斉藤高広 会員限定記事
北海道新聞2024年12月6日 10:57
先行上映後、二通諭・札幌学院大名誉教授(右)と対談し、制作の意図を語る藤野知明監督
札幌在住の映画監督藤野知明(58)が、統合失調症とみられる症状が現れた姉と、父母の対応を20年にわたり丹念に記録したドキュメンタリー映画「どうすればよかったか?」が14日、シアターキノで公開される。キノで11月27日に行われた先行上映で、藤野監督と札幌学院大の二通諭名誉教授(特別支援教育)が対談し、制作の動機や狙いを語り合った。
■姉の受診避けた両親/疑問感じ自ら撮影
二通 家族のネガティブな状態を描いたセルフドキュメンタリーを作った原動力は。
藤野 高校の時に姉の状態が変化して、両親の対応に納得がいかなくて、謎がいっぱいでした。自分が大学を卒業して本州への就職を決めたので、家の中が両親と姉だけになってしまい、記録が何も残らなくなる。会社を辞めて、映画学校を卒業し、2001年から撮影を始めました。とにかく記録に残したかった。将来、精神科の先生に診てもらうことになっても、今始まったことではなく、昔からあったと説明する際の記録になればと。2008年に姉が入院して、(治療の効果で)だいぶ話せるようになってから、人に伝えてもいいかなと思いました。
二通 これまでに制作したアイヌの人々の先住権を深掘りしたドキュメンタリーと、全く関連性がないとは言えないと思います。
藤野 (自分が)高校、大学の頃、姉の状況を両親がきちんとくみ取らず、学校に行くのも大変でした。夜中大きな声を出す姉が寝るまで起きていたのでいつも睡眠不足。成績が下がり、先生から「どうした」と聞かれ事情を説明すると、「姉さんが精神病なら、おまえもか」と言われたのがショックで。高校、大学の10年くらいは人に相談できず一番つらい時期でした。アイヌの方たちは何かを伝えたいと話してくれるのですが、同時に、どうせ聞いてもらえないだろうという気持ちもある。うちの家族よりもはるかに長い時間、もっと大変な人権侵害を受けてきた歴史を考えると、複雑な心境です。
二通 監督が望む解決に至らなかったのは、ご両親が障壁になっていた?
藤野 合理的な判断をする研究者で尊敬する両親がまさか姉を医療から遠ざける選択をしたのは、やはり理解できなかった。医者ではない僕が見ても、やはり姉の行動を「何でもない」とは思えなかった。最後の場面で父に三つ質問しました。「(症状が出始めた)1983年当時は成果の上がる治療法がなかったのか」「入院患者への虐待が心配だったのか」には、いずれも「そうではない」と答え、「病気を恥じたのか」との問いには「ママがそうだった」と。(両親が自宅でやっていた)研究でも父の方が主導権を持ち、母も父の壁を越えられないという言い方をしていたので、父が決めたと思う。最初の入院の時にすぐ退院させたのも父でしたし。
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<略歴>ふじの・ともあき 1966年、札幌生まれ、北大農学部を7年かけて卒業。横浜の住宅メーカーに2年勤務した後、2012年、札幌に戻り、13年に「動画工房ぞうしま」を設立。主にマイノリティーに対する人権侵害をテーマに映像を制作している。主な作品は「八十五年ぶりの帰還 アイヌ遺骨 杵臼コタンへ」(17年)、「カムイチェプ サケ漁と先住権」(20年)ほか。
※「カムイチェプ」の「プ」は小さい字