見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

年の瀬京都旅行:応挙・蘆雪の墓参り

2007-12-25 23:14:54 | 行ったもの(美術館・見仏)
 昨年、奈良県立美術館の『応挙と蘆雪』展のあと、展示図録を読んで、両人の墓所がいずれも京都市中にあることを知った。物好きだが、一度墓参りをしてみたいと思っていた。

 円山応挙の墓のある悟真寺は、太秦の広隆寺の近くだという。事前にチェックしたのは「世界恩人巡礼大写真館」と題した個人サイト。かなり分かりにくい場所らしいので、覚悟を決めて出かけた。

 広隆寺の東隣のブロックには、普通の住宅が並んでいる。悟真寺は、この中ほどにあるらしいのだが、どこから入っていいのか、よく分からない。南側と東側は、幼稚園の門に阻まれてしまった。そこで、西側の細い路地に入る。すぐ左手は広隆寺の塀だ。右手に幼稚園の門扉が見えてきた。鍵がかかっていないのを幸い、留め金をはずして侵入する。日曜日のため、全く人影がない。

 寺の本堂らしき建物を目指して進むと、激しく犬に吠え立てられた。犬の声に気づいて、人が出てこないかとしばらく待ったが、誰も現れる様子がないので、びくびくしながら奥へ進む。住宅街に囲まれた、猫の額ほどの狭い墓地。さあて、応挙の墓はどこだろう?と思ったら、足元に「圓山家墳墓」と刻まれた小さな墓石が蹲っていることに気づいた。視線を上げると、正面の屋根で覆われた墓石に「源応挙墓」とある。

 いろいろ事情はあるのだろうが、簡単な案内板くらい設置してあげてもいいのに。これでは訪ねる人も少なかろう。門弟千人といわれた応挙先生の現今の境遇に同情しながら手を合わせ、ますます猛り狂う犬の吼え声に急かされて、早々に退散した。



 次は、長沢蘆雪の墓。こちらは、北野商店街振興組合はじめ、いくつかのサイトに紹介されている。北野白梅町から少し歩いて、御前通を南に下ると、左手(東側)に回向院がある。写真のとおり、門前に「蘆雪の墓当寺にあり」という大きな石柱が立っているので、間違える心配はない。ここも敷地は狭いが、市中の寺らしく墓参客が多いのだろう、手入れが行き届いていて、気持ちよかった。「大隠は市井に隠れる」を思わせる、蘆雪に似合いの終の棲家である。

 ちなみに門前の石柱の裏面には「明治二十九年二月 市原平兵衛建立」と刻まれていた。市原平兵衛って誰だろう?と思って調べてみたら、堺町通四条に「市原平兵衛商店」という箸の老舗があるらしい。同一人物か否かは未確認である。


コメント (1)
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