ダ・ヴィンチWeb 2025年2月14日
漫画家・野田サトルさんは『ゴールデンカムイ』完結後、高校生アイスホッケーを描く『ドッグスレッド』の連載を「週刊ヤングジャンプ」でスタートした。本作は連載デビュー作である『スピナマラダ!』のキャラクター設定やストーリー展開の多くを引き継いだリブート作となっている。
『スピナマラダ!』『ゴールデンカムイ』『ドッグスレッド』と、野田サトルさんの全連載作を担当する編集者が、集英社の「週刊ヤングジャンプ」編集部・大熊八甲さんだ。野田サトルさんと大熊さんは15年近く、ともに作品を作り上げてきた。
作家と編集者の関係に迫るダ・ヴィンチWebの新連載「編集者と私」。第1回はこのお二人にご登場いただいた。前半は、新人漫画家時代の出会いから『ゴールデンカムイ』ヒットの裏側までを聞いた。
編集部デスクで偶然の出会い
――本日はよろしくお願いいたします。漫画家と編集者の関係について伺う企画ということで、まずお二人の出会いを教えていただけますか。
野田サトルさん(以下、野田):2010年頃、他誌の担当編集さんとアイスホッケー漫画のネームをこねくり回していたのですが、何年経っても連載会議が通らなかったんですよ。そこで「何か転機になるかも」とアシスタント先の国友先生(編集部注:国友やすゆき先生)の紹介で「ヤングジャンプ」に持ち込みに行って、出会ったのが新人編集者だった大熊さんでした。
大熊八甲さん(以下、大熊):野田先生が編集部に持ち込みにいらしたとき、ちょうど僕がデスクに座っていたんです。先輩編集に「ちょっと君、ネーム見てみてよ」と呼ばれて(笑)。
――偶然だったわけですね。
大熊:そうですね。「才能は若手が受け取るべき」というジャンプイズムみたいなものが編集部にあって、若手の編集者は作家さんと出会うチャンスが多かったので。
――当初、野田さんは大熊さんにどんな印象を持ちましたか?
野田:年下の編集さんは初めてでしたけど、頭が良くて勉強家で働き者なのはすぐにわかりました。弁が立つというか理路整然と話すので「うわ、頭いいなこの人」って。あと「ウチで連載させます!」とすぐ言ってもらえたんですよね。
――大熊さんはネームを見て、すぐに「これはいける」と判断したわけですね。
大熊:『スピナマラダ!』1巻分ぐらいのネームを拝見したんですが、おおよそ新人作家らしからぬ漫画力の高さだと思いました。構成力もユーモアもあって、背景も緻密、言葉も切れて、取材力もある。天からの授かりもの、凄い方だと思いました。
――それでも他社さんでは何年も通らなかった。
大熊:その判断も理解らなくもないんです。読者さんの付いていない新人作家さんが、日本ではまだ競技人口の控えめなアイスホッケーを描くというのは、ビジネスとしてのリスクも確かにありますから。
野田:でも『スピナマラダ!』も結果的に打ち切りになったので、どっちの判断が正しかったのかわからないですけどね。
大熊:僕はキャラクターが本当に魅力的であれば、十分に鉱脈があると当初から思っていました。
新人時代から投資感覚で資料を買い集める
――そもそも、何年もネームが通らなくても描き続けるほどアイスホッケー漫画にこだわった理由は何だったのでしょうか?
野田:僕は校庭にスケートリンクがあるような土地で過ごしたので、身近な存在として「いつか描いてみたい」という想いは漠然とありました。その後、上京して東伏見という駅の近くに住んだのですが、偶然、有名なスケートリンクのある関東アイスホッケーの中心地でした。これは「アイスホッケー漫画を描け」というサインなんだなと感じたんです。
――東伏見のアイスホッケー場に見に行ったりもしていたわけですか?
野田:そうですね。そこで撮った写真は資料になりますし「駅前に行けばいつでも取材ができる」という感覚でした。そういった運命的なこともあったし、意固地になってしまったんですよね。「これで絶対に売れてやる」って。普通は一年で諦めて違う作品描くんでしょうけど。
――野田さんといえば、『ゴールデンカムイ』でアイヌの工芸家に資料作成を依頼するなど、現物と接することを大切にしている印象があります。こうしたやり方を新人の頃から行っていたのはなぜでしょうか?
野田:それは単純に、資料があったほうが効率がいいからですね。例えばアシスタントさんに写真1枚の資料から「ヘルメットをこの写真とは別角度で描いて」と指示したら半日かかりますが、実物が手元にあれば1時間で描いてもらえます。アシスタントさんも時給なので、どこに投資するのが合理的か考えた結果です。
大熊:『スピナマラダ!』連載当時、一度だけお仕事場を拝見しましたけど、アイスホッケー用具がゴロゴロ転がっていて「本当にこれご自身で集めたの…?」と驚きましたよ。
――以前のインタビューでは「資料を買い過ぎてお金がなかった」とも仰っていました。
野田:はい、その通りです(笑)。まあ、投資みたいな感覚ですよね。良いものを描けば単行本の売り上げとして戻ってくると信じて。ケチって後悔しないように。
「次は何とか売れるようなものを描かなければ」
――人生初連載となった『スピナマラダ!』を描き終えて、当時の心境はいかがでしたか?
野田:打ち切りになったときは、とにかく自分の力不足を感じて悔しさでいっぱいでした。「次もダメだったらアシスタントに戻るしかない」という不安もありました。そういった人をたくさん見てきたので…。次は何とか売れるようなものを描かなければという焦りですね。
――担当編集としては、『スピナマラダ!』の打ち切りをどのように感じましたか?
大熊:読者さんに対して「おもしろさを伝える」というパッケージングの部分で僕が未熟だったという、自責の念は強くありました。でも「次は跳ねてやるぞ」というやる気のほうが勝っていたかもしれません。「これをきっかけに野田さんの新しい扉が開くぞ」と思っていました。おもしろい漫画を描かれることは確信していたので。
――編集者は、打ち切りや次の連載が決まらない場面に出くわすことも多いと思いますが、その都度どうやって気持ちに折り合いを付けているのでしょうか?
大熊:野田さんに限らず、基本的に担当させていただく漫画家の方々に対しては「次の扉を開き続ける」という気持ちでやっています。編集者としてそうでなければいけないと思っています。うまくいかないときがあっても、最後に勝てればいい、と。
『ゴールデンカムイ』の初期構想
――『ゴールデンカムイ』が生まれたきっかけは、大熊さんの「北海道を舞台に猟師の話を描きませんか」という提案だったそうですね。
野田:はい、熊谷達也さんの『銀狼王』(集英社刊)という小説を大熊さんが渡してくださったんです。それが北海道に住む老猟師の話でした。
大熊:なんとなく、井上雄彦さんの『バガボンド』(講談社刊)における吉川英治さんの小説『宮本武蔵』(講談社刊)のようにベースとなるイメージがあって、そこから自由に野田さんに描いてもらえたらおもしろいことになるんじゃないかという予感はありました。
――猟師、北海道といったキーワードからアイデアを膨らませていくという。
大熊:あと、『銀狼王』の主人公は二瓶という名前なのですが、全くの偶然で『スピナマラダ!』に登場する監督の名前も二瓶だったんですよ。先ほどの野田さんが東伏見に住んだ話じゃないですが「これはサインだな」と思いました。
野田:僕の曾祖父が日露戦争の二〇三高地や奉天会戦で戦ってきた人で、いつかこの話も描いてみたいとは思っていたんです。それと『銀狼王』をくっつけてしまおうという感じで。
――大熊さんは過去のインタビューで「プロットを読んだ瞬間、カチッとはまった音が聞こえた気がした」と仰っていました。
野田:ただ、最初見せたものはあんまり反応が良くなかったですよね?ヒグマの食害をメインに描こうとしたネームだったと思います。 そこで「金塊探し」という要素を追加したら「いいですね!」と言ってもらえた感じでした。
大熊:そうですね。金塊探し、父親の秘密など、本当にたくさんの普遍的な要素を多重的に練りこむことで、多くの読者さんにどこかしら突き刺さるような、入り口の広い冒険物語ができあがったと思います。
『ゴールデンカムイ』
© Ⓒ野田サトル/集英社
――多重的といえば、クライマックスに向けてキャラクターや物語がひとつに集約していくのが、読んでいて本当に気持ちよかったです。終盤の展開は、どのタイミングで構想されていたのでしょうか?
野田:樺太まで行くこと、刺青の暗号が指している土地は当初から決めていました。ライブ感で描いた部分ももちろんありますが「来週なに描こうかな」なんてことはほぼなかったと思います。
大熊:野田さんは「キャラクターの帰る場所、故郷を探す」という裏テーマを最初から最後まで持たれていました。それは方位磁針になる。だから「東西南北どちらに進むのか」というような大きな方向性はずっとブレなかったと思います。
――ちなみに、『ゴールデンカムイ』の数ある魅力のひとつとして「パーティがよく入れ替わる」ことがあると思っています。「この組み合わせだから、こう動くだろう」という発想で展開を作ることもあったのでしょうか?
野田:それはすごく意識していました。だから、できるだけパーティをシャッフルさせて「こいつとこいつの関係性を深めたらまた違う面が出るはず」というのを常に考えるようにしていましたね。『ゴールデンカムイ』最終回は半年前から決まっていた
――『ゴールデンカムイ』がヒットしたことで『スピナマラダ!』の終了直後にあった焦りはなくなっていったのでしょうか?
野田:そうですね。ただ今度は、作品への責任というか「絶対にうまく着地させなければいけない」というプレッシャーが生まれてきてしまって。
大熊:当時、野田さんが「最後でコケたくない」とよく仰っていました。連載途中で盛り上がっても、オチの付け方で評価が反転してしまうことが平気で起きる世界だとわかっていらしたので。
――『ゴールデンカムイ』の終盤は本当に素晴らしかったです。
野田:実は、半年前から『ゴールデンカムイ』最終回が「ヤングジャンプ」の表紙になることは決定していたんです。これ言って大丈夫ですかね?
大熊:大丈夫です(笑)。
野田:週刊連載で半年後に何を書くのかなんて到底決められるものではないのです。半年と言ったら単行本2巻分くらいですよ。函館あたりから「あと何話で終わり」って決められた状態で、逆算してストーリーを割っていったんです。遥か遠くの着地点を見つめながらムーンサルトで飛んでるような気分というか。
大熊:週刊連載という締切やページ数など制約が多いなかで、少しでもおもしろいものを生み出そうという良い意味で反発力が生まれるものです。結果的に野田さんには大変もがき苦しんでいただいてしまいました。本当にありがとうございました。
野田:そういう制約の中でやるのがプロだと思っているので、雑誌の連載のあり方は全く否定しません。でもどうしてもアクションやコマのつなぎが雑だったりしていたので、単行本ではきれいにつながるように加筆させてもらいました。
――最終回の大幅な加筆も大きな話題になりました。
大熊:最終回だけでなく単行本化の際は加筆を行っているんですよ。野田さんは毎巻「何ページ増やせますか?」と必ず聞かれるんです。そんなに自分からページを増やしたがる作家さんってなかなかいないのですが。
――正直、それで大きく売り上げが変わるということもなく、単純に仕事が増えてしまうわけですが。それでも加筆すると。
野田:そうですね。ファンサービスとも少し違いますし、完璧に近い作品をこの世に残すためというか。休載をもらい、その1週間で加筆をして休みを使い果たし、次の連載の話を書き始めるというサイクルを連載終了まで繰り返していました。
凄まじい才能の伴走者としての“編集者”
――『ゴールデンカムイ』のヒットを受けて、大熊さんは編集者としてどのような感覚で仕事をしていたのか教えてください。
大熊:本当におもしろいものを毎回描いていただけるので、ある意味、編集者としては非常に楽なんです。だからこそ、野田サトルという凄まじい才能の伴走者としてどうあるべきか。そんなことをずっと考えていました。
――野田さんの過去のインタビューで「『ゴールデンカムイ』は大熊さんが手がけたメディアミックス、コラボ、終盤の全巻無料といった取り組みが全部ハマった」と話されていました。
野田:はい、もう大熊さんにすべて任せておけばいいという感じでした。そのおかげで、世間で作品についての話題が盛り上がって、僕は最後まで漫画に集中できたと思っています。
――『ゴールデンカムイ』が完結して、野田さんへの接し方に変化はあったのでしょうか。
大熊:以前の私は「漫画原理主義」というか、とにかく漫画をがんばって描いていただくのが野田さんにとって良いことを連れてきてくれると思っていました。だけど、それは視野が狭かったかなと思っていて。今は、もっと人生そのものを楽しんでいただきたいと思っています。
――人生を楽しむというのは、具体的にはどういったことですか?
大熊:プライベートもそうですし、『ゴールデンカムイ』でいえばアニメのアフレコや舞台、イベント、実写の撮影現場立会いに行くとか。なかなか体験できない貴重な機会なので。
野田:連載が終わるまで、アニメのアフレコにも行ったことがなかったんですよ。それまでは「漫画以外のことはすべて諦める」ぐらいの感覚だったので。それが今は変わってきたような気がします。
大熊:担当編集としてどうしても締切などはお伝えしなければいけないのですが、なにより大切なのは野田さんご自身なので、連載ペースも含めて相談しながらやっていきたいと思っています。
野田:『ドッグスレッド』の隔週連載を許していただいたのはありがたかったです。もう今は両腕がボロボロになってしまって…。
大熊:許す許さないではなく、当たり前のことだと思っています。物理的に無理なものは無理ですから。本当にいつでも相談していただきたいと思っています。
取材・文=金沢俊吾