goo blog サービス終了のお知らせ 

先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

『ゴールデンカムイ』で注目の犬の正体は? アイヌ民族と北海道犬の軌跡

2023-11-14 | アイヌ民族関連

11/13(月) 16:30配信

写真・図表:歴史人

人気漫画『ゴールデンカムイ』には、チャーミングな犬のキャラクター『リュウ』が登場する。北海道犬、アイヌ犬と紹介されているが、果たしてなぜ「アイヌ犬」は「北海道犬」へとその名を変えたのだろうか。そこには、アイヌ民族が犬と共に生きた長い歴史と、戦前の犬事情が複雑に絡み合っていた。

■北の大地に生きる人々と犬の歩んだ歴史

 北海道犬は長い間、北海道でさえ知る人は少なく、日本犬関係者の間でしか話題にのぼらない犬だった。それが知られるようになったのは、ソフトバンクのCMで白戸家の「お父さん」に起用されてからである。

 北海道犬とはアイヌ犬のことだ。「アイヌ犬」という呼称自体は明治の初め、イギリス人の動物学者がつけたものである。日本犬として最後に天然記念物の指定を受けるとき、訳あって北海道犬という名称に変わった。

 北海道犬は小さくても柴犬の1.5倍以上の大きさがあり、なかには30kg以上に成長する個体もいる。北海道の自然に適応し、厚い胸板と豊かな被毛を保ってきた。最近では、実写化も決まった人気マンガ『ゴールデンカムイ』に登場することで、知名度が上がっている。

 太平洋戦争末期、「犬を飼うのは非国民」とされて供出が強要された時は、北海道犬もほかの犬と同様、絶滅の危機に瀕した。その時、岩見沢の飼育者たちが猛烈な活動を展開して、種犬となる6頭を必死で守ったのだった。

 北海道犬はずっとアイヌと一緒に暮らしてきた。アイヌは北海道の先住民族であり、その発祥にまつわる神話にも犬が出てくる。

 昔、美しい娘がジブチヤリ(今の日高郡新ひだか町)の海岸にどこからか漂着し、たった一人でいる寂しさで泣いていた。するとそこに白い犬が現れて食べ物を運び、機織りの機具や木の皮を持ってきた。それを使って、娘は厚司(アツシ)というアイヌの被服を織って着た。

 この日から娘は、この白い犬に養われるようになり、やがて契って玉のような男の子を産んだ。その子は「アイヌ」と名づけられた。その後、白い犬はどこともなく行方知れずになってしまった。しかし、生まれた子は強い男に成長してたくさんの子孫を作り、やがて蝦夷(えぞ)を己が天地にしたという。

 こういうアイヌの伝承は神秘的で魅力的だ。だがアイヌ研究者の瀬川拓郎は、そういう一般的な印象に異を唱える。「アイヌを単純に『自然と共生する民』と評価してしまうと、交易民として生きてきた彼らの複雑な歴史の意味を、見失うことになりかねません」(『アイヌ学入門』より)

 また、長く日本社会が抱いてきた静謐(せいひつ)なアイヌのイメージは、松前藩によって弾圧され、最後の抵抗だったシャクシャインの戦いが鎮圧された後の姿だという。

『ゴールデンカムイ』は、エンタメ作品が初めてアイヌを正面から描いたという点で画期的であるだけでなく、定型化されたアイヌのイメージを塗り替えることにもなった。

 アイヌコタンと呼ばれる集落は、だいたい10戸ぐらいの家族から成り立っていた。そして必ず犬がいた。ヒグマやエゾシカ猟に必要だったし、オオカミから集落を守る番犬であり、橇(そり)をひくにも必要だったからである。

 明治35年(1904)、映画にもなった青森第五連隊の八甲田雪中行軍遭難事件が起こる。その捜索に、落部(おとしべ)コタンの長である弁開凧次郎(べんかいたこじろう)、アイヌ名「エカシバ」が7人のアイヌと犬を連れて参加した。犬は氷の裂け目に飛び込むなどして捜索し、大活躍した。さらに捜索中に雪の中で出産するなど、強い生命力を示してアイヌ犬の名を高めた。ちなみにエカシバというのは、「偉大で何でもできる」という意味である。弁開は様々な知識を身につけ、獣医の仕事もできた近代アイヌのリーダーだった。

 しかし、勇猛果敢なアイヌ犬も次第に減っていく。明治維新によって北海道にも洋犬至上主義が入ってきて、混血が進んだ上、アイヌがマタギ猟で生活できなくなったからである。そうなるとマタギ犬も必要なくなる。そういう状況を憂えたのが『北海タイムス』(当時)の記者、伝法貫一だった。子どもの頃から、近くにあったアイヌコタンに親しんでいた伝法は、記者になってからもアイヌと親しく交流し、犬を愛でていた。あまりにも熱中しているので、社内で酋長(しゅうちょう)と呼ばれていたくらいである。

 アイヌ犬の減少に危機感を抱いた伝法は、保存活動の必要を痛感する。そして社内にアイヌ犬保存会を旗揚げし、昭和9年(1934)5月に北海道随一の百貨店だった丸井今井の屋上で、第1回アイヌ犬展覧会を開催した。会場には犬小屋をずらりと並べ、交流のある千歳アイヌも多く顔を出したのだった。

 昭和12(1937)1月には、日本犬保存会北海道支部が設立された。そして6月に、天然記念物指定のため調査員の一行が訪れたのである。その直前に北海道支部は全会一致で「今後はアイヌ犬ではなく、北海道犬と呼ぶこと」を決議しており、一行にもその旨を伝えた。

 実のところ、それはアイヌの人々自身の強い希望だったのだ。その背景には、当時アイヌが置かれていた状況があった。アイヌの子どもが学校に行くと「あ、イヌが来た!」と言われる時代だったのである。そのため昭和12年(1937)2月、アイヌ犬は北海道犬という名称で天然記念物の指定を受けた。

 その後もアイヌに対する偏見は続いた。しかし、2007年に国連が「先住民族の権利に関する宣言」を出し、長く単一民族説を主張していた日本政府も翌年、アイヌを日本の先住民族として認める決議を国会で採択した。そして、明治32年(1899)に制定された旧土人保護法に代わり、2019年にはアイヌ施策振興法が制定されるに至った。こういう経緯を知ると、『ゴールデンカムイ』の登場が画期的であったことがわかる。

 筆者は個人的に、北海道犬がもう一度、アイヌ犬と呼ばれるようになることを願っている。アイヌ犬という呼称には、先住民族アイヌと共に生きてきたマタギ犬の歴史が刻まれているからである。

川西玲子

https://news.yahoo.co.jp/articles/4f5d6d17a39643766f6e9dc35cb88a1df2775ad4

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 臭かった小樽運河、今でこそ... | トップ | ハンター黒田未来雄氏「撃つ... »
最新の画像もっと見る

アイヌ民族関連」カテゴリの最新記事