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厚真で出土、アイヌ文化期の漆器に再注目 「押型文」鎌倉とのつながり示す 「貨幣として流通」新説も

2024-01-01 | アイヌ民族関連

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北海道新聞2023年12月31日 20:21(12月31日 23:17更新)

厚真町のオニキシベ2遺跡から出土した漆器。スタンプ文が施された漆部分だけが残っている(厚真町教育委員会提供)

 【厚真】胆振管内厚真町のアイヌ文化期(約700年前)の遺跡で見つかった漆塗りの器が、近年の研究結果でアイヌ民族と鎌倉幕府とのつながりを示す貴重な資料と分かってきた。漆器はスタンプで押した文(押型文)が施され、主に鎌倉時代(1185~1333年)に生産された「スタンプ文漆器」と呼ばれるもの。ほとんどが神奈川県鎌倉市内で見つかっている。今後の研究が注目を集める一方、漆器から着想を得て「アイヌ社会では漆器を貨幣として使っていた」との新説も飛び出し、専門家の間で議論も呼んでいる。

 漆器が出土したのは同町中心部から北東に18キロ離れた山間部のオニキシベ2遺跡で、厚幌ダムの建設に伴う工事で見つかった。2007~08年に発掘調査が行われ、中世アイヌ文化期にあたる14世紀の成人女性の墓から、国内最古となるアイヌ民族女性の首飾り「タマサイ」やガラス玉などと一緒に出土した。最近の研究で、これが道内2例目の出土品と分かった。

 スタンプ文漆器の生産は鎌倉時代、今の鎌倉市周辺に限られる。鎌倉以北では、鶴が上下に向かい合う文の入った漆器が宮城・松島で見つかっており、同じ文の漆器は鎌倉の佐助ケ谷(やつ)遺跡からも出土した。

 アイヌ民族と鎌倉幕府との交易が盛んではなかった時期に生産されたため「道内で出るはずがない」とされていたが、1999年に後志管内余市町の大川遺跡から出土。厚真でも見つかり、漆器に詳しい上越教育大の浅倉有子特任教授=北方史=は「まさかスタンプ文漆器が厚真からも出るなんて」と驚く。

 浅倉さんは漆器について、道南を領土としてアイヌ民族と交易していた青森県の武士安藤氏を中継し、珍重品として鎌倉から持ち込まれた可能性が高いと分析。「鎌倉とのパイプがあったことの証拠で、厚真は交易の要衝だった」とみる。

 一方、スタンプ文漆器は大量生産できる点に注目したのが、日本中世史や流通経済史が専門の桜井英治東大教授だ。明治9年(1876年)に北海道、東北を巡った陸奥宗光の「東北紀行」に「アイヌは室内に剥落の古漆器を蓄えている。彼らは漆器を重んじ、漁業に雇役する者には、漆器を雇銭に代える。貨幣を給するようになったのはごく最近」との記述を見つけた。

 アイヌ民族と交易する際、和人は対価として主に漆器を渡していたことが知られているが、アイヌ社会は物々交換が基本で、貨幣が流通していたとは考えられていない。しかし、桜井教授は歴史上、貨幣は富の保存を目的とし、ワラや貝がらといった、それ自体に価値のない無益なものであることが条件だと指摘。「アイヌ社会では量産品や古い漆器は貴重品としてではなく、貨幣として流通していた可能性がある」とみる。

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(内山岳志)

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/959167/

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