その昔、モーツァルト関連のエッセイの中に(たしかドイツ文学者の「小塩 節」氏だったと思うが)、次のような記述(要旨)があったことが微かに記憶に遺っている。
「幼少の頃に作曲した一節が、亡くなる年(1791年)に作曲された「魔笛」の中にそのまま使われている。彼の頭の中でそのメロディが円環となってずっと流れていたのでしょう。」
この内容の真偽のほどと、その出典元がはたしてドイツ文学者の「小塩 節」(おしお たかし:1931~2022)氏のエッセイだったのかどうか・・・が、最近やたらに気になって~(笑)。
読者におかれてはどうでもいいことかもしれないが、大の「魔笛愛好家」の本人にとっては大いに気になる事柄・・。
おそらく図書館から借りてきた本だから今さら真偽のほどを確かめようもないが、簡単に諦めてしまうのも何だか癪だ。
自分がやや粘着質の人間であることをよく理解している積りだが(笑)、「よし!突きとめてみせるぞ」と珍しくヤル気をだしてみた。
こういうときの「ネットの威力」は凄い。
「小塩 節」でググってみると、著作がずらりと並んでいたが、いかにもそれらしき表題が見つかった。過去に読んだときは「音楽関係の月刊誌」だった記憶があるが、おそらく引用だったと推測している。
「モーツァルトへの旅」。
おそらくこの本が「出典」ではないかな・・。在庫の表示があり、本のお値段が20円、送料が260円で併せて280円なり~。さっそくクリックして注文したところ3日ほどで届いた。
かなり薄目の文庫本だったので比較的「組みやすし」と読み進んだが、ようやくお目当ての個所を見つけたときはそれはもう感慨もひとしおだった。
ちなみに本書を最後まで通読した結果、著者はさすがにドイツ生活が長い方だけあって現地にもよく通暁されており、これは最高の「モーツァルト解説本」だと太鼓判を押したくなるほどの出来栄えだった。
上から目線の「物言い」で恐縮だが、日本有数の「モーツァルト通」(自称)が保証するのだから間違いなし(笑)。
ちなみに「日本有数のオーディオ愛好家」と「日本有数のモーツァルト通」と呼ばれるのと、どちらがうれしいかと問われたらもちろん後者である。
芸術的な価値に雲泥の違いがあるからね~(笑)。
前置きが長くなったが、それでは押しつけがましくも関係個所(62頁)をそっくり引用させてもらおう。
「モーツァルトが5歳の時に作曲した小品が数奇な運命を経てロンドンのある家庭から「モーツァルト協会」に寄贈された(1956年)のが「アレグロ へ長調」の楽譜だった。
形式もきちんと整ったこの譜を注意深く見ると、人はある有名な旋律を思い出して愕然とする。
この旋律型はモーツァルト最晩年の、彼の創造活動の終局点を示す30年後の大作「魔笛」(K620)の中でパパゲーノが歌うアリア第20番「パパゲーノが欲しいのは・・・」、あのメロディーなのである。
モーツァルトがあんなに小さいときに作曲を始め、そして30年して彼の世界の円環を閉じるとき、彼の心に鳴っていたのはこの懐かしいメロディーだったのである。
専門家はこの旋律が民謡の一節に由来したものであると指摘している。そうだろう、モーツァルトは町や村のちまたの歌を聴いてヒントを得て、多くの作曲をしていった人なのだから。彼は多くの旋律をいくつも作品に繰り返し使っている。いたるところで懐かしい旋律に出会う。
彼はその生涯の初めの幼い日に街で聞こえた何げない民謡のメロディーから無意識のうちにヒントを得てこの作品を創ったのである。」
以上のとおりだが、モーツァルトの僅か36年の短い生涯といえばヨーロッパ各地への旅から旅への連続であり、様々な人との出会い、各地の伝統音楽に接した記憶のすべてが彼の音楽に結実した。
モーツァルトにあやかるのはまことに恐れ多いが、幼少時代の記憶が何の脈絡もなしに走馬灯のようにかけ巡って来ることがよくある。
結局、人間とは己の記憶ともに生涯歩み続ける生き物なのだろうか。
ふと「村上春樹」さんの言葉が蘇った。
「僕らは結局のところ血肉ある個人的記憶を燃料として世界を生きているのだ」。