見もの・読みもの日記

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兄おとうと/乾山の芸術と光琳(出光美術館)

2007-12-12 23:55:16 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 『乾山の芸術と光琳』

http://www.idemitsu.co.jp/museum/

 江戸時代中期、京都のやきもの界に一大革命を起こした尾形乾山。とは言え、実兄が偉大すぎて「光琳の弟」と思われるのは致し方ないところ。本展も、兄の光琳や従兄弟の楽宗入など周辺の人物をからめつつ、乾山の生涯と作品を紹介したものである。

 会場の冒頭には、『先哲像伝』という書物から取った乾山と光琳の肖像が掲げてある。兄の光琳は福々しい丸(四角?)顔。弟の乾山はやや面長。そのあとに、寒山拾得像を描いた絵皿(光琳筆・乾山作)が展示されており、寒山を光琳、拾得を乾山になぞらえる説が紹介されている。なるほど、二人の顔かたちは似顔絵に一致する。帰ってから、いろいろ調べてみたが、遊び人の光琳=寒山(叡智を象徴する巻物を持つ)、内省的な乾山=拾得(実践を象徴する箒を持つ)という対比もよく出来ている。

 兄弟の人となりを紹介する資料として、乾山筆・光琳宛ての書状が2通出ていたが、この仮名がすばらしく美しい。できれば焼きものに写して永遠に留めたい、と思うような絶品である。しかし、解説を読んだら、借金の整理のため、入質品を売却するよう勧める内容だそうだ。外見と中味のギャップに苦笑してしまった。このふたり、優雅な芸術家兄弟だと思っていたら、意外と苦労しているんだなあ。その原因を作ったのは、遊び人の光琳らしいが(→Wikipedia)。

 乾山の作品について、注目すべきことは「異国趣味」である。乾山は直指庵(へえ~当時は黄檗宗だったんだ)で参禅し「霊海」の号を授かった。この黄檗宗ネットワークを通じて、乾山は、中国陶磁器の技法を学び、当時の最先端、煎茶のための器らしきものも作っている。展示は、出光美術館の豊富な陶磁器コレクションを活かし、たとえば景徳鎮製の「氷裂文」絵皿と、乾山の『色絵石垣文角皿』を並べることで、乾山の「換骨奪胎」の手法がよく分かる構成になっている。

 「磁州窯写し」や「宋胡録(すんころく=タイのスコータイ陶器)写し」だけではない。オランダ磁器に学んだものさえある。しかし、いずれも亜流イミテーションではなく、似て非なる独創作品に生まれ変わっている。「天性のカラーリスト」乾山の個性を最もよく表わすのは、大胆で愉悦にあふれた色遣いであろう。

 乾山(1663~1743)は、実はかなり長生きをした。その長い人生の処し方もなかなか味わい深い。50歳から工房を街中に移し、大口の注文にも応じられるよう、生産の企業化を図った。その結果、たとえば10客揃いの向付や茶碗のセットも製作している。1客ごとに微妙に変わるデザインが心にくい。さらに70歳を過ぎて、江戸に転居。入谷で81歳の生涯を終えた。

 数ある乾山の作品の中で、いちばん気に入ったのは『色絵若松椿文枡鉢』。鉢の地色がいい。特別な色は何も使っていないのに「カラーリスト」の面目躍如なのである。そのほかは、楽宗入の2作品が目を惹いた。『黒楽茶碗:老いの友』は、何のへんてつもない黒茶碗だが、そこが銘と相まっていい。『三彩鉄線文皿』は、エナメルのような緑釉の丸皿に金色の鉄線(花)が描かれている。これが(基本的に赤と黒の茶碗しか作らない)楽家当主・宗入の作品!? クリスマス専用のお皿みたい! 光悦の『黒楽茶碗:村雨』は、本体のふところが妙に深くて、糸底がほとんど目立たない。そのアンバランスな感じが面白い。
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