大修理事業」が始まる直前のはずだから、たぶん平成12年(2000)のことだ。正面の門を入ると、金堂があった(ある)はずの場所には、大きな覆い屋が建っている。殺風景な覆い屋の中に入ると、金網と足場の鉄骨越しに、金堂の建物が覗ける。雪のせいか、休日のためか、作業員の姿はなかった。

 覆い屋の裏にまわると講堂。細長い堂内には、多くの寺宝・仏像が並んでいた(東寺の講堂=立体曼荼羅の雰囲気)。「唐招提寺」の勅額(孝謙天皇筆。無駄を削ぎ落とした細身の行書)や諸仏の顔とお姿を見て、たちまち東博の『唐招提寺展』の記憶がよみがえってきた(だが、不思議と、この講堂で拝観した記憶が戻ってこない)。本尊の弥勒菩薩は、周囲を圧する堂々たる巨像。ただし本尊だけが鎌倉時代で、他は全て奈良時代の作である(400年以上も先輩の諸像に囲まれているんじゃ、本尊もやりにくいだろうな、と思う)。

 本尊の左右には、子供がやっと隠れられるくらいの厨子が置かれていて、それぞれ、秘仏の千手観音と薬師如来が収められているという。2つの厨子の四方は、四天王と帝釈天、梵天らが厳粛に固めている。この講堂、一見した場合の本尊は弥勒仏だが、実は2つの厨子のほうが重きを成しているように思った。私は、素朴な初々しさを感じる吉祥天像が好きだ。

 新宝蔵に久しぶりに寄る。まず仏頭、首のない如来形立像(唐招提寺のトルソー)、唐風の濃厚な木彫立像群、という構成は変わっていない。しかし、このところ近代的な博物館の”演出”のもとで仏像を見ることに慣れてしまった目には、あれっと思うような記憶との齟齬があった。この新宝蔵は、今日ふうのスポットライト(タングステン照明)を使っていないので、印象が平板なのである。でも、以前は”平板”と感じなかったはずなのに。濃い味付けに馴らされて、味覚の鋭敏さを失っていくみたいで、ちょっと不安である。

 それにしても、表面の乾漆が剥がれ落ちた仏頭は、人間なら、皮膚や肉を削がれて骨がのぞいているような無残な姿である。にもかかわらず、相貌の高貴さは失われていない。別の菩薩形立像は、顔から胸部の半分以上を破壊されて、それでも立っている姿は、さながらターミネーターのようだ。全身が赤錆色に劣化(?)し、焼死体を思わせる菩薩形立像もある。かなり怖い。全てのものは朽ちゆく、と静かに脅されているようで、「九相図」みたいだ。

 気分を変えて、受付のおばさんに「いま、金堂の仏様はどちらにいらっしゃるんですか」と聞いてみたところ、金堂の左(東)の仮設修理所に収容されているそうだ。解体された千手観音の腕3本が新宝蔵内に展示されている。「今しか見られないから、よく見ておきなさい」と促された。また、金堂修復中のため、代わりに、これまで入れなかった講堂内部を公開しているのだという。道理で、講堂内部の記憶がなかったわけだ、と納得した。

2008/02/11追加更新:講堂の瓦に積もる雪





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