人それぞれの人生に何らかの失敗はつきもの、結果的には小さな失敗から大きな失敗までいろんな種類の失敗がその人の人生を彩っているように思う。
と、カッコよく言ってみたいところだが、自分の場合はそうもいかない。
こういう前向きな視点のもとで余裕を持って(失敗を)振り返ることが出来ればこの上なくいいのだが現実はムリ。
どうしても失敗体験をマイナスイメージでとらえる傾向があり、失敗を恐れるあまり必要以上に臆病になったり、失敗自体を苦い想い出として追い払う傾向にあるのは否めない。
それ以上に、実はここだけの話だが(といっても無理だが)今でも現役時代に”しでかした”仕事上の大失敗や大恥をかいたことをふと何の脈絡もなく思い出すことがあり、一瞬、身の置き所がないような感覚にとらわれることさえある。
卒業して、もう何年か経つのに失敗体験の影を今でも色濃く引き摺っているこの情けなさ。
不思議なことに楽しかったことや成功事例はまず思い出さない!
大げさに言えば仏教の教えでこれを「業苦」(ごうく)というそうだが、おそらくこれは自分が「灰」になるまで続くことだろう。
また、他人のサクセス・ストーリーにはほとんど興味がなく失敗談の方が身につまされて面白く、よく記憶に残っているケースが多いのも特色。
こういう傾向は、やや”ひねくれ気質”の自分だけのことかと思っていたら、どうやらそうでもないようである。
「失敗学のすすめ」(講談社刊、著者:畑村洋太郎氏、東京大学大学院工学系研究科教授)はその点で実に面白い本だった。
2000年11月の出版だから、もう10年以上も前の本でご存知の方も多いと思うが、自分の興味を引いた点をかいつまんで列挙してみよう。
○ 失敗の定義→「人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと」
○ 学生たちに過去の失敗例を通じて大切な知識を伝えると、途端に目を輝かせ、吸収度がまるで違う。失敗体験には、人の関心、興味を引きつける不思議な力がある。
○ 失敗には「良い失敗」と「悪い失敗」がある
「良い失敗」とは、その経験が薬となってその後の飛躍につながるもの、あるいは成長過程で必ず通過しなければならない失敗をいう
「悪い失敗」とは、単なる不注意や誤った判断による失敗、周りに与える悪影響が多きいもの、自分の成長の糧にならないものをいう。
以下、やや学問的な趣が強くなり長くなるので簡略化するが「失敗から教訓を学ぶためのプロセス」など失敗を生きた教訓にしていくためのノウハウが事細かに述べられている。
さ~て、「良い失敗」と「悪い失敗」とくれば我がオーディオの世界ではどうだろうか。
それこそ失敗が無数にあるといっても過言ではないほどで「オーディオの歴史=失敗の歴史」と言い換えていいくらいで、およそ40年に亘って累々と屍が横たわっている。
数え切れないほどのスピーカー交換、評論家に踊らされた「4チャンネル・システム」への挑戦、高価なケーブルの購入、2~3年毎にアンプをトッカエ、ヒッカエしたことなど。一体、つぎ込んだお金はどれくらいに?
これらはいわゆる機器類の選択ミスというヤツだが、ほかにもお客さんとの試聴中にアンプが故障して片方から音が出なくなり、赤っ恥をかいたこともある。
しかし、今となっては意外にもいずれの失敗とも気楽に思い出せるのが不思議。
やはり教訓が今後に生きるような「良い失敗」ばかりのような気がするし、自分の能力不足とか他人の人格を辱しめるようなことが一切なく、モノが相手で金銭面でカタがつくような失敗なのが救い。
結局、貧乏人のクセにこう言うのは何だが、よほどの例外は別としてお金で済むことなら「失敗のうちに入らない」ような気がする~。