現代ビジネス2023.05.11
2019年8月8日。アイヌの伝統的葬儀が始まってから4日目の午前5時。亡くなったアイヌ女性の納棺が行われた。といってもアイヌの昔からの弔いでは、木製の棺は用いない。
「遺体を、ガマの野草で編んだキナという茣蓙にくるんで包装するんだよ」と喪主の葛野さんは言う。
これまで2回にわたり、アイヌの先祖から伝わる葬儀の方法を紹介してきた。1回目は、通夜と葬儀の準備作業を、2回目は葬儀本番の模様を記した。最終回である今回は、野辺送り、土葬、そして亡くなった人の家を焼くという独特の弔い法について見ていこう。
茣蓙で遺体を包装する
遺体包装用の茣蓙が敷かれ、その上に遺体が横たえられた。レクトゥンべという魔よけの首飾りがかけられると、茣蓙を折りたたむようにして遺体をくるみ、紐で縛った。その縛り方だが、七本の木製の止め串に紐を引っ掛け、紐が交差するようにして縛っていった。止め串も手作りである。
ただし、このとき紐は、ちょっと引っ張るとほどける程度にゆるく結ぶという。『アイヌ、神々と生きる人々』(藤村久和著 小学館ライブラリー)によると、「この世の人間がしばると、あの世に行ってからほどけない」からだそうだ。
遺体包装用のものとは別に、副葬品を入れる袋も葬儀の準備中に手作りされた。この袋の中に、針入れ、糸巻、マキリ(女性用小刀)などを入れた。
「このとき、副葬品はすべて小刀で切ったり傷つけておくんだよ」と葛野さん。なぜ傷つけるかというと、そうやってこの世では役に立たないものとすることによって、逆にあの世では使える道具になると考えられているからだ。
死者が戻ってこられないように、窓から遺体を出す
遺体の包装が終わると、出棺である。出棺の仕方にもタブーが存在する。神さまの出入りする東の窓(神窓)はもちろんのこと、通常の玄関口からも出さない。
玄関から出すと、死者の魂が玄関を覚えていて、あの世で正規の手続きを経ないまま、さまよい戻ってきてしまうからだ。
そのため、昔は家の壁を破って遺体を出棺したという。現在、さすがにそれはしなくなったが、今回の葬儀では南窓から出すことになった。
窓から出す方法にも、うるさいしきたりが存在する。遺体の足のほうから出すのである。頭から先に出すと、ホトケが生前暮らした家を仰向けに見ることができ、この世に未練が残って戻ってくるからだという。
興味深いことに、和人の昔の葬式の出棺にも似た風習がある。玄関を使わないで、アイヌの風習と同様の理由で、縁側から出すのである。
遺体袋を南窓から出した後、同様にクワ(墓標)を出し、さらに、死者の食膳、副葬品の袋、水桶も出した。
そのあと、野辺送りの葬列が組まれた。野辺送りは、遺族、近親者が遺体とともに埋葬墓地へ歩いていく行列のことである。
野辺送りの先頭は、墓標(クワ)持ちである。クワはアイヌ語で「イラルカムイ(魂を運ぶ神)」、と呼ばれ、天界へ死者の魂を送る神のことで、重要な水先案内役である。クワ持ち役は、喪主の葛野次雄さんが務めた。
その次を行くのは遺体袋である。遺体袋を一本の棒で吊るし、棒を前後二人の男性が担いだ。その後ろを歩くのは、死者の食膳を携える女性、副葬品の入った袋を持つ女性、水桶を持つ女性で、亡くなったおばの3人の姉妹が担った。
入念な埋葬儀礼
野辺送りの行列が墓地に着くと、入念な作法で埋葬儀礼が行われた。
まず、儀礼に先立ち、深さ2メートル近くまで掘られた墓穴の中の男性が一人、ヨモギと笹の葉を振りながら「フッサ!フッサ!」と呪声をあげた。遺体を葬儀場に運び入れる前に行ったのと同様、埋葬地を清めるための悪魔祓いである。
そのあと行われた埋葬儀礼は、さらに興味深い。まず墓穴の底と四面の土の壁に、野草であるガマの茣蓙が敷かれた。次に、墓穴に先端がY字形をした2本の股木を立て、上から木の棒を1本渡した。この木の棒に遺体袋を縄で吊るし、墓穴の中に入れていった。縄を切ると、遺体はどんと墓穴の底に沈んだ。
さらに驚くべき作業が続いた。股木とそこに渡した木の棒の上へ、どさっと柴をかけたのだ。これによって、柴で葺かれたアイヌ家屋の屋根の形ができあがった。屋根の下には、亡くなったホトケが横たわっている。
つまり、亡くなったおばは、墓の中に建てられたアイヌの伝統的な家の中で、安らかに眠るというわけだ。
アイヌにも茶碗を割る風習が
こうした念の入った埋葬の後、生前にホトケが使っていた生活用具である鍋や茶碗などが、鎌で傷つけられ、乱暴に墓穴に投げこまれた。
生活用具を傷つけるのは、出棺前に死者に持たせる副葬品を傷つけたのとまったく同じ理由からだ。用具を傷つけることでその魂を抜き、あの世で使えるようにするのである。
チャリーン、がちゃーんと茶碗や鍋が壊れる金切り音が、乾いた空気を切り裂いた。
悲鳴のような音を聞き、とっさに思い起こしたのは、出棺時に茶碗を割る和人の弔いの風習だ。この風習の出典は、仏教経典などではなく、仏教到来以前の古い土俗的風習だといわれる。だから、アイヌと和人に共通の風習として残っているのだろう。
一連の埋葬作業が終わると、最後に土がかけられた。地表まで完全に埋まると、墓標のクワが立てられた。亡くなったおばのクワはT字型をしている。
T字型クワのてっぺんに固定した横木には、黒と白2本のキレが左右に一組ずつぶら下がっている。女性の装身具のように見えることから、かんざし型クワとも呼ばれる。
「このクワの形は、新ひだか町静内に多いタイプなんだよ」と葛野さんが言う。北海道アイヌのコタン(集落)でも、地域ごとに少しずつクワの形は異なるようだ。
先ほど墓穴へ遺体をどんと落としたのと同様、クワも一度にどんと突き刺すようにして立てられた。クワの下の方には魔よけの鎌が置かれた。
亡くなったおばの姉妹は、クワ全体に泥土を塗っている。土をつけることで、最後の名残とするという。
埋葬が終わると、参列者は家に戻った。墓を去る際に、一人ひとりに、悪魔祓いのための「フッサ」という呪声がかけられた。死のケガレを清められた参加者は、家に戻る道中、絶対振り向いてはならないと言われた。
弔いの参加者が、墓から家に戻ることを野帰りという。野帰りには、墓場での死者のケガレを家に持ち帰らないためのタブーが、風習として数多く存在する。悪魔祓いの呪声もその一つと考えられる。
カソマンテ~死者の家を燃やす
最後に、これぞアイヌの伝統的弔いの象徴と思われる風習を紹介しておきたい。それは、亡くなった人が住んでいた家(チセ)と同じ家をもう一軒作り、それを丸ごと燃やすというものだ。この独特の風習をカソマンテという。
なぜ、わざわざ作った家を丸ごと燃やすのか? その理由は、副葬品や生活用具を傷つけるのと同じである。つまり、この世で暮らした家を使えなくすることで、あの世で暮らす住居を手に入れることができるのである。
今回のアイヌの葬儀の喪主、葛野さんもカソマンテを行った。
「葬儀の準備中から、おばのためにミニチュアの家を作り、埋葬後、家を焼きました。ミニチュアといっても8畳ほどあるし、家の中に囲炉裏も作りました。屋根部分に藁を葺いて家の形にしたんだよ」と葛野さんは語る。
カソマンテには、死期の近いフチ(老女)が生前に新しい家を建ててもらい、少し生活してなじんだ家をフチの死後に焼いて、あの世に持っていくというバリエーションも過去にはあったという。
葛野さんのおばの場合は、埋葬後、ミニチュアの家を分解し、トラックに載せて運び、近くの河原でカソマンテを行った。
家を焼くために、葛野さんは事前に消防署の許可を取った。分解された家は、河原で点火され、煙を上げて燃えた。
このとき、炎が天空にまっすぐ上がらねば、死者の魂はあの世に行けないといわれる。
「炎が曲がってしまったときは、まっすぐに送れなかったと後で神さまに謝るのさ。どうぞ、おばさんの霊が天界に届いてけれーと祈りました」と葛野さんは言う。
無事、カソマンテが終了すると、一同はふたたび家に戻った。囲炉裏に集まって火の神に感謝し、お神酒をあげた。
それが終わると、葬儀中、茣蓙で覆って隔離していた葛野さんの家の守り神イナウ、葛野さんと息子の守り神イナウの覆いを取り除いた。
葬儀という4日間のハレの日は終わり、葛野家は日常に戻った。こうして、天界へ死者を送るアイヌの伝統的な葬儀、アイヌプリは終了した。(了)

家を燃やすカソマンテ Ⓒ2021葛野辰次郎のアェイヌ精神文化に学ぶ会
© 現代ビジネス
https://www.msn.com/ja-jp/news/other/死者の家をまるごと燃やす-アイヌの伝統的葬儀の謎-アイヌの土葬-神々と生き-死ぬ人びと/ar-AA1b1c8K
2019年8月8日。アイヌの伝統的葬儀が始まってから4日目の午前5時。亡くなったアイヌ女性の納棺が行われた。といってもアイヌの昔からの弔いでは、木製の棺は用いない。
「遺体を、ガマの野草で編んだキナという茣蓙にくるんで包装するんだよ」と喪主の葛野さんは言う。
これまで2回にわたり、アイヌの先祖から伝わる葬儀の方法を紹介してきた。1回目は、通夜と葬儀の準備作業を、2回目は葬儀本番の模様を記した。最終回である今回は、野辺送り、土葬、そして亡くなった人の家を焼くという独特の弔い法について見ていこう。
茣蓙で遺体を包装する
遺体包装用の茣蓙が敷かれ、その上に遺体が横たえられた。レクトゥンべという魔よけの首飾りがかけられると、茣蓙を折りたたむようにして遺体をくるみ、紐で縛った。その縛り方だが、七本の木製の止め串に紐を引っ掛け、紐が交差するようにして縛っていった。止め串も手作りである。
ただし、このとき紐は、ちょっと引っ張るとほどける程度にゆるく結ぶという。『アイヌ、神々と生きる人々』(藤村久和著 小学館ライブラリー)によると、「この世の人間がしばると、あの世に行ってからほどけない」からだそうだ。
遺体包装用のものとは別に、副葬品を入れる袋も葬儀の準備中に手作りされた。この袋の中に、針入れ、糸巻、マキリ(女性用小刀)などを入れた。
「このとき、副葬品はすべて小刀で切ったり傷つけておくんだよ」と葛野さん。なぜ傷つけるかというと、そうやってこの世では役に立たないものとすることによって、逆にあの世では使える道具になると考えられているからだ。
死者が戻ってこられないように、窓から遺体を出す
遺体の包装が終わると、出棺である。出棺の仕方にもタブーが存在する。神さまの出入りする東の窓(神窓)はもちろんのこと、通常の玄関口からも出さない。
玄関から出すと、死者の魂が玄関を覚えていて、あの世で正規の手続きを経ないまま、さまよい戻ってきてしまうからだ。
そのため、昔は家の壁を破って遺体を出棺したという。現在、さすがにそれはしなくなったが、今回の葬儀では南窓から出すことになった。
窓から出す方法にも、うるさいしきたりが存在する。遺体の足のほうから出すのである。頭から先に出すと、ホトケが生前暮らした家を仰向けに見ることができ、この世に未練が残って戻ってくるからだという。
興味深いことに、和人の昔の葬式の出棺にも似た風習がある。玄関を使わないで、アイヌの風習と同様の理由で、縁側から出すのである。
遺体袋を南窓から出した後、同様にクワ(墓標)を出し、さらに、死者の食膳、副葬品の袋、水桶も出した。
そのあと、野辺送りの葬列が組まれた。野辺送りは、遺族、近親者が遺体とともに埋葬墓地へ歩いていく行列のことである。
野辺送りの先頭は、墓標(クワ)持ちである。クワはアイヌ語で「イラルカムイ(魂を運ぶ神)」、と呼ばれ、天界へ死者の魂を送る神のことで、重要な水先案内役である。クワ持ち役は、喪主の葛野次雄さんが務めた。
その次を行くのは遺体袋である。遺体袋を一本の棒で吊るし、棒を前後二人の男性が担いだ。その後ろを歩くのは、死者の食膳を携える女性、副葬品の入った袋を持つ女性、水桶を持つ女性で、亡くなったおばの3人の姉妹が担った。
入念な埋葬儀礼
野辺送りの行列が墓地に着くと、入念な作法で埋葬儀礼が行われた。
まず、儀礼に先立ち、深さ2メートル近くまで掘られた墓穴の中の男性が一人、ヨモギと笹の葉を振りながら「フッサ!フッサ!」と呪声をあげた。遺体を葬儀場に運び入れる前に行ったのと同様、埋葬地を清めるための悪魔祓いである。
そのあと行われた埋葬儀礼は、さらに興味深い。まず墓穴の底と四面の土の壁に、野草であるガマの茣蓙が敷かれた。次に、墓穴に先端がY字形をした2本の股木を立て、上から木の棒を1本渡した。この木の棒に遺体袋を縄で吊るし、墓穴の中に入れていった。縄を切ると、遺体はどんと墓穴の底に沈んだ。
さらに驚くべき作業が続いた。股木とそこに渡した木の棒の上へ、どさっと柴をかけたのだ。これによって、柴で葺かれたアイヌ家屋の屋根の形ができあがった。屋根の下には、亡くなったホトケが横たわっている。
つまり、亡くなったおばは、墓の中に建てられたアイヌの伝統的な家の中で、安らかに眠るというわけだ。
アイヌにも茶碗を割る風習が
こうした念の入った埋葬の後、生前にホトケが使っていた生活用具である鍋や茶碗などが、鎌で傷つけられ、乱暴に墓穴に投げこまれた。
生活用具を傷つけるのは、出棺前に死者に持たせる副葬品を傷つけたのとまったく同じ理由からだ。用具を傷つけることでその魂を抜き、あの世で使えるようにするのである。
チャリーン、がちゃーんと茶碗や鍋が壊れる金切り音が、乾いた空気を切り裂いた。
悲鳴のような音を聞き、とっさに思い起こしたのは、出棺時に茶碗を割る和人の弔いの風習だ。この風習の出典は、仏教経典などではなく、仏教到来以前の古い土俗的風習だといわれる。だから、アイヌと和人に共通の風習として残っているのだろう。
一連の埋葬作業が終わると、最後に土がかけられた。地表まで完全に埋まると、墓標のクワが立てられた。亡くなったおばのクワはT字型をしている。
T字型クワのてっぺんに固定した横木には、黒と白2本のキレが左右に一組ずつぶら下がっている。女性の装身具のように見えることから、かんざし型クワとも呼ばれる。
「このクワの形は、新ひだか町静内に多いタイプなんだよ」と葛野さんが言う。北海道アイヌのコタン(集落)でも、地域ごとに少しずつクワの形は異なるようだ。
先ほど墓穴へ遺体をどんと落としたのと同様、クワも一度にどんと突き刺すようにして立てられた。クワの下の方には魔よけの鎌が置かれた。
亡くなったおばの姉妹は、クワ全体に泥土を塗っている。土をつけることで、最後の名残とするという。
埋葬が終わると、参列者は家に戻った。墓を去る際に、一人ひとりに、悪魔祓いのための「フッサ」という呪声がかけられた。死のケガレを清められた参加者は、家に戻る道中、絶対振り向いてはならないと言われた。
弔いの参加者が、墓から家に戻ることを野帰りという。野帰りには、墓場での死者のケガレを家に持ち帰らないためのタブーが、風習として数多く存在する。悪魔祓いの呪声もその一つと考えられる。
カソマンテ~死者の家を燃やす
最後に、これぞアイヌの伝統的弔いの象徴と思われる風習を紹介しておきたい。それは、亡くなった人が住んでいた家(チセ)と同じ家をもう一軒作り、それを丸ごと燃やすというものだ。この独特の風習をカソマンテという。
なぜ、わざわざ作った家を丸ごと燃やすのか? その理由は、副葬品や生活用具を傷つけるのと同じである。つまり、この世で暮らした家を使えなくすることで、あの世で暮らす住居を手に入れることができるのである。
今回のアイヌの葬儀の喪主、葛野さんもカソマンテを行った。
「葬儀の準備中から、おばのためにミニチュアの家を作り、埋葬後、家を焼きました。ミニチュアといっても8畳ほどあるし、家の中に囲炉裏も作りました。屋根部分に藁を葺いて家の形にしたんだよ」と葛野さんは語る。
カソマンテには、死期の近いフチ(老女)が生前に新しい家を建ててもらい、少し生活してなじんだ家をフチの死後に焼いて、あの世に持っていくというバリエーションも過去にはあったという。
葛野さんのおばの場合は、埋葬後、ミニチュアの家を分解し、トラックに載せて運び、近くの河原でカソマンテを行った。
家を焼くために、葛野さんは事前に消防署の許可を取った。分解された家は、河原で点火され、煙を上げて燃えた。
このとき、炎が天空にまっすぐ上がらねば、死者の魂はあの世に行けないといわれる。
「炎が曲がってしまったときは、まっすぐに送れなかったと後で神さまに謝るのさ。どうぞ、おばさんの霊が天界に届いてけれーと祈りました」と葛野さんは言う。
無事、カソマンテが終了すると、一同はふたたび家に戻った。囲炉裏に集まって火の神に感謝し、お神酒をあげた。
それが終わると、葬儀中、茣蓙で覆って隔離していた葛野さんの家の守り神イナウ、葛野さんと息子の守り神イナウの覆いを取り除いた。
葬儀という4日間のハレの日は終わり、葛野家は日常に戻った。こうして、天界へ死者を送るアイヌの伝統的な葬儀、アイヌプリは終了した。(了)


家を燃やすカソマンテ Ⓒ2021葛野辰次郎のアェイヌ精神文化に学ぶ会
© 現代ビジネス
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