京都旅行より帰宅。今回の目的のひとつは、久しぶりに京都市中の見仏スポットを、ゆっくり訪ね歩くことだった。3日間で訪ねた寺は以下のとおり。
■六波羅蜜寺
実は、この時期(12/13~大晦日)連日16:00から「空也踊躍念仏厳修」が行われている。内陣で、3人の僧侶(1人は帽子を被っていたけど僧形じゃないのかな?)が胸に下げた鐘を叩きながら、素朴な旋律にのせて名号を唱え、体を揺らして踊る。(上手く再現できないけど)「のぉ~お~、あぁみ~だ~」という繰り返しが耳に残った。最後は参拝客も一緒に名号を唱えたあと、内陣に下りて焼香を捧げ、寺僧からお札をいただく。うわ~一遍上人絵巻に描かれた「賦算」みたいだ、と思った。ここの宝物館では2体の地蔵菩薩が好き。運慶・湛慶像もいいなあ。
■東寺
久しぶりに南大門から入り、巨大な金堂を見上げて、中国・山西省に来たみたいだなあと思う(山西省には唐代の古建築が多く残っている)。講堂では、降三世明王の、少年のように張りのある肢体を美しいと思った。悪鬼を踏み敷いているのに、全く無駄な力が入っておらず、却って霊威を感じさせる。金堂は、いつも薄暗くて空疎な印象があったが、照明を新しくしたのだろうか、金色の薬師三尊がはっとするほど美しかった。薬師如来の台座を囲む十二神将もよく見えるようになった。
■広隆寺
広隆寺でいちばん好きなのは、巨大な不空羂策観音である。全体のプロポーションは生硬な印象があるのだが、八臂の手先が妙に色っぽい。後補なのかなあ。
■千本釈迦堂(大報恩寺)
六観音が揃っていることで有名。いずれも、うっとりするような宋風の美人である。私のあとに、先生に引率された学生らしいグループが入ってきた。博物館学の実習だろうか。収蔵庫の条件について説明した先生が「ちょっと暗いなあ」と、壁のスイッチを探った。すると、天井のライトが点灯し、展示室が全く違う表情に一変。「これはタングステン照明ですね。タングステンを使うとコントラストが強くなる。蛍光灯だけだと平板な印象になるので、展示室を兼ねた収蔵庫は、蛍光灯とタングステンを併用するのが一般的です。特に仏像などは、タングステンを使うほうがいい」と説明をされていた。なるほど。いや、全然印象が違う。赤みを帯びた体躯が生き生きと見えるし、鎌倉彫りみたいな複雑な文様の光背も美しさが際立つ。「この六観音は、全て定慶(鞍馬寺の聖観音の作者→これも私は好きだ!)作となっているけど、定慶作は准胝(じゅんてい)観音のみ。全て作風が違うでしょ」「こっちの釈迦十大弟子像は全て快慶作とあるけど、はっきりしているのは目犍連(もくけんれん)だけ」とか、興味深いお話を立ち聞きさせていただいた。受付のおじさんに聞いたら、京都産業大の先生の由。ありがとうございました。
■三十三間堂
ここの二十八部衆はいつ見てもいい。むかしは、迦楼羅王とか難陀竜王とか、異形の者たちに惹かれたが、今回は、摩和羅女(まわらにょ)と婆藪仙人(ばすせんにん)のリアリズムに骨の髄まで圧倒された。風神・雷神もいい。とりわけ、三次元的な空間の使い方に優れているのは風神だと思う。ところで、風神の真横から覗くと、二十八部衆が一直線に並んで、はるか彼方に小さく雷神の姿が見えることを、初めて発見した。
クリスマス連休なので、お寺は閑散としているかと思ったら、そうでもなかった。でも修学旅行生が少ないせいか、どこも静かで、心安らかに見仏できた。ありがたや。合掌。
■六波羅蜜寺
実は、この時期(12/13~大晦日)連日16:00から「空也踊躍念仏厳修」が行われている。内陣で、3人の僧侶(1人は帽子を被っていたけど僧形じゃないのかな?)が胸に下げた鐘を叩きながら、素朴な旋律にのせて名号を唱え、体を揺らして踊る。(上手く再現できないけど)「のぉ~お~、あぁみ~だ~」という繰り返しが耳に残った。最後は参拝客も一緒に名号を唱えたあと、内陣に下りて焼香を捧げ、寺僧からお札をいただく。うわ~一遍上人絵巻に描かれた「賦算」みたいだ、と思った。ここの宝物館では2体の地蔵菩薩が好き。運慶・湛慶像もいいなあ。
■東寺
久しぶりに南大門から入り、巨大な金堂を見上げて、中国・山西省に来たみたいだなあと思う(山西省には唐代の古建築が多く残っている)。講堂では、降三世明王の、少年のように張りのある肢体を美しいと思った。悪鬼を踏み敷いているのに、全く無駄な力が入っておらず、却って霊威を感じさせる。金堂は、いつも薄暗くて空疎な印象があったが、照明を新しくしたのだろうか、金色の薬師三尊がはっとするほど美しかった。薬師如来の台座を囲む十二神将もよく見えるようになった。
■広隆寺
広隆寺でいちばん好きなのは、巨大な不空羂策観音である。全体のプロポーションは生硬な印象があるのだが、八臂の手先が妙に色っぽい。後補なのかなあ。
■千本釈迦堂(大報恩寺)
六観音が揃っていることで有名。いずれも、うっとりするような宋風の美人である。私のあとに、先生に引率された学生らしいグループが入ってきた。博物館学の実習だろうか。収蔵庫の条件について説明した先生が「ちょっと暗いなあ」と、壁のスイッチを探った。すると、天井のライトが点灯し、展示室が全く違う表情に一変。「これはタングステン照明ですね。タングステンを使うとコントラストが強くなる。蛍光灯だけだと平板な印象になるので、展示室を兼ねた収蔵庫は、蛍光灯とタングステンを併用するのが一般的です。特に仏像などは、タングステンを使うほうがいい」と説明をされていた。なるほど。いや、全然印象が違う。赤みを帯びた体躯が生き生きと見えるし、鎌倉彫りみたいな複雑な文様の光背も美しさが際立つ。「この六観音は、全て定慶(鞍馬寺の聖観音の作者→これも私は好きだ!)作となっているけど、定慶作は准胝(じゅんてい)観音のみ。全て作風が違うでしょ」「こっちの釈迦十大弟子像は全て快慶作とあるけど、はっきりしているのは目犍連(もくけんれん)だけ」とか、興味深いお話を立ち聞きさせていただいた。受付のおじさんに聞いたら、京都産業大の先生の由。ありがとうございました。
■三十三間堂
ここの二十八部衆はいつ見てもいい。むかしは、迦楼羅王とか難陀竜王とか、異形の者たちに惹かれたが、今回は、摩和羅女(まわらにょ)と婆藪仙人(ばすせんにん)のリアリズムに骨の髄まで圧倒された。風神・雷神もいい。とりわけ、三次元的な空間の使い方に優れているのは風神だと思う。ところで、風神の真横から覗くと、二十八部衆が一直線に並んで、はるか彼方に小さく雷神の姿が見えることを、初めて発見した。
クリスマス連休なので、お寺は閑散としているかと思ったら、そうでもなかった。でも修学旅行生が少ないせいか、どこも静かで、心安らかに見仏できた。ありがたや。合掌。