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フロリダマナティーの驚きの過去が判明、人間に翻弄される200年

2024-11-24 | 先住民族関連

ナショナルジオグラフィック2024年11月23日

フロリダマナティーの驚きの過去が判明、人間に翻弄される200年

 11月20日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された研究によると、フロリダマナティー(Trichechus manatus latirostis)の現在の頭数は、人類が北米に進出して以来最多かもしれないという。今、人間の活動がもたらす変化が彼らの生存を脅かしているが、実は過去200年間に頭数が増えたのも、人間の活動がもたらした環境変化のせいである可能性がある。

 フロリダマナティーはニシインドマナティーの亜種で、主にフロリダ州に生息している。フロリダ州魚類野生生物保護委員会によれば、同州の2021~22年のマナティーの頭数は8350~1万1730頭と推定されている。

 新しい研究によると、19世紀以前にフロリダで泳いでいたマナティーは、カリブ海に定着していてときどきフロリダにやって来る観光客のようなものだったという。ヨーロッパからの入植者による地形の大幅な変化と人間の活動がもたらした気候変動が始まった時期は、フロリダの海を訪れるマナティーが増えた時期と一致している。

 今、専門家は、マナティーをフロリダに引き寄せたのと同じ変化のいくつかが、マナティーの生存を困難にしているのではないかと懸念している。

非常に珍しかったマナティー

 今回、米南フロリダ大学と米ジョージ・ワシントン大学の考古学者たちが、1万4000年前以降の約200万点の動物の骨について記載されている67点の考古学報告書を分析した。すると、そうした骨の中にマナティーのものはほとんどなく、発見されたごく少数のマナティーの骨は道具や装飾品として使われていたことが明らかになった。

 研究者たちは、植民地時代より前のフロリダの海にはマナティーはほとんどおらず、マナティーの骨でできた道具や装飾品は、カリブ海でマナティーを狩猟する人々と交易していた米先住民から伝わったものではないかと考えた。

 もちろん、マナティーは当時からフロリダの海に生息していたが狩猟の対象ではなかったために、遺跡から骨が見つかっていないのだ、と考えることもできなくはないが、研究者たちはその可能性は低いと考えている。

 なぜなら、1528年から1595年の間にフロリダ半島中西部のタンパ湾に上陸した探検家たちの記録の中に、マナティーに言及したものがないからだ。彼らは食料源を探していたはずなので、マナティーがいたら必ず記録していたはずだ。より古い探検家の記録の中には、例えば「海のオオカミ」についての不明瞭な言及があるが、現在ではこれはアザラシを指していると考えられている。

 フロリダのマナティーに関する最初の信頼できる記述は、この地域が英国の植民地だった1700年代後半のものだが、その後も目撃記録は少ないままだった。「1800年代にマナティーが目撃されると、トップニュースになるほどでした」と、今回の論文の著者で、南フロリダ大学の考古学者であるトーマス・プラックハーン氏は言う。

次ページ:すみやすくなったフロリダの海

 ところが1920年代から1930年代になると、マナティーの目撃が印刷メディアで日常的に報告されるようになる。そして1950年代半ばには、タンパ湾のマナティーが「増えた」と報告されるようになり、同じくフロリダ州のメキシコ湾に流れるクリスタル川の「永住者」と呼ばれるようになった。

 これらのことから研究者らは、かつてフロリダにはマナティーは少数しかおらず、しかもこれらの個体はカリブ海から一時的に来ていただけだったが、1800年代後半から1900年代にかけてフロリダに定着するようになったと結論づけた。

「確実に言えるのは、1800年代までの考古学記録や歴史記録ではマナティーの存在はほとんど確認されていないということです」とプラックハーン氏は言う。「最も可能性の高い仮説は、当時はマナティーの数がそれほど多くなかったというものでしょう。フロリダは彼らの生息域の北限に近く、気温が許せば、ときどきフロリダまで北上してきていたのだと思います」

すみやすくなったフロリダの海

 1800年代以前のフロリダの海は、マナティーにとっては寒すぎた可能性が高い。1200年代に始まった「小氷期」と呼ばれる寒冷な時期の終わり頃だからだ。1800年代に小氷期の影響が弱まったことで、マナティーはカリブ海からフロリダへと生息域を北に拡大できるようになったのかもしれない。

 人間の活動による地球温暖化や、工業活動(発電所からの温排水など)に伴う海水温の上昇により、フロリダの海はマナティーにとってさらに快適な場所となった。

 今回の研究によると、1800年代後半から1900年代初頭にかけての新聞には、ヨットハーバーや運河の港などの海水温が高いところでのマナティーの目撃が報告されている。人間が作り出したこうした温水域が避難場所となり、マナティーの生息域を北へ広げた可能性がある。

 増えていったマナティーたちは、この頃から始まった人々の認識の変化や法律によって守られた。

 19世紀初頭の新聞記事では、マナティーはしばしば「魚」と呼ばれたり、「怪物」と表現されたりしていた。マナティーが海から陸に上がって歩き出すのではないかと心配する人々もいた。

「人々はやがてマナティーのことを、子育てをし、ベジタリアンの、人間を脅かすことのない哺乳類として理解するようになりました」とプラックハーン氏は言う。

次ページ:マナティーが直面する新たな問題

マナティーが直面する新たな問題

「マナティーの分布は、昔と今ではかなり異なっている可能性が高いと思います」と、米フロリダ国際大学の生態学者であり、今回の研究には関わっていないアーリン・アレン氏は電子メールで語った。「著者らが指摘しているように、過去75年間にフロリダの海岸線に沿って発電所がいくつも建設されたことで、マナティーは生息域をさらに北へと広げることができたのです」

 こうした温水域に生息するフロリダマナティーは、別の脅威に直面している。汚染により有害藻類ブルームが発生し、フロリダマナティーの主要な食料源である海草が減少しているのだ。

 アレン氏は海草が減った原因は汚染にあると考え、「マナティーの生息地、特に海草草原を保護し回復させるためには、一丸となった取り組みが必要です」と指摘する。

 2017年、米国の絶滅危惧種法(種の保存法、ESA)によるフロリダマナティーの分類は、約50年ぶりに「絶滅危惧(Endangered)」種から「準絶滅危惧(Threatened)」種に変更された。

 しかし2021年以降、フロリダ州の大西洋岸でマナティーの死亡数が増加したため、同地域には「異常大量死事象」が宣言されている。この事象は現在も続いており、アレン氏によると、主な原因は海草の減少による栄養失調だという。

 発電所周辺の温水域がマナティーの避難場所になっていることも難しい問題だ。

 一部の保全論者は、マナティーがこれらに代わる温水域を見つけるまでは、こうした産業施設を維持すべきだと主張している。

「発電所の閉鎖によるマナティーの大量死は誰も望んでいないので、暖かい避難場所の提供は極めて重要です」と、米エッカード大学の生物学者であり、今回の研究には関わっていないレイ・ボール氏は電子メールで語った。氏は自身の研究で、発電所が閉鎖された場合にマナティーにとって暖かい避難場所となる浮遊式の温室を提案している。

 プラックハーン氏は、発電所の温排水に頼っているマナティーを別の方法で保護することや、海草の減少に対処するための汚染管理について創造的に考えることが、マナティーの保護にとって重要だと主張する。

「私は、マナティーを絶滅危惧種から除外することを正当化する理由として自分の研究が利用されることを望んでいません」とプラックハーン氏は言う。「この研究が示しているのは、マナティーの数や生息域の拡大は主に人間が原因であり、私たちにはマナティーを幸福にする責任があるということなのです」

https://www.goo.ne.jp/green/column/natgeo-0000Bs7h.html

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