「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

「歌が巧くて素敵な声の持ち主」の共通点とは

2024年06月15日 | 音楽談義

日本歌曲といえば「島田祐子」さんで決まりと思っている。その声を聴いているとまるで母親の胎内で羊水に浸っているような懐かしい感覚を覚えるのだから不思議(笑)。

CD全集(5枚組)も持っているが、このところ手っ取り早く「You Tube」で楽しんでいる毎日だが、ふと「歌が巧くて素敵な声の持ち主には共通点があるのではないか」と思い至った。

たとえば顔の造作について。

      

左からずらっと並べたのは「美空ひばり」、「五輪真弓」、そして「島田祐子」さんで、歌唱力に定評のあるこれら3名の共通点として気付くことはどちらかといえば、ややエラが張った幅の広めの顔の持ち主ばかりだとは思いませんか?

こういう顔立ちは歯並びが良くて「咀嚼力」(ものを噛む力)が強いだろうし、咽頭部が丈夫そのもので「声帯」も強靭で大きそうな気がする・・・。

そういえば世紀のソプラノ歌手(コロラトゥーラ)として名を馳せた「エディタ・グルベローヴァ」(当たり役はオペラ魔笛の「夜の女王」)だって同じような顔立ちに見える。

              

ちなみに、政治家でも一般的に細面よりも幅の広い顔の方が「向き」
とされているが、見た目の安心感とともに安定した声が有権者の心を獲得しやすいのかもしれない。

まあ、これは例外もあるしすべての歌手に該当する話でもないがご参考までに提示してみた。

それはさておき、島田祐子さんの声があまりにも素晴らしいので、我が家の近くにお住まいで「歌心」の有る知人の「I 」さんにCDを貸してあげたことがある。

「I」さんは生粋の地方政治家だが、7年ほど前にご自宅の80坪ほどの集会用の地下室に置くために我が家の余ったオーディオシステム一式を貸し出している。

グッドマンのエンクロージャーに入った「フィリップスのフルレンジ」(口径30センチ:アルニコマグネット)が朗々と鳴っており、貸した後で「しまった!」と臍(ほぞ)を噛んだ(笑)。

余談になるが「いずれ回収しないと・・」と内心密かに思っているが、どちらが先に くたばるか 生存競争の様相を帯びているのが実状だ(笑)。


で、そのときに広い部屋で鳴らすのと狭い部屋とでは音質に雲泥の違いがあり、「色の白いは七難隠す」ではないが「部屋の広いは七難隠す」ことを痛感したことだった。

その「I 」さんからメールが届いた。

「島田祐子さんのCDありがとうございました。さっそく聴かせていただきましたが、まるで心が洗われるようで日本人に生まれて良かったとつくづく思いましたよ。それにどの曲も詩的でとても言葉が美しい。とりわけ”あざみの歌”には感激しました。ぜひ他の4枚のCDも貸してください。」

「あざみの歌」は戦後の昭和25年、信州の諏訪湖畔で暮らした横井弘が人生観を「あざみの花」に託した歌詞に「八州秀章」が作曲したものであるとライナーノートに記されていた。

スコットランドの国花「あざみ」 → 

それでは、その美しい歌詞の余韻に浸りつつ終わりとしよう。

山には山の 愁いあり 海には海の 悲しみや ましてこころの 花園に 咲きしあざみの花ならば

高嶺の百合の それよりも 秘めたる夢を ひとすじに くれない燃ゆる その姿 あざみに深き わが想い

いとしき花よ 汝(な)はあざみ こころの花よ 汝(な)はあざみ さだめの径(みち)は 涯(は)てなくも 香れよせめてわが胸に



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ゆれるマナー~読書コーナー~

2024年06月14日 | 読書コーナー

世の中には「マナー」を軽視する方もいらっしゃるようだが、人間が社会で寄り添って生きていくためには最低限の必要なルールだと思っている。

ただし、はたして正しいマナーが自分に身に付いているかどうかはあまり自信が無いので
、マナー関係の本を見つけるとすぐに借りてくる。



本書には「食のマナー」をはじめ「人付き合い」「身だしなみ」「恥じらい」「季節を感じる」「旅」「自然と格闘する」「命と向き合う」「道なき道を行く」「生活を楽しむ」「もったいない」「気配り上手」「人生いろいろ」など多数の項目に亘って、9人の作家、エイッセイストが述べたもの。

いくつか実例を挙げてみよう。

☆ 登場人物の名前のマナー(216頁)

「先日、テレビ番組で本名が「半沢直樹」だという男性が病院などで名前を呼ばれる際に、周りがざわついて注目を浴びると言っていた。それは大変だろうなと、ちょっと笑ってしまったのだが、実在してもおかしくない登場人物の名前というのは、そうなる可能性を持っている。

そこまでの大ヒット作でなくても、こちらの書き様によって読む人が嫌な思いをするかもしれないパターンもある。物語には、ときにいけ好かない人物も必要だが、その人の名前が偶然にも自分と同じだったらどうだろう。

読んでいる小説の中にあなたと同じ名前の人が出てきたとして、そいつがろくでもない人間で、他人を傷つけることが屁とも思わないというような説明があったとしたら、なんだか嫌な気持ちになるんじゃないだろうか。

物語にも集中できないし、時間とお金を割いているのに損した気分になるかもしれない。そう思うと、たいしてこだわりがあるわけでもない登場人物の名前で読む人を不快にしかねないのは、作家としてはもったいないと思ってしまう。

もちろんそれを回避する方法はある‥、以下~省略」

という内容だったが、これで思いだしたことがある・・、何かの雑誌だったと思うがヨーロッパでの話。

「エマニエル」という名前のご夫人がいたが、病院などで「エマニエル様」と名前を呼ばれる際に、周囲の男性が思わず「ニヤリ」とするのが苦痛で、そのたびに目から火が出るほど恥ずかしい思いをする・・。



そうそう、昔「エマニエル夫人」という「R15」指定の艶っぽい映画がありましたね~、大好評で続編もあったはず~。

主演はたしか「シルヴィア・クリステル」じゃなかったかな・・、たしかに公衆の面前で呼ばれると恥ずかしくなる気持ちわかりますよ~(笑)。

次は・・、

☆ 会計のマナー(98頁)

「ドイツに行って驚いたことのひとつはワイングラスに100CCと200CCの線が必ずといっていいほどついていて、飲食店で飲み物を注文すると、線ピッタリの位置までワインが注がれて出されることだった。同じように、市販の紙コップにもあらかじめ線が記してある。

そう、彼らはキッチリしているのだ。キッチリ、同じ量を平等に提供する。これが彼らの矜持である。適当とか、いい加減は許されない。これがひとたびフランスやイタリアに行くとまったく様子が違ってくるのだから面白い。~中略~

週末ともなればレストランンに集まって家族や友人らが大きなテーブルを囲み、食事を楽しむ。そんな場面にわたしも何度か立ち会ったが、さすがドイツ人と感心するのは、お会計のときだった。

給仕さんは必ず「ツザーメン オーダー ゲトレント?」と聞いてくれる。これは会計をまとめてするのか、それとも別々に払うか?との確認で「ゲトレント」と答えれば、一人一人、自分が頼んだ飲み物と食べ物だけを支払う。

これを知って以来、日本の割り勘システムがどうも馴染めなくなった。お酒を多く飲んだ人の分を、少ししか飲んでいない人が補わなくてはいけない。不公平だ。曖昧さは日本の美徳でもあるけれど、ことお金に関することはキッチリしたいのである。だから、多く飲んだ人は自ら名乗り出て余計に支払い、周りの人のモヤモヤを払拭してほしい。ゲトレントのシステムが早く日本に広がることを願うばかりである」

ということでした。

個人的には「割り勘」システムで「不公平」の気持ちを持ったことはない・・、勘定の中に「その場の雰囲気を共有した」分まで含まれていると思うし、国民の大多数もそう思っているのではなかろうか。

その辺に、とかくキッチリと白黒をつけたがるドイツ人と雰囲気を大切にし、そしてそれに流されがちな日本人の国民性との違いが推し測られますね~。

本書にはほかにも面白いエピソードが縦横無尽に散りばめられていた。興味のある方はぜひご一読を~。



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敗者復活戦で予想外の収穫

2024年06月13日 | オーディオ談義

このところ毎日のように ああでもないこうでもない と弄り続けるスピーカーたち~。

オーディオをやってていちばん楽しいのはスピーカー周りの作業だと経験上承知していたが、これほど変化に富むとは・・(笑)。

そのそものきっかけは、長らく予備役に編入していた「AXIOM80」(復刻版)を復活させたことだった。

そして、期待に違わない大活躍~。



で、とりあえずこの画像が最終形となったが、落ち着く間もなく理想の低音を求めて実験開始。

まずは「口径20cm」のユニットが入ったスピーカをハイカット「85ヘルツ」で鳴らしてみたところ、見事に合格。



次に、口径25cmのユニットが入った大きめの箱でも試してみた。



これも悪くは無かったが低音がややボンつき気味で、オーケストラには向いてそうだが、総合力では「口径20cm」に軍配を挙げたくなるのであえなく追放。

とまあ、いろいろとスピーカー同士の優劣を判断しているとどうしても敗者が出てくるのは仕方がない。

したがって、敗者の行く先を決めてやるのも持ち主の責任である(笑)。

ところが、この「敗者復活戦」で予想外の収穫が・・、とりあえず記録しておくことにしよう。

まず、第一の収穫がこれ。



「AXIOM80」(復刻版)のせいで「冷や飯」を食う羽目になったJBLの「175ドライバー」をウェストミンスター(スーパー12:口径30cm内蔵)との2ウェイで鳴らしてみることにした。

クロスオーバーは、「スーパー12の」のハイカットを「700ヘルツ」(ムンドルフのコイル:1.8mh)、「175」のローカットを2000ヘルツに設定して聴いてみたところ、いかにも大型スピーカーらしい風格が漂ってきた。

「細かい事を ちまちま 言うな」といわんばかりのサウンドで、あらゆる音楽ソースを温かく包み込むような印象を受ける・・、想像以上に良くて思わずウットリの巻~。

次に、二番目の収穫・・。

「AXIOM80」のせいで、あえなく敗者の憂き目を見たワーフェデールの「スーパー10」。



重量級の大型マグネット(赤帯)によるハイスピード感は捨てがたいものがあって、このままだと「宝の持ち腐れ」に終わってしまう・・、何とか活用してやらないともったいない。

そこで、次の画像のように植木鉢に取り付けたまま、思い切って箱に放り込んでみた。



ただし、少しばかり「小細工」を弄(ろう)してみた。

☆ フルレンジとはいえ高音域に不足を感じたので、同じワーフェデールの「スーパー3」を載せてみた(別のアンプで駆動)。

 強力なマグネットを有するユニットは比較的低音が出にくい傾向がある・・、あのローサーしかり~。そこで「PL100」(ハイカット85ヘルツ)で補完。

 箱の下の方の開口部に「羽毛の吸音材」を挿しこんで、背圧を調整してみた。

そして、耳を傾けたところ・・、これは素晴らしい!

何ら欠点が見当たらない(笑)。

これら「二つの敗者復活戦」で、急に「AXIOM80」の影が薄くなってきたのはご愛敬。

まさに「主客転倒」だね、これは~、オッと「瓢箪(ひょうたん)から駒が出る」が正しいのかな~。

いずれにしても、専制君主(AXIOM80)の独裁体制は「好ましくない」のでこれでいい・・、我が家は円満で平和な民主主義体制なんだから~(笑)。


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モーツァルトが苦手な大指揮者

2024年06月12日 | 音楽談義

音楽評論家の「宇野功芳」氏といえばご存知の方が多いと思うが、あの独特の断定的な物言いがとても個性的で有名だ。

たとえばこういう調子。(「クラシックCDの名盤」から、デュ・プレが弾くエドガーの「チェロ協奏曲」について)

「67年、バルビローリの棒で入れたライブが最高だ。人生の憂愁やしみじみとした感慨に彩られたイギリス音楽に共通する特徴を備えるこの曲を、22歳になったばかりのデュ・プレが熱演している。第一楽章から朗々たる美音がほとばしり、ポルタメントを大きく使ったカンタービレは極めて表情豊か、造詣はあくまで雄大、ロマンティックな情感が匂わんばかりだ。」

こういう表現って、どう思われます?(笑)


クラシック通の間では評価が二分されており、「この人、またいつもの調子か」と やや嘲り をもって受け止める冷静派と、むしろ憧憬の念を持って受け止める熱情派と、はっきりしている。

自分はどちらかというとやや冷めたタイプなのでこういう大げさな表現はあまり肌に合わない。したがって前者の派に属しているが、まあ「死者に鞭打つ」ことは遠慮した方がよさそうだ

「宇野功芳」さん「ご逝去」の報に接したのは8年前のちょうど6月頃だった。
          

享年86歳、しかも老衰が原因となると「天寿」をまっとうされたのではあるまいか。合掌。

その宇野さんの遺作となったのが「私のフルトヴェングラー」(宇野功芳著)

                         

我が音楽人生の中でフルトヴェングラーには深い思い出があって、20代前半の頃はそれこそフルトヴェングラーに のめり込んだ ものだった。ベートーヴェンの「第九」「英雄」、そしてシューベルトの「グレート」・・・。

本書の15頁に次のような記述がある。

「今や芸術家たちは技術屋に成り下がってしまった。コンクール、コンクールでテクニックの水準は日増しに上がり、どれほど芸術的な表現力、創造力を持っていてもその高度な技巧を身に着けていないと世に出られない。フルトヴェングラーなど、さしずめ第一次予選で失格であろう。何と恐ろしいことではないか。

だが音楽ファンは目覚めつつある。機械的なまるで交通整理のようなシラケタ指揮者たちに飽き始めたのである。彼らは心からの感動を求めているのだ。

特にモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ブラームスなどのドイツ音楽の主流に対してもっと豊饒な、もっと深い、もっとコクのある身も心も熱くなるような演奏を期待しているのだ。

だからこそ死後30年も経ったフルトヴェングラーの音楽を必死になって追い求めるのである。実際に舞台姿を見たこともない、モノーラルレコードでしか知らない彼の音楽を熱望するのである。」

といった調子~。

クラシックのオールドファンにとって、黄金時代は「1950年代前後」ということに異論をさしはさむ方はまずおるまい。

綺羅星の如く並んだ名指揮者、名演奏家、名歌手、そして名オーケストラ。

随分昔のブログになるが「フルトヴェングラーとカラヤン」でも紹介したが、ベルリン・フィルのコントラバス奏者だったハルトマン氏がこう語っている。

「カラヤンは素晴らしい業績を残したが亡くなってまだ30年も経たないのにもうすでに忘れられつつあるような気がする。ところが、フルトヴェングラーは没後60年以上経つのに、未だに偉大で傑出している。<フトヴェングラーかカラヤンか>という問いへの答えは何もアタマをひねらなくてもこれから自ずと決まっていくかもしれませんよ。」

だがしかし・・。

本書の中で、フルトヴェングラーがもっとも得意としていたのはベートーヴェンであり「モーツァルトとバッハの音楽には相性が悪かった。」(23頁)とあったのに興味を惹かれた。

そういえばフルトヴェングラーにはモーツァルトの作品に関する名演がない!(強いて言えばオペラ「ドン・ジョバンニ」ぐらいだろう)


あの わざとらしさ がなく天真爛漫、 天馬空を駆ける ようなモーツァルトの音楽をなぜフルトヴェングラーは終生苦手としていたのか、芸風が合わないといえばそれまでだが・・・。

「モーツァルトを満足に振れない指揮者なんて認めない」というのが永年の持論だが、はてさてフルトヴェングラーをどう考えたらいいのだろう。

どなたか ご教示 をいただくとありがたいのですが・・。



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躍動するネットワーク

2024年06月11日 | オーディオ談義

前回のブログ「日々雑感」を投稿した後で思い付いたんだけど、あの独特のヴァイオリンの「妖しい音色と響き」って何だか禁欲的な色彩を帯びていませんかね・・。

したがって、演奏者自体もそういう傾向が見られる・・、たとえば「千住真理子」さん、「五嶋みどり」さんなどはいまだに独身だし、浮いた噂一つ聞かない。

おっと、諏訪内晶子や、前橋汀子などにはスキャンダルめいた話もありますね・・、まあ何ごとにも例外はあるようでして~(笑)。

さて、その妖しい音色と響きを持ったヴァイオリンの再生に秀でたスピーカーといえば、もう言わずもがなの「AXIOM80」~。

現在、我が家ではオリジナル版と復刻版の2ペアがフル稼働中・・。

使いだしてからもう20年以上になるのに日々新しい発見があるのだから、大いに楽しませてもらったという意味で完全に元を取りましたね(笑)。

これも「グッドマン社」(英国)がユニットづくりに専念し、箱を作らなかったことに起因するわけでその英断にはおおいに感謝~。

それにひきかえタンノイは・・、もう止めておこう、人を不快にするだけだからね~(笑)。

それでは前々回のブログ「二転、三転、そして四転」からの続きです。

以下、少々マニアックな話になるので不快感を覚えそうな方はここでストップして読み進まないようにね~(笑)。

で、前回のブログの最後の画像がこれでした。



取り越し苦労かもしれないが「地震の襲来」に備えて、安定性のある口径20cmのユニットが入ったスピーカーをハイカット「200ヘルツ」で鳴らしてみようという試みだった。

実際に聴いてみると、悪くはないんだけど・・、どうも「安っぽい響き」という印象を受けた、言い換えると音に深みが無い、思慮深さが感じられない・・、といったところかな~。

すぐに元に戻して・・、これで最終形といこう。



この高さなら、万一の揺れで「AXIOM80」が落っこちても何とか修復可能だろうし、第一、音も一番いい~。

これで「復刻版」は完成の域に達したので、次は「オリジナル版」の実験といこう。



「復刻版」にならって、低音域の「331ヘルツ」をオイルコンデンサーでローカットする。そして、ローカットした低音域を「PL100」(英国:モニターオーデイオ)で補完する。

その補完する帯域は、ムンドルフのコイル「6・8mh」により、およそ94ヘルツでハイカット。

この設定でワクワクしながら耳を澄ますと・・、いやあ驚いたねえ~(笑)。

画像でご覧のように小さなスピーカーなのに、ローエンドまでよく伸びている・・、まさに大きな図体の「ウェストミンスター」に匹敵するようなスケール感を醸し出すのだから、まさに「小さな巨人」だよ、これは~。

ま、そういうわけで「オリジナル版」の使い方は「331ヘルツ」でローカット、補完するスピーカーは「PL100」と「ウェストミンスター」の日替わりメニューで対応するようとしよう。

これにて「一件落着」といきたいところだが・・、踏ん切りの悪い粘着質タイプのオーディオマニアはどうしようもないものでして・・(笑)。

実は「復刻版」の低音域を補完する口径20cmのユニットの実験結果がどうも気になって仕方がない・・、もっと素敵な音が出るはずなんだけどなあ。

そこで、思い切ってコイルをもう1個追加して「6.8mh+8.2mh=15mh」によりハイカットを「200ヘルツ」から「85ヘルツ」へと変更して聴いてみた。

ところが・・、何とまあ前回とは様変わりで「安っぽい響き」が完全に消え失せたのである!

スッキリ爽やかで魅力的な音に変身~、これなら「PL100」と十分伍していける~。

結局、ユニットの責任ではなくて周波数の調整ミスだったというわけ~。

たったコイル一つで音が様変わりするのだからオーディオの恐ろしさを身に沁みて感じました・・。

で、これがネットワークの最終形となる。


音質の「鍵」を握る、躍動するネットワーク・・、市販のスピーカーをそのまま使う人には絶対に味わえない「至福のひと時」でしたぞ!(笑)。


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日々雑感

2024年06月10日 | 独り言

<夏まじか>

今朝(10日)のこと、最近日課にしている「起き抜けの自己流体操」をしていたら耳元で蚊がブ~ン・・、慌てて中断して「蚊取り線香」を点けた。

もう蚊が出てくる季節になったんですねえ・・、目前に迫った梅雨入りは後半に大雨が降るといってるし、今年の夏は猛暑だそうですよ~。

で、夏にちなんだ芭蕉の俳句の中から お気に入り を三つ、

閑かさや 岩に沁みいる 蝉の声

面白うて やがて悲しき 鵜舟かな

夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の後

芭蕉が詠むと、なぜか夏という季節の中に哀感がこもっていて涼しく感じます~。

芥川賞作家「五味康佑」さんによると「芭蕉のたった一句に長編小説が負けることがある」そうですよ~。

<ヒラリー・ハーンが弾いているヴァイオリン>

つい先日のブログ「仏(ほとけ)作って魂入れず」で紹介したブルッフのヴァイオリン協奏曲・・、演奏者はとびっきり上手い「ヒラリー・ハーン」



このヴァイオリンは、文中で当てずっぽうに「ストラディ・ヴァリウス」だろうと決めつけていたところ、南スコットランド在住の「ウマさん」からご親切にもメールが届いた。

「ヒラリー・ハーンのブルッフは僕も大好きで、ちょくちょく聴いてます。デヴューの頃と今とあまり変化がないのは、モーツァルトを彷彿とさせますね。

かなり以前に彼女のヴァイオリンのことを調べたことがありますが、1864年の「ヴィヨーム」だと、聞き慣れない名前を知りました。三大名器以外にも優れたヴァイオリンがあるんだなあと驚きましたね。


五島みどりさんは1992年から2000年まで ストラディバリウス を使用していましたがそれ以降は グァルネリ です。

彼女も凄い方ですが、日本フィルの木野雅之が「みどりは、小さい時からのあまりにも過激な練習のせいか〇〇がない」

〇〇で思い出しました…やはり木野の話です…

イヴリー・ギトリス、マルタ・アルゲリッチ、それに木野の三名が共演した時、楽屋前の通路で、アルゲリッチが何かにつまずいてひっくり返りました。その時、彼女のショルダーバッグから、中身が通路に散乱し、木野がそれらを拾ってあげたけど、その中に〇〇用品があったそうです。(笑)」

以上のとおりでした。

奔放な男性関係で有名な「アルゲリッチ」(ピアニスト)だけど、「バッグ」の中に「避妊用具」は無かったのかな~(笑)。

それにしても、ハーンの弾いてるヴァイオリンは「ヴィヨーム」でしたか・・、恥ずかしながら初めて聞く名前!

さっそくググってみると、



「Jean-Baptiste Vuillaume :  (1798年 - 1875年)は、フランスの弦楽器製作者で多くの賞を受賞した。彼の工房は3,000以上の楽器を製作した。」とある。

下世話な話だけど取引価格となると・・、有名オークションで3700万円で落札されたそうです。

数億円もする「ストラディヴァリ」からするとかなり落差がありますが、まあ、どんな名器でも演奏者次第で凡器にもなるわけですから、ハーンほどの練達者が弾いたらきっとヤマハでもいい音が出ると思うんだけどなあ~(笑)。



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二転、三転、そして四転

2024年06月09日 | オーディオ談義

前々回のブログ「・・先入観は罪、固定観念は悪」からの続きです。

さて、毎日が「音楽&オーディオ」三昧、そして読書三昧などのやりたい放題・・、今こそ我が人生のうちでいちばん充実しているときかもしれない(笑)。

とりわけオーディオって最高の趣味だよなあ・・、何しろ誰に迷惑をかけるでもなし、命令されるわけでもなし、肝心の本人がそれでいいと思えばそれで罷(まか)り通るのだから、自由度満点~。

そして、こういう唯我独尊に満ちた作業工程を とくとく と紹介する・・、これも本人にとっては大きな喜びになっておりますぞ(笑)。

で、すべてはこの画像が出発点となった。



さっそく、スピーカー「AXIOM80」の(以下「80」)熱心な愛好者「H」(神戸市)さんから、貴重なご提言があった。

1 「80」のSPケーブルにオイル・コンデンサーを挿入して低音域の一部をローカットする

2 そのローカットした低音域を補完するために「PL100」の低音域を活用する。

まったくこれまでの先入観や固定観念を覆す画期的なご提言だったが、これは十分やってみる価値があるとピ~ンときたねえ~(笑)。

その理由はといえば・・、

まず1の件については、オイル・コンデンサーを使うというところに意味がある。

実は過去に「80」の最低音域をローカットするために老舗の「ムンドルフ」(ドイツ)からわざわざ「40μF(マイクロ・ファラッド)」のフィルムコンデンサーを購入して試してみたことがあるが、これがサッパリで「これはアカン・・」すっかり音が変質してしまった。

しかし、オイル・コンデンサーならもしかして違った結果になるかもしれない・・、そこで手持ちの「22μF」と「10μF」の二つをパラって「32μF」として使うことにした。

これで、どのくらいの周波数の低音域をローカットできるかというと、「周波数早見計算表」によって、「80」のインピーダンスは15Ω、コンデンサーは「32μF」を公式に当てはめると「331ヘルツ」となる。

で、「331×1/2=165ヘルツ」まで「ー6db」の減衰となるわけだが、まあいい線かなあ・・。

次に、低音域に使う「PL100」について・・、カタログの上ではクロスオーバーが2800ヘルツになっているのでこのままでは使えない。

そこで有り合わせのムンドルフのコイル「6.8mh(ミリヘンリー)」を使ってハイカットしてみよう。

PL100のインピーダンスは4Ω、コイルの値は「6.8」を例によって公式に当てはめてみると、およそ「100ヘルツ」でハイカット出来る計算になる。

これで、両方のスピーカーの周波数マッチングは計算上では合格範囲になっているはずだけど、実際に聴いてみないと何とも言えない・・。

「百聞は一見に如かず」なので、見た目がゴチャゴチャしている「ネットワーク」の楽屋裏を公開しよう。慣れない人には複雑怪奇だと思いますよ~(笑)



そして、「PL100」の低インピーダンス(4Ω)と低能率(88db)に対抗するために駆動するアンプには仲間から借りているTRアンプを活用することとなった。



中高音域の倍音成分の表現力にいつも不満がつきまとう「TRアンプ」だが、100ヘルツ以下なら問題が無いはずというか、真空管アンプよりもGOODかもしれない。

さあ・・、いよいよ音出しである。計算上がどうであれ結果がすべての世界である。

そして、これは・・と思わず絶句した!

何というバランスの取れた音だろう・・、「80」の素早い音速スピードに釣り合うユニットなんてそうそうあるはずが無いのだが、「PL100」の口径10cmほどの練りに練られたユニットはいっさい負けてなかった。

見かけによらずローエンドまでよく伸びた深々とした低音が出るのには驚いた、これなら大型スピーカーに負けてないし「ワーグナー」が楽々と聴ける・・、さすがに「定価50万円」の近代的なスピーカーだけのことはある。

オークションで格安で手に入れたのだが、これでようやく愁眉が開いたことになる(笑)。

それに懸念していたオイルコンデンサーによる「80」の音の変質だが、聴感上ではまったく違和感が無かったのもうれしい悲鳴~。

Hさん、どうもありがとう・・、「80」に新しいアプローチをすることが出来たし 結果オーライ でしたよ!

しかし、しばらく聞いているうちに妙なことが心配になってきた・・、このところ日本では地震が多発しているんだよねえ・・。

かなりの揺れが襲ってきたときに貴重な「80」が落っこちなければいいが・・、そこで次のように編成してみた。



これなら大いに安定性が増すし、口径20cmの低音(インピーダンス8オームなのでハイカット200ヘルツとなる)も試せる・・。

興味津々で耳を澄ますと・・・、

以下、続く。



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仏(ほとけ)作って魂入れず

2024年06月08日 | 音楽談義

このところドップリ嵌っているのがブルッフの「ヴァイオリン協奏曲」・・、演奏者はあの「ヒラリー・ハーン」、そして音源は「You Tube」。

使用スピーカーは「AXIOM80」・・。



起きてすぐに1回、午後に1回、寝る前に1回と1日のうちで3回も聴いているほどの凝り性ぶり~(笑)。

もちろん演奏も特上だが、筆舌に尽くし難いほどのヴァイオリンの音色と響きが深く心に沁み入ってくる。

やはり楽器の王様は「ヴァイオリンに尽きる」との思いを改めて確認したが、彼女ほどの達人が弾いているヴァイオリンとなると、おそらく「ストラディヴァリ」に違いない。

現代の技術をもってしても再現できないヴァイオリンの名器として、つとに有名だが、そのことから ふと高校時代の同級生「O」君のメールを思い出した。

「O」君は
桐朋学園大学を卒業して指揮者として武者修行のため渡欧した音楽家(現在は福岡で音楽アカデミーを開設)。

「私の留学はザルツブルグ・モーツアルテウム音楽院の夏期講習から始まったのですが、ザルツブルグ音楽祭を初めて聴いたのがカラヤン指揮の<アイーダ>でした。(幸いなことに、宿の主人がチケットをゆずってくれたのです)

全ての点で余りにもスゴくて《ブッ飛ばされた》ことを覚えています。この時、舞台上で演奏された(古代の)トランペットがYAMAHA製だと聞きました。ヤマハが管楽器を手がけた最初の事例でしたが、結果は良かったと思います。

この時、ヤマハはヨーロッパの金管楽器の名器を入手して、全ての部分の厚みの変化や、金属の質などをコンピューターで分析しながら開発したと聞きました。この方法で、それ以後のヤマハの金管は優れたものを作っています。

その後、ウィーンの指揮者スイートナーのクラスで学んだのですが、あるとき日本から帰国したばかりのスイートナーがヴァイオリンを抱えて教室にやってきました。

“使ってみて欲しいと言われて、ヤマハから預かって来た”と言って楽器を生徒に見せ、ヴァイオリンの生徒が弾いて“うん、いいイイ”と言っていました。

後で聞いた話ですが、ヴァイオリンの銘器をコンピューターで詳しく分析して、そのように作ろうとしたそうです。しかし、どうしても本物に近い楽器にまでは作れなかったようです。金属では成功したのですが、(自然の)木が相手ではコンピューターも分析しきれなかったように思います。


また、ヤマハの工場に行った時、聞いた話ですが、スタインウェイを入手して、全てバラバラに分解してから、組み立て直すと<ヤマハの音>になってしまったそうです・・・やはり職人(名工)の『感性』が重要な鍵を握っているのでしょうか。」


そういえば、人間の感性技が重要なカギを握っている例としてオーディオ機器も例外ではない・・、たとえば往年の名器とされる「マランツ7」にまつわる話がある。



「マランツ7」といえば、1950年代の初めに市販のアンプにどうしても飽き足りなかった大の音楽好きのデザイナー「ソウル・B・マランツ」氏(アメリカ)がやむなく自作したプリアンプの逸品である。

デザイン的にも日本のオーディオ業界に多大の影響を与えたことが知られている。

そこでの話だが、ある専門家がそっくり同じ回路と同じ定格の部品を使って組み立ててもどうしてもオリジナルの音の再現が出来なかった曰くつきの名器だと、ずっと以前のオーディオ誌で読んだことがある。


感性技が求められるオーディオ機器の典型的な例として挙げてみたわけだが、このことから一つの課題らしきものが導き出される。

それは「オーディオ機器の製作に携わる方は少なくとも音楽的感性に満ち溢れた人であって欲しい!」

大学の電子工学関係科を卒業したというだけで音楽に興味を持たない人たちが(メーカーで)機器づくりに携わることは、まるで
「仏(ほとけ)作って魂入れず」、使用する側のマニアにとってはもはや悲劇としか言いようがない・・。

その事例を代表するメーカーといえば、やたらに高価なあの〇〇〇かな~、物議をかもすので具体名は控えておこう・・、このブログの読者ならもうお分かりですよね(笑)。



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オーディオ VS 「先入観は罪、固定観念は悪」

2024年06月07日 | オーディオ談義

その昔、「酒とバラの日々」という洋画があったが、我が家では「読書とオーディオの日々」がずっと続いている・・、そして不思議なことにこれがまったく飽きがこないまま、毎日がルンルン気分(笑)。

飽きない理由はといえば・・、煎じ詰めると両者とも変化に富んでいるからに違いない。とりわけオーディオは毎日「猫の目」のように変わっていますからね。

中には、
あまりに変化があり過ぎて 落ち着きのない奴だと「眉を顰める」人がいても当然・・、とかく評判がイマイチなのも承知している。

このところオーディオ関連記事のアクセスがガクッと軒並みダウンし続けているのがその証明。

な~に、かまうものか・・、誰がなんと言おうと、そして眉を顰めようと我が道を行くのみ~(笑)。

というわけで、今回もオーディオのホット・ニュース!

前々回のブログで投稿した「AXIOM80」(復刻版:以下「80」)の最新画像がこれだった。



この画像を御覧になった同じ「80」愛好家の「H」さん(神戸市)からさっそくメールをいただいた。

「私は〇〇(ブログ主のこと)さんと違って、2021年10月にAxiom80用(以下80)のフローティング台を設計して以来、3年近くこれだけに掛かりきりになってきたのですが、悪戦苦闘しながらでもあまりいい結果な出ませんでした。気をつけたことはただ一つ、〇〇さんたち先人の教え、つまり80を壊さないことです。

したがって超低音は入力しない、コーン紙の前後の音の干渉を断つことでした。

おそるおそるが災いしてか、小音量でも歪むし、脆弱で力ない音が続きました。

後面開放型キャビネットは吸音材を入れないと思っておりました。ハートレーのコンサートマスターやいろいろ吸音材を使用している方の話を聞き、ウールフェルトを詰め込んでみたのですが、量を調整すると、あら不思議、私が望む以上の音量でも一切歪まないし、低音がバンバン出ます。

解像度、透明感、スケールがどんどん上がって行きました。これが本来の実力なのでしょうが。全く雑味が無い音という感じです。

本当に急に変化が起こるのですね。でも、ずっと実験していた成果ですかね、数撃てば当たるわけでなないのですが・・。

「80」の250Hz 以下の低音は40μFオイルコンデンサーで自然に減衰するので問題ないのですが、

ウーファーの中低音以上の雑味が80への音の邪魔として目立ってきました。

現在は、インフラノイズの秋葉代表のご意見で、雑音は厚さの違うフェルトを何種類は前後に使って音を調整しています。

本当は、ウーファーにー12dB、-18dBのネットワークが適正なのでしょうが、やはり濁ると思います。200-250Hz以下を強調しないで再生するには、今が合っていると思います。

〇〇さんには釈迦に説法と思いますが、若し、PL100をウーファーで使用する場合があれば、ツィーターを鳴らさないか、完全に音を塞ぐことを推奨します。PL100なら結構いいバランスで鳴ると思います。」

ウ~ン、そうですか・・、稀代の銘ユニット「80」に対するあくなき情熱を傾ける方が、ブログ主と同様にここにもいらっしゃるのに つい嬉しくなりますな~。

メチャ「癖」のあるユニットなので鳴らし方も「百人百様」だが、「H」さんのご提言のポイントは2点ある。

 オイルコンデンサーで80をローカットする

 「PL100」(英国:モニターオーディオ)のウーファー部分を80の低音部として活用する。

これまで、まったく想像だにしなかった対策である・・、完全に意表を突かれましたねえ~。つくづく「先入観は罪、固定観念は悪」という言葉が身に沁みましたぞ(笑)。

ものごとを揺り動かすのは最後は「熱意」だが、その熱意と熱意のぶつかり合いはきっと好結果をもたらすはず・・、
よし、さっそくとりかかる としよう。

以下、続く。


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やたらに背伸びしすぎる悲劇

2024年06月06日 | 独り言

いつぞやのこと「旧いステレオサウンド誌(40冊)を無償で差し上げます。」と募集してはみたものの、とうとう希望者が現れなかったので、やむなく廃品回収に放出したことがある。

        

他人に差し上げる分には少しも惜しいと思わなかったが、いざ廃品回収に出すとなると何だか勿体ないような気がして・・、事前に3日ほどかけて改めて全40冊にザット目を通してみた。

旧いものでは50年ほど前の号もあり「あのときのオーディオ熱よ、今いずこ」とばかり、とても懐かしい思いとともに全体を通読したが、この際なので感じたことをあえて述べさせてもらうと、

「ステレオサウンド誌は古いものほど面白い。結局、連載されていた巻頭の五味康祐さんの オーディオ人生 と瀬川冬樹さんのオーディオ評論で持ちこたえていた雑誌だった。このお二人さんが亡くなられると次第に色褪せてきて精彩を欠くようになっている。」

その五味康祐さんだが、1973年の「28号Autumn」版に「オーディオ愛好家の五条件」という記事があった。

稀代のクラシック通でもあった五味さんが掲げるその五条件とはこうである。

 メーカー・ブランドを信用しないこと

 ヒゲの怖さを知ること

 (評論家たちの)ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること

 真空管を愛すること

 お金のない口惜しさを痛感していること

「心なき 身にも哀れは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ」(西行法師)


自分のような「心なき」人間でも、いずれも「そうですよねえ」と頷くことばかりだが、2の「ヒゲ」というのは聴き慣れない言葉だがレコード愛好家ならきっとお分かりのことだろう。端的に言えば音楽ソフトを大切にする心がけを失わないようにしようという内容である。

この中で一番オヤッと思ったのは5の「お金のない口惜しさを痛感していること」だった。皆さん、いったいどういう意味なんだろうと興味をそそられませんか?

青年時代に乞食同然の生活を送られた五味さんの云わんとするところはこうである。

オーディオは周知のとおり機器などのハード部分と音楽のソフト部分とで成り立っている趣味だが、これらを購入するのに必然的にお金は付き物だ。

しかし、どうしても前者にお金が集中するのは否めない。すると後者が手薄になってしまい、音楽的な教養が失われてしまいがちだ。オーデイオは音楽を聴くための道具だから本末転倒はよくない。

したがって、お金がなくてお目当ての機器が購入できないときは、その口惜しさを音楽を一生懸命に聴くことでどうか(自分のように)昇華して欲しい。

以上、芥川賞作家の文章を要約するなんてとても恐れ多いが、かいつまむと以上のような趣旨だった。

「オーディオとお金」は誰にとっても普遍的なテーマだと思うが、今となっては五味さんの説は完全に時代遅れとなりましたね。

なにしろ「You Tube」によりタダで音楽が聴き放題なんだから~(笑)。 いい時代になりました・・。

そして、今度はチョット違う視点からアプローチしてみよう。

以前、あるオーディオ仲間と次のような会話をしたことがある。

「オーディオってお金が無い悲劇も勿論ありますが、お金があり過ぎる悲劇もあるようですね。沢山のお金を掛けた割には音がサッパリという事例をかなり見てきました。お金と音はけっして比例しないところがオーディオの面白いところですね。」

「そうなんです。お金があり過ぎるとすぐに煽動されていとも簡単に高級機器を購入してしまいますが、どうしても研究不足になりがちです。

どんな高級機器にしろ、ポンと据えつけただけでは絶対にいい音が出ませんからね。むしろ高級機器ほどうまく鳴らすのが難しいところがありますから、これは一種のオーディオの危険な罠ですよ。

しかも、いったん罠に入り込んでしまうと将来に亘って身動きが取れないようになる傾向があります。そこそこのお金がありさえすれば、それが一番ですよ・・・。」


ちなみに、ブログ主のように「お金が無いくせにやたらに背伸びしすぎる悲劇」もあるのでどうかご用心を~(笑)。
 


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羹に懲りて膾を吹く

2024年06月05日 | オーディオ談義

「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」という諺がある。

「熱い吸い物で火傷した人がそれにこりて、膾(なます)や韲物(あえもの)のような冷たい料理も吹いてさます意から、一度の失敗にこりて、必要以上の用心をするたとえ。」

これにピッタリ当てはまる経験をしたので、自戒を込めて述べてみよう。

通常のSPユニットとはまったくツクリが違う「AXIOM80」(以下「80」)を愛用しだしてからもう20年近くなる。

名声に惹かれて購入しただけなので当初の内は使い方がサッパリわからないまま、まずは平面バッフルに取り付けて鳴らしていたところ、ほどなくしてノイズがガサコソと出始めた。

さっそく、定評のある修繕屋さんに出したところ、かなり高額の修理費にギャフン~。そこで研究してみたところ、このユニットはまず箱に容れる、そしてその箱には「ARU」(背圧調整器)を付けて背後から出る音を上手く調整して、 ふっくら と鳴るようにユニットが設計されているとのこと・・。

そのときの経験が骨の髄まで沁み込んでいるので、「AXIOM80は裸で鳴らすべきではない」をこれまで金科玉条のように守ってきた。

ところが・・、つい先日メル友さんであり同じ「80」愛好家のHさん(神戸)から久しぶりにメールをいただいた。Hさんはファッション関係のお仕事をされているだけあってとてもセンスのいい方である。以下「抜粋」

「可能な限り〇〇(ブログ主のこと)さんの環境に近づけているつもりです。(無理がありますが)

両ユニットのキャビネットは後面開放型ですが、Axiom80はフローティングマウントで、基本非接触、ウール100%フェルトで覆われています。」

「百聞は一見に如かず」ですよねえ・・。


ウ~ム、我が家と同じ匂いを感じますぞ…(笑)。

そして、僭越ながらHさんに出来てブログ主に出来ないはずがない・・、一念発起してこれまで大切に保管してきた復刻版の方の「80」を「裸で鳴らす」冒険に取り掛かった。

それに追い討ちをかけたのが、こたびのウッドホーンに取り付けた「ジョーズ」の大成功ということになる・・(笑)。

かくして、2日がかりの作業で出来上がり~。



植木鉢に容れた「80」には例によってジョーズを取り付け、一番肝心な背圧処理対策として、背後の狭い空間に「羽毛の吸音材」をしっかりねじ込んでいる。

アッ、そうそう「80」の下にある「PL100」(英国モニターオーディオ)は「80」を耳の高さに持ってくるための置台替わり 兼 ときどきの「気分転換」として活用。

さあ、ワクワクしながら耳を澄ましてみた・・。

オーディオをやってて、いちばん楽しい瞬間ですね~。

そして、思わず唸った・・、さすが80! 明らかに箱に容れないメリットが感じられた。羽毛の吸音材が効いているせいか、裸の割には音が実にまろやかである。

しまった、早くこうすりゃよかったなあ・・、どうやら「羹に懲りて膾を吹き過ぎた」みたい(笑)

で、目下のいちばんの懸念は低音過多によるユニットの故障だが、今日で4日目になるがその気配は今のところ無さそう~。

もちろん、ゲリー・カーのCDのオルガンは絶対に「使用禁止」だけどね・・(笑)。



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人の胸を打つのは・・、最後は「情熱」だ

2024年06月04日 | 音楽談義

ドナルド・キーンさんの著作「オペラへようこそ!」を読み終えたところ、オペラに対する情熱にすっかり感化されてしまい、何だか始めからオペラファンだったような錯覚を覚えてしまった(笑)。

それほど本書にはオペラに対する熱情がほとばしっている。何事につけ人の胸を打つのは最後は「情熱」ということを改めて思い知らされたましたぞ。

    

それではまず、キーンさんの大好きなオペラ「ベスト10」を挙げてみよう。

1位 ドン・カルロス(ヴェルディ) 2位 トラヴィアータ(椿姫:ヴェルディ) 3位 神々の黄昏(ワーグナー) 4位 カルメン(ビゼー) 5位 フィガロの結婚(モーツァルト) 6位 セビーリャの理髪師(ロッシーニ) 7位 マリーア・ストゥアルダ(ドニゼッティ) 8位 湖上の美人(ロッシーニ) 9位 エヴゲーニイ・オネーギン(チャイコフスキー) 10位 連隊の娘(ドニゼッティ)

偏ることなく、とても幅の広いオペラファンであることが伺えるが、惜しいことに
自他ともに認めるオペラの最高峰「魔笛」(モーツァルト)が入っていない!

5位の「フィガロの結婚」(モーツァルト)もいいけど、それよりは上だと思うけどなあ(笑)。

このことで、キーンさんのオペラへの嗜好性が垣間見えた気がした。

おそらく魔笛を外された理由は「ドラマ性」が物足りないといったことだろう。

周知のとおり「魔笛」は荒唐無稽の「おとぎ話」の世界だからストーリー性は皆無といっていいくらいだが、その反面、音楽の美しさといったらもうこの世のものとは思えないほどだ。

その辺りに自分のように
クラシック部門から分け入ったオペラ・ファンと、キーンさんのようにオペラ・オンリーの生粋のファンとの本質的な違いがあぶり出されてくるような気がした。

ところで上記のベスト10には指揮者が特定されていないのが残念。あえて無視されたのかもしれない。

そのかわり、「思い出の歌手たち」の一項がわざわざ設けてあった。

✰ キルステン・フラグスタート(キーンさん一押しのソプラノ歌手)

✰ エリザベート・シュワルツコップ(類い稀な美人かつ際立った声の個性)


✰ ビルギット・ニルソン(ついにフラグスタートの後継者が登場)


✰ マリア・カラス(スーパースターが持つ独特の雰囲気を発散)


✰ プラシド・ドミンゴ(パバロッティを上回る魅力的な声を持つテノール)

ほかにもいろんな歌手が登場するがこのくらいに留めておこう。 

さて、キーンさん一押しのソプラノ「フラグスタート」だが、幸いなことに手元にフルトヴェングラー指揮の「トリスタンとイゾルデ」(ワーグナー)のCDがある。

   

これまで「フラグスタート」をそこまで意識して聴いたことがないが、稀代のオペラファンが絶賛するのだからいやが上でも興趣が募る。

まず、ネットでの履歴を紹介しておこう。

「1895年7月12日、ノルウェーのハーマル生まれのソプラノ歌手。1962年12月7日、オスロにて没。父は指揮者、母はピアニストという恵まれた音楽環境の中で育ち、オスロのヤコブセン夫人の下で声楽を学ぶ。

1913年、同地の歌劇場でデビューしたが、30年代に入ってバイロイトに招かれ、ジークリンデ役で大成功を収める。その後も、ブリュンヒルデやイゾルデなどの歌唱で高く評価され、ワーグナー歌手としての名声を不動のものにした。

その声量は極めて豊かで、膨大なオーケストラの強音をも圧して響き渡ったにもかかわらず、清澄な美しさを失わず、劇的表現と気品に満ちたもので、ワーグナー・オペラのヒロインとして理想的であった。

また、R.シュトラウスの歌曲の歌唱においても、歴史的名歌手として名を残している。」

以上のとおりだが、気の遠くなるような長い前奏の後でようやくフラグスタートが登場してくれた(笑)。

後継者とされる「ブリギット・ニルソン」と比べると、やや声質が柔らかくて軽やかで高音域への伸びが一段と際立っているような印象を覚えた。さすがキーンさん一押しのソプラノです~。

ちなみに「You Tube」で、「フラグスタート」とググるとズラッと出演したオペラが出てきました!



CDよりも音質が落ちるけど、当時は録音状態が悪いのでこれで十分かもね~。興味を覚えた方はぜひご一聴を・・。


  
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無いものねだり

2024年06月03日 | オーディオ談義

昨日(6月2日)のこと、久しぶりに日程がマッチしたのでオーディオ仲間のYさんに来てもらった。

目的は、ただ一つ・・、Yさんが愛してやまない我が家の「AXIOM80」のホーンに取り付けた「ジョーズ」について感想を伺うこと。



なぜ命名を「ジョーズ」としたか・・、ほら、名画「ジョーズ」に出てきたシーンと似てるでしょう、怖いですねえ・・、アハハ~(笑)。



「相変わらず、まったく人のやらない変わったことをされますね~」と呟きながら興味津々で耳を澄まされたYさん、ところが・・、

「とてもいいと思います。何もつけないときに感じた2000ヘルツ当たりの気になった甲高い響きが無くなりました。大いに効果ありです、見かけはイマイチですけどね・・」

そうですか・・、と素直にうれしくなった(笑)。

何しろ、自己流の身勝手な理屈のもとに、効果をあまり期待しないまま1日がかりで取り付けた工作である・・、徒労に終わらなくて良かった。

ただし、試行錯誤のもとの理屈と ためらい に3日ほど要し、作業に1日ということで計4日というところかな~。

そもそもの動機はユニットから飛び出した音がバッフル面に当たって跳ね返る響きをうるさく感じたのでそれを少しでも和らげようという算段だった。

そこで、乱反射させてはどうかとバッフル面に突起物(紙)を張り付けようかという目論見もあったが、まあ「見かけ」としては「ジョーズ」の方がマシかな~という程度だったのが事の成り行きだ。

それからは、次から次に「You Tube」でいろんな曲目を試聴した。

クラシックではマーラー「大地の歌」(クレンペラー指揮)、ブルックナー「交響曲第8番」(チェリビダッケ指揮)、モーツァルト「交響曲第35番ハフナー」(ハイティンク指揮)といった大曲ばかりだったが、見事なもんです・・。

「ホーンの音はどうしてもきつくなりがちですが、このジョーズはデフューザーの役割をしているようですね・・、特許とは大袈裟ですが、このアイデアをしかるところに登録申請されたらいかがでしょう」と、俄然乗り気になったYさん・・。

「ハイ、何しろほとんどお金がかかっていないところがミソです。木製の植木鉢を利用したホーンに厚紙で出来た卵トレイの突起部分をくり抜いて張り付けただけですからね~」と、したり顔のブログ主。

ただしYさんが持参されたジャズのCDは明らかにイマイチで野性味というか活力や荒々しさに欠けていた。



「まるでオックスフォード出身の背広にネクタイを締めた紳士がジャズを演奏しているみたいですね」と、辛口のYさん。

「イギリスのスピーカーにジャズの再生を求めるのは、比丘尼(びくに)に陽物を求めるようなもんでしょう」と、品のない言葉が喉まで出かかったが、危うくストップ・・、言い換えると「それは無いものねだりというものでしょう」と言いたかったわけ~(笑)。

そして、この「ジョーズ」の成功にすっかり味を占めて、とんでもないアイデアが浮かんできましたぞ・・、現在大切に保管している復刻版の「AXIOM80」にも「柳の下の二匹目のどじょう」はいないかな~(笑)。

以下、続く。



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書店の減少対策 と ゴールデン・スランバー

2024年06月02日 | 独り言

つい先日・・といってもおよそ1か月前のことだが、このブログで「書店の減少に歯止めがかからない」と投稿したことをご記憶だろうか?

「活字文化」の衰退につながるので憂慮すべきことには違いないが、さりとて具体的にその対策があるわけでもなし、手をこまねいて見守るしかないがその解答らしきものを盛り込んだ本にたまたま出会った。



本書の169頁にこういう記述があった。

「一番身近な本屋は親である。子どもの目の前で親がいかにも面白そうに本を読んでいる。何してるの? と興味を持ったその子にいかにもその子が興味を持ちそうな本を手渡す。そのうちに子も本を自ら手に取る習慣がつく。戦略通りか、無意識かはさておき、本に携わる人をみな広義の本屋とすれば、親という本屋によって本好きになった子は多いと思います。」

以上のとおりだが、
卑近ながら・・、我が娘も読書狂の類に属しておりあの「カラマーゾフの兄弟」を根気よく読み上げた強者だが、父親の読書習慣あるいは「DNA」がそっくり乗り移ったとしか思えない・・、というのも家内はまったく本を読まないタイプなのでね~(笑)。

これから若いご夫婦は意識して子どもの前で本を読みましょうよ・・、ねッ。

本書には、ほかにも「薬局が本屋と併設した事例」が紹介してあった。

普段本屋に行かない人に薬局に本を置くことで 偶然の出会い を提供するというわけ。これからはこういうスタイルが広がっていくかもしれませんね。

ちなみに夢を広げて、仮に ブログ主が音楽喫茶と本屋を併設した とするならその本屋に対する戦略は・・、

まずは
 1 音楽&オーディオ関係の情報コーナー 2 ミステリーコーナー 3 文芸書コーナーの大きく3つにターゲットを絞り込みます。

1については、月刊情報誌及びネットにおける「音楽&オーディオ」ブログの定評のあるものを紹介する。もちろん、このブログなんかは値しないので除外しますよ~(笑)。

2については、過去にミステリー部門で栄えある賞を受賞した本に絞って展示する。

たとえば、日本では「江戸川乱歩賞」、アメリカでは「アメリカ探偵作家クラブ賞」、イギリスでは「ゴールド・ダガー賞」といった具合で、これらに該当するだけで軽く200冊以上にはなるはず・・。

そして、文芸書・・、これも「芥川賞」「直木賞」「本屋大賞」といったところですか~。

ほかにも いい知恵 がありましたらどうかご教示くださいな~。

次に、「ゴールデン スランバー」



人気作家「伊坂幸太郎」さんの作品として世評高い「ゴールデン・スランバー」、ミステリーというよりもサスペンスかな~。

ところが・・、せっかく借りてきたのにまさかの「貸し出し期間」2週間の期限切れを迎えてしまった。

何しろ3か所の図書館から目いっぱい借りてくるし、それに執拗な「オーディオ実験」で毎日多忙を極めるし・・、まあ言い訳にはならないけどね(笑)。

止む無く、昨日(6月1日)最寄りの図書館に返却に行ったところ「表玄関」に「ただいま蔵書の整理期間中で休館します」。

しめた、これで 首の皮が一枚繋がった と小躍りしましたぞ~(笑)。

これ幸いとばかり、急いで自宅に戻って読み始めたところ、さすがに評判作だけあって面白い。現在、半分ほど読み進んだが、どうやら「仙台でパレード中の首相の殺人犯に仕立て上げられてしまい巨大な罠に嵌められた」模様・・。

ここでネットからわかりやすい「読者レヴュー」を失敬~。

「初めの2章で第三者から見た大まかな事件の内容を述べ、次の章から当事者の視点から事件の真相が明らかになっていく物語。600ページを超える超大作で、膨大な伏線がどんどん回収されていく展開で読む手が止まらなかった。濡れ衣を着せられた主人公のハラハラする逃亡劇、友達との友情、周りの人々の興味からくる優しさ、この事件を通して主人公が💮をもらえるようになる成長物語とも取れる。面白かった。」

少なくとも、蔵書の整理期間が終わる3日(月曜日)までには読み終えないとね・・。



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微妙な差を嗅ぎ分ける楽しさ

2024年06月01日 | 独り言

このブログでもたびたび触れているように、我が家のオーディオにとって「ネット・オークション」は必須のツールだが、その一方では かってのオーディオ機器 の栄枯盛衰を窺い知るのにも大いに役立っている。

たとえば先日のオークションでのことだった。

まずはクラシック音楽愛好家なら誰もが一度は憧れるタンノイの「オートグラフ」が出品されていた。音楽&オーディオの先達として有名な「五味康介」さんが愛好されたことでもよく知られている大型スピーカーである。

オークションのタイトルは「Autograph HPD385A +エンクロージャー 進工舎製国産箱」だった。

          

ご覧のとおり凝ったツクリの堂々たるスピーカーだが、落札価格となると信じられないほどの安いお値段で「39万2千円」だった。

ユニットが後期のものだし、国産箱というハンディがあるとはいえ、定価となると確実に3倍以上はする代物である。

そして、あまり日をおかずして出品されていたのが同じオートグラフでも「ミニ」の方だった。

        

見るからに「小振り」だが、この落札価格となると「25万1千円」だった。

大型とミニの差は、そりゃあ個人ごとの「好き嫌い」があるだろうし、今の自分ならおそらくミニの方を選ぶが、お値段の差がたったの「14万円」ということに恐れ慄(おのの)いてしまった(笑)。

大型スピーカーは人気がない!

このことからいったい何が推し量られるのか・・、「桐一葉落ちて天下の秋を知る」ではないが、勝手に類推させてもらおう。

1 マンション・オーディオの蔓延

今や都会は高層マンションだらけといっても過言ではないほどだが、そうすると大型スピーカーを置こうにもあまりスペースがない、そして隣近所に遠慮して大きな音を出すわけにもいかずせっかくの大型機能が生かせない。

と、いったところかな~。

人的交流を含めて豊かな文化と便利さが享受できるものの居住スタイルが限定されがちな都会生活
、その一方スペースに恵まれた居住スタイルの機会が多いものの文化程度が貧弱な地方の生活のどちらがいいか、それぞれ個人毎の価値判断に委ねられるところだろう。

もちろんブログ主の場合は「音楽&オーディオ」至上主義者なので後者を無意識のうちに自然に選んだが、今となってみるとやはりときどき一抹の淋しさ
にかられるのは否定できませんなあ・・(笑)。

2 オーディオの衰退

先日、オーディオ仲間と話していたところオーディオ専門誌「無線と実験」の「(オーディオ機器を)売ります買います」欄で「遺品整理のため」という言葉がやたらに多くなったとのことだった。

中には「タダで進呈します。」とあったりもして、今は亡きご主人のオーディオ道楽の後始末に遺族がほとほと困っている様子が散見されると言っていた。

思わず「我が家もいずれ同じようなことが・・・」と、身につまされたことだった(笑)。

1970年代のオーディオ全盛期を体験した年齢層は今や高齢者軍団と化しており、本格的なオーディオ愛好家は高齢者に集中しているといっても過言ではないが、これからも続々と途切れることなく鬼籍に入っていくのだからオーディオ人口が減るばかりである。

何しろ若い人たちはオーディオに価値を見出さないのが大半なので補給が追い付いていかない

優れたオーディオシステムで音楽を聴くと音楽観が一変するほどの衝撃を受けると思うんだけどなあ・・、とはいえ、もはやそういう機会も少なくなった。

オーディオショップで聴く音はいくら豪華なシステムでも所詮は借り物の音で家庭でよくチューニングされた音には到底及ぶべくもないだろう。

こういう負の連鎖を断ち切る方法はないものかと、身の程知らずながらつい考えてしまう


3 クラシック音楽の衰退

その昔「ブルーノ・ワルター」という指揮者がいたが、当時次のような警告を発していた。何度も引用したので「くどい」と思われる方もいるだろうが「反復・継続は力なり」なので再度掲載させてもらおう。

「いまや芸術に対して社会生活の中で今までよりも低い平面が割り当てられるようになって、その平面では芸術と日常的な娯楽との水準の相違はほとんど存在しない。

本来芸術作品が持っている人の心を動かし魂を高揚させる働き
に代わり、単なる気晴らしとか暇つぶしのための娯楽が追い求められている。

これらは「文明」の発達によりテレビやラジオを通じて洪水のように流れ、いわゆる「時代の趣味」に迎合することに汲々としている。

こうなると文明は文化の僕(しもべ)ではなくて敵であり、しかもこの敵は味方の顔をして文化の陣営にいるだけに危険なのだ。」

以上のとおりだが、残念なことにクラシック音楽の地盤沈下は留まることを知らない。1950年代前後が黄金時代だとすると、取り巻く環境が激変していて刺激性があり誘因力の強い娯楽が目白押し~。

それに、別にクラシックを聴かなくても生きていけるし、賢くなれるわけでもないし、お金持ちにもなれるわけでもないが、人生を豊かに彩ってくれることだけはたしかである。

その流れで、音楽通の「村上春樹」さんの言葉を紹介してみよう。

「僕にとって音楽というものの最大の素晴らしさは何か?

それは、いいものと悪いものの差がはっきり分かる、というところじゃないかな。大きな差もわかるし、中くらいの差もわかるし、場合によってはものすごく微妙な小さな差も識別できる。

もちろんそれは自分にとってのいいもの、悪いもの、ということであって、ただの個人的な基準に過ぎないわけだけど、その差がわかるのとわからないのとでは、人生の質みたいなのは大きく違ってきますよね。

価値判断の絶え間ない堆積が僕らの人生をつくっていく。

それは人によって絵画であったり、ワインであったり、料理であったりするわけだけど、僕の場合は音楽です。

それだけに本当にいい音楽に巡り合ったときの喜びというのは、文句なく素晴らしいです。極端な話、生きてて良かったなあと思います。」

以上のとおりだが、これを勝手ながら我が家に当てはめてみよう・・、

このブログの読者(何と昨日31日のアクセスは過去最高の1626件に達した・・)の中には、

「そんなに多くの魔笛のCDやさらには沢山の真空管アンプやスピーカーを持っていてどうすんの?」と「懐疑と侮蔑の眼」で見ておられる方がきっといらっしゃるに違いない・・、その答えの一つとして
「それぞれの微妙な差を嗅ぎ分けるのが楽しみなんです」に、ご賛同していただくわけにはいくまいか・・(笑)。



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