「音楽&オーディオ」の小部屋

クラシック・オーディオ歴40年以上・・身の回りの出来事を織り交ぜて書き記したブログです。

近未来、モーツァルトの新作オペラが聴けるかも!

2019年09月01日 | 音楽談義

さあ、いよいよ今日から9月ですね。

9月といえば暑かった夏の想い出と爽やかな秋への橋渡しをしてくれる月だが「セプテンバー・ソング」という歌があるように、(月の)名前がそのまま曲目のタイトルになるのは珍しい。

ネットの受け売りだが、この歌には「日が短くなるこの時期を愛の感情に重ねて歌い上げる曲です。明るい夏が終る九月という月の持つ季節の変わり目に対して、人が無意識に感じる感傷を表現しています。あるいは人生の秋、無駄にする時間は無くなり、残り少ない時間をあなたと共に過したいという意味も感じられます。」と、ある。

たしかに「オーガスト・ソング」なんて、まったく様にならないし(笑)、かといって「オクトーバー・ソング」となるとちょっと直截過ぎるし、(9月は)1年の中でも曖昧模糊とした独特の月のような気がする。

実はカミさんと知り合ったのも9月だったし、きっと当時は気分が曖昧模糊としていたに違いない(笑)。


さて、長年に亘って購読してきた朝日新聞だが購読を止めてからもう5年ほどになる。何故止めたかは、私怨などではなくて義憤にかられてのことである。詳述しなくてももうお分かりのことだろう。

しかし、購読を止めて読売新聞にしたのはいいものの、家内が喜ぶプロ野球「巨人」情報は別として国際的なテーマや社会問題の深い掘り下げとなるとちょっと物足りない。

一日遅れでお隣さんからお借りしている「日本経済新聞」で補っているが、ふと目に留まったのが次の記事。こういう国際的な芸術情報も載せてくれるんだと、ついうれしくなった。

         

モーツァルトが作曲したものの、これまで闇に埋もれていた楽譜が発見されたという記事。映画「アマデウス」で一躍有名になった宮廷音楽家サリエリとの共作らしい。しかし、どうやら小品のようだ。

35歳で早世したモーツァルトがあと1年でも長生きしてくれたら人類は「魔笛」以上のオペラを手にしたかもしれないといつも思う。

そういえば、ずっと以前の過去記事を思い出した。忘却の彼方にある方が大半だろうから要所を抜粋してみよう。

「評判のミステリー<ノックス・マシン>だが、その内容をかいつまんで報告しておくと、近未来の話で2058年の出来事が舞台になっている。

主人公は中国人で「数理文学解析」の研究に打ち込む青年である。(なぜ中国人が主人公なのかは非常に面白い理由があるのだが、ここでは触れない。)


「数理文学解析」とは、もともと詩や小説作品に用いられる単語や成句の頻度分析から始まった学問で、計算機テクノロジーの飛躍的な進歩にともなって、その対象は語句のレベルから始まって、文章の成り立ち、さらには作品構造の解析にまで引き上げられ、作家固有の文体を統計学の手法によって記述することが可能になった。

そして、人間の手を借りない完全に自動化された物語の創作、すなわち「コンピューター文学」の制作が開始されるようになり、シェイクスピアやドストエフスキーの新作が次々に発表されて権威ある評論家たちが渋々、その質の高さを認めざるを得なくなったというのがこの物語の設定となっている。」
 

以上のとおりだが、実に面白い着想だと思う。

世界文学史上最高の傑作とされるが、惜しくも未完に終わった「カラマーゾフの兄弟」の続編が、ドストエフスキーになりきったコンピューターによって制作されるかもしれないなんて、まるで夢物語のようだが、現在のように留まることを知らないコンピューターの進化を考えると何だか実現しそうな気もする。

さあ、そこで我らがモーツァルトの登場である。

わずか35年の短い生涯に600曲以上も作曲した多作家でモーツァルト抜きにはクラシックは語れない。

オペラには幸い脚本というものがある。登場人物の台詞、動作、心理描写などがこと細かく記載されているが、これらを手掛かりにコンピューターがモーツァルトになりきって音符の流れを解析し旋律を作って、新作のオペラを作曲するってのはどうだろう!

ちなみに、ここでモーツァルトが生涯に亘って残したオペラを挙げてみよう。

(あいうえお順)

「アポロとヒャアキントス」「イドメネオ」「劇場支配人」「賢者の石、又は魔法の島」「後宮からの誘拐」「皇帝ティートの慈悲」「コシ・ファン・トゥッテ」「第一戒律の責務」「ドン・ジョバンニ」「偽の女庭師」「バスティアンとバスティエンヌ」「羊飼いの王様」「フィガロの結婚」「ポントの王ミトリダーテ」「魔笛」

すっかり馴染みのないオペラを含めて、何と15ものオペラを作曲しておりコンピューターの解析材料(音符、台詞、登場人物の描写など)としては十分な量である。

また、その昔、モーツァルト関連のエッセイの中に(たしかドイツ文学者の「小塩 節」氏だったと思うが)、8歳の頃に作曲した一節が、亡くなる年(1791年)に作曲された「魔笛」の中にそのまま使われており、「彼の頭の中でそのメロディが円環となってずっと流れていたのでしょう。」とあって、それを読んで深~い感銘を受けたことを覚えている。

<三つ子の魂百までも>で天才モーツァルトなら、その“曲風”は生涯を通して変わらなかったに相違ない。まさにコンピューターによって解析できる「申し子」のような作曲家だ。

こうしてみると、音符は文字と同様に記号の一種なのだから「数理文学解析」と「数理音符解析」(?)とを合体して、モーツァルトになりきったコンピューターが新作オペラを作曲するなんてことが何だか夢物語ではないような気になってくるから不思議。

まあ、自分が存命中は無理かなあ・・、いやもしかして(笑)。

この内容に共感された方は積極的にクリック →     


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする