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アイヌ民族差別、記述に濃淡 来年度からの高校教科書 同化政策・固有の風習禁止を詳しく/「不利な立場で蜂起」2ページのみ

2021-05-04 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/03 10:55
 2022年度から全国の高校で使われる新しい教科書は、幅広い教科にわたってアイヌ民族についての記述があった。文部科学省が3月末に公表した高校の教科書検定の結果によると、新必修科目の「歴史総合」では、合格した12点すべてが歴史や固有文化を紹介。ただ、差別問題をどこまで記述するかを巡って出版各社の判断が割れており、関係者からは踏み込み不足を指摘する声もある。
 今回行われた高校の教科書検定は、22年度から段階的に施行される新学習指導要領に基づくものだ。新たな必修科目で、近現代史に焦点を当てる「歴史総合」では、日本の開国を学ぶ際に「北方との交易をしていたアイヌについて触れること」を求めている。
 合格した新教科書12点はいずれも、江戸幕府が松前藩を対外窓口の一つとし、アイヌ民族と交易していたと解説。同藩の家老だった絵師蠣崎波響(かきざきはきょう)が、当時のアイヌ民族の首長らを描いた肖像画「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」などを掲載した。
 現行の歴史教科書では、日本史Aは全7点がアイヌ民族について触れているものの、北海道開拓の説明の注釈程度にとどまるものもあり、全体的に控えめ。世界史Aでは9点中1点しか触れていない。科目が違うため単純比較はできないが、「歴史総合」の新設でアイヌ民族の記述が増えたと言えそうだ。
 ただ、差別問題など「負の歴史」に関する記述は各社で違いがある。最多の9ページを充てた教科書は、明治政府の同化政策でアイヌ民族固有の風習が禁止されたことなどを詳述したが、最少の2ページだった別の教科書は、アイヌ民族が「(松前藩に)不利な立場に置かれて蜂起した」などとするにとどめた。
 北海道旧土人保護法の制定(1899年)に関しては、ある教科書が「保護という語句とは裏腹に、農業の強制などが実施され」と説明。これに対し、「保護の対象とされ、農業のための土地の給付や日本語での教育が推進された」と表現した教科書もあった。
 「歴史総合」と同じ新必修科目で、主権者教育を行う「公共」では、アイヌ民族を先住民族と明記したアイヌ施策推進法(19年施行)について「土地や資源に対する先住権が明記されず」と問題点を指摘する教科書がある一方、別の教科書は「(アイヌ)文化の振興をはかっている」としただけだった。
■伝統儀式紹介ユカラ、文様も 9科目で多様な内容
 今回の検定で合格した高校教科書のうち、アイヌ民族についての記述があったのは「歴史総合」「公共」を含む計9科目38点。教科は多岐にわたり、内容も固有文化など多様だ。
 「地理総合」では世界の民族を学ぶ項目で、伝統儀式などの写真が掲載された。「英語コミュニケーション1」では英語の会話文などで、消滅の危機にひんする言語としてアイヌ語が紹介された。
 「音楽1」ではユカラ(英雄叙事詩)などに触れて「アイヌの人々の生活は、歌や踊りに満ちていた」とした教科書も。「美術1」では世界のデザインを学ぶ項目でアイヌ文様が、「家庭基礎」「家庭総合」では伝統的な織物の例としてアットゥシ(樹皮衣)が掲載された。

 新高校教科書のアイヌ民族に関する記述をどう読むか。アイヌ民族で慶応大4年の関根摩耶さん(21)と、アイヌ民族をテーマとした作品がある漫画家で、埼玉県内の私立高校でアイヌ語講師を務める成田英敏さん(60)の2人に聞いた。
■アイヌ民族の大学生・関根摩耶さん 今の人たちに関心を
 歴史の教科書は「過去形」で語られますが、アイヌの人々は生きています。私が通った高校の教科書は「アイヌの人たちがいました」という書き方がされていて、自分の存在が切り離されたように感じました。
 英語や音楽、家庭科などでもアイヌ文化に触れられたことは、総合的な理解につながります。これはうれしいことですが、英語は「消滅の危機にある言語」がテーマ。そうではなく、アイヌの人々へのインタビューを例文にするなど「今のアイヌ」に興味を持つきっかけにしてほしいです。
 アイヌは最も身近な異文化で、学ぶことは「日本とはなにか?」との問いにもつながる。新学習指導要領が求める「深い学び」に適したテーマのはずです。
■漫画家、アイヌ語講師・成田英敏さん 踏み込みが足りない
 アイヌ民族への差別については、踏み込んで書かれていないと感じました。「歴史総合」で差別に触れないのは不完全。あらゆるマイノリティーの人権が重視される中、差別の歴史もきちんと教えるべきです。
 「公共」でもアイヌ施策推進法に触れていますが、先住権が認められていないことの記述は乏しく、現在も続く差別の原因となった北海道旧土人保護法も十分書かれていません。「旧土人」は極め付きの差別用語ですから、もっと強調してもいいのでは。
 私が講師を務める高校では、アイヌ語を話す人が少なくなった理由をまとめさせるなど、差別の歴史を教えています。教科書だけでは限界があり、教える人材を育てることが大切です。(大能伸悟)
◆ユカラのラとアットゥシのシは小さい字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/540044

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「住民目線」で白老ガイド ウポポイ開業契機に有志が団体 歴史学べる「穴場」案内へ

2021-05-04 | アイヌ民族関連
北海道新聞 05/03 11:30
 【白老】アイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」が開業した胆振管内白老町で、町民有志による観光ガイド組織「白老おもてなしガイドセンター」が4月に発足した。道内外からのウポポイ来場者らを関連施設に案内し、アイヌ文化の理解を深めてもらうほか、穴場の観光スポットなども巡り、滞在につなげて白老の魅力を伝えたい考えだ。
 センターの岩城達己(たつき)代表(66)ら3人は4月21日、観光ルートづくりのため、町内の各地を回った。
 昨年7月に開業したウポポイでは、訪れた高校生に興味を持った展示内容や見学後にどのような場所に行きたいかを聞き取りした。
 続いて約1・5キロ離れた中心商店街に移動。観光客がくつろぎ、滞在できる場所をメンバー間で探った。「最近は若い人が営むおしゃれなカフェや民泊施設が増えている」「歴史や文化の話を聞くだけでは疲れてしまう。『ここのお店がおいしい』など住民目線のガイドも入れていこう」
 ウポポイが面するポロト湖近くにあり、森林浴などを楽しめるポロト自然休養林の散策コースも巡った。
■20~70代17人
 センターは、町が白老の地理や歴史に詳しい大学教授らを講師に、2019年度から始めた観光ガイド養成講座を修了した17人で構成する。ウポポイ開業を機に、白老の魅力を多くの人に知ってもらおうと、地元企業の退職者や主婦、岩城さんら元町職員など20~70代の多彩な顔ぶれだ。
 新型コロナウイルスの感染拡大により、ウポポイは施設内の国立アイヌ民族博物館を事前予約制とするなど感染対策を取っている。センターの観光客受け入れも感染状況を踏まえた上で、7月以降の開始を検討する。白老観光協会を窓口に初年度のガイドは試行的に無料で行い、観光ルートや料金設定を固める予定だ。
 力を入れたいのが、ウポポイ来場者に白老のアイヌ文化とその歴史を深く知ってもらうこと。アイヌ語地名がある景勝地や、幕末の仙台藩が北方警備のためにとりでを築き、アイヌ民族と交流した歴史を学べる「仙台藩白老元陣屋資料館」を観光ルートに組み込むことを検討する。
 センター事務局長の松本曜子さんは「白老の観光資源はアイヌ文化と深く関わっており、正しく発信していきたい」と語る。
■「再訪」を意識
 関係者が寄せる期待は大きい。白老アイヌ協会の山丸和幸理事長は「先人の功績や差別を受けた歴史も含め、しっかりと伝えてほしい」、ウポポイを運営するアイヌ民族文化財団(札幌)の斉藤基也運営本部長も「地元をよく知る人たちの力を借りられるのは心強い」とそれぞれ語る。
 一方、メンバーの頭を悩ませているのが、東西24キロに散らばる観光スポットを、どう効率的に巡るかだ。東の社台地区には競走馬の生産・育成牧場があり、西の虎杖浜地区には温泉や海産物の土産物店が並ぶ。
 町はウポポイ開業後に、循環バスの運行を始めたが、新型コロナの影響や認知度不足により、乗車率は低迷している。センターは循環バスを活用した広域のルートづくりも検討中で、岩城代表は「『また白老に来たい』と思ってもらえるようなガイドを提供したい」と意気込んでいる。(斎藤佑樹)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/539643

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カジノ銃撃で2人死亡、容疑者射殺 標的の知り合い不在で同僚や友人に発砲か 米

2021-05-04 | 先住民族関連
CNN 2021.05.03 Mon posted at 11:54 JST
(CNN) 米中西部ウィスコンシン州グリーンベイのカジノ内で1日夜、男が銃を発砲し、撃たれた2人が死亡、1人が重傷を負った。容疑者の男は警官に射殺された。
現場はカジノに併設されたホテル内のレストラン。調べによると、容疑者はレストランに勤める知り合いの人物を襲おうとした。犯行当時は本人がいなかったため、その同僚や友人らを撃ったとされる。
現場に居合わせた目撃者らによると、店内は一時、逃げ惑う人々で騒然となった。
同カジノを運営する先住民族のオネイダ族は、ツイッターを通して遺族らに弔意を表し、施設全体に最大限の警備態勢を敷いてきたと強調した。カジノと併設施設は当面、閉鎖される。
https://www.cnn.co.jp/usa/35170228.html

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<ひと・街・キラリ><ひと・街・キラリ>あさひかわサケの会代表・寺島一男さん(76) 石狩川の環境問題、関心を /北海道

2021-05-04 | アイヌ民族関連
毎日新聞 2021/05/04 06:12
 石狩川にサケを呼び戻す運動を始めてから、来年で50年になる。
 「旭川市を中心とする上川盆地は、大雪山の伏流水と石狩川の恵みにより、アイヌが暮らす時代には日本最大のサケの産卵地だった。100万匹前後のサケが遡上(そじょう)したといいます」
 そんな上川盆地のサケの自然産卵は、1964年に途絶えた。深川市の石狩川に、農業用水を取水する「旧花園頭首工」が完成したが、魚道が設けられなかったためサケが遡上できなくなったのだ。
 そんな中、石狩川の支流の牛朱別(うしゅべつ)川で工場排水による公害問題が発生した。「川の環境や大雪の自然、石狩川の環境問題に、もっと多くの人に関心を持ってもらいたい」と考え、72年に「あさひかわサケの会」を設立。83年からサケの稚魚の放流を始めた。
 そんな努力が実って2000年、頭首工に魚道が完成。03年にサケが上川盆地に戻ってきた。毎年秋にサケの稚魚を放流しており、今年は400人を超す子供たちが集まった。戻ってくるサケの数は、かつての数には及ばないが、1000匹は超えるという。
 「これからは放流がメインではなく、サケが自然産卵して戻ってくる環境づくりに力を注ぎたい。ただ、稚魚の放流には子供たちへの自然教育の意味もある。簡単に放流をやめることはできない」と悩んでいる。
 近年石狩川で、野生のサケの回帰が減っているのが気がかりだ。「地球の温暖化の影響で、北海道沿岸の海水温が上がっていることが一因だろう。これからは高齢者に、もっと関心を持ってもらえるよう運動の幅を広げていきたい」【土屋信明】
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi_region/region/mainichi_region-20210504ddlk01040011000c.html

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精神科医・星野概念が訪れた、“弱さ”を分かち合う幸せな福祉の[FRaU]

2021-05-04 | アイヌ民族関連
joseishi.net 5/3(月) 10:40
北海道浦河町に、精神疾患を抱えた当事者たちが悩みを共有しながら暮らす、コミュニティ〈べてるの家〉があります。互いに支え合い、病院に入ることなく町で働き、地域と共に生きる。その取り組みの場所を、精神科医の星野概念さんと訪れました。
星野概念(ほしの・がいねん)
1978年生まれ。精神科医、ミュージシャンなど。総合病院に勤務し、在宅医療や救命救急などを担当。発酵や漢方からもヒントを得て、様々な心の不調と向き合っている。近著に、いとうせいこうとの共著『自由というサプリ』。
語ることの文化を、回復のキーワードに
作業は楽しく喋りながらが基本。施設立ち上げ時から行う日高昆布の製造販売の他、農福連携事業として、いちごのヘタ取りも行う。
北海道南部沿岸の浦河町。人口1万2000人ほどの過疎の町にある〈べてるの家〉には、全国から重い精神疾患を抱えた人たちがやってくる。しかし、ここは病院ではない。統合失調症による幻聴や妄想があっても、アルコール依存症やうつ病などがあっても、病院ではなく地域で生きていく、それを叶えるための活動拠点である。脆さを抱えた人たちによって成り立つ組織の毎日は簡単ではなく、いつも問題だらけだ。パニックになって家具を壊したり、鍵を飲み込んだり、道端で寝たり。警察のお世話になることもしばしば。活動の要となる日高昆布の製造販売や、いちごのヘタ取り作業にしても、当日の朝にならないと誰が出勤してくるのか分からない。なのに、全然ピリピリしていない。
シャツに〈べてる〉のロゴをししゅうする女性チーム。BGMは長渕剛。
「自分がいる病院や施設と違って、精神疾患がある人たちが伸び伸びとしている。それが実際、どういう場所なのかを体感したかった」と言う精神科医の星野概念さん。当事者スタッフの案内で作業所やグループホームを回り、名物と言われるミーティングにも参加させてもらった。
コマの得意技を披露してくれたメンバー。ミーティング中もたまにやっていました。
星野さんが言う、当事者たちの“伸び伸び”の一端にあるのが、月に100回以上は開催されている、多様なミーティングの存在だ。ここでは各々が、統合失調症ドラマチックタイプ、精神バラバラ病、明るい躁うつ病笑い型など、医学的な診断名でなく自分で考えた病名で自己紹介し、幻聴を“幻聴さん”、頭に浮かんでくる思考を“お客さん”と、親しみを込めて呼ぶ。
調子が悪いことをバラバラとか、ぱぴぷぺぽなんて言っていると、深刻さが笑い飛ばされる。こうして病気の苦労や悩みを公表して、一緒に考え、支え合う。日々のあらゆる些細な問題がミーティングの題材となり、弱さを共有することが絆となり、仲間が増えて場が豊かになる。だから〈べてる〉では、病気であるほど“順調”という。
1978年、町内の総合病院に初の精神科のソーシャルワーカーとしてやってきたのが、〈べてる〉を立ち上げた向谷地生良さんだ。
向谷地さん(写真左)のジャンパーは初めて浦河に来た時から着ている年代モノ。最初の10年はアルコール依存症の青年にボコボコに殴られたり、事あるごとに110番したり、転落の時代だったと笑う。
■向谷地生良(むかいやち・いくよし)
〈浦河べてるの家〉理事、ソーシャルワーカー。1984年に〈べてるの家〉を設立。地域名産の製造販売による就労支援、グループホームなどの住居の提供と、精神障がいを経験した人たちの社会参加や進出のための事業を展開。
「様々な領域を経て精神医療に足を踏み入れた時、その異質さに驚きました。患者さんに巻き込まれないように、とにかく距離を取るよう教えられる。彼らは柵のある倉庫のような暗い部屋に入れられて社会と断絶させられる。絶望的なことでした。その時にメンタルヘルス最大の課題はこれだとピンときたんですよね。そしてむしろ積極的に、彼らと近い距離を取ろうと思った」
壁には大切な標語が所狭しと。
住まいを知られたら大変だからと言われると、家の住所も電話番号も全て名刺に書いて配り、電話が鳴れば早朝でも夜中でも駆けつけた。そのうちに、通院患者4~5人と教会で共同生活を始める。言われたことの反対をとことんやった。
「勝手に患者さんと住むなんて、今考えたら大問題ですよね(笑)。同じ屋根の下にいる、ただそれだけなんですが、見えてくるものがあるんじゃないかって。実験でしたね。かつてロンドン郊外のスラム街で、中産階級の人たちが貧困層の人たちと一緒に暮らしながら貧困の原因を解き明かしていったのがいわゆるソーシャルワークの始まりと言われますが、私はアイヌの人たちが何代にもわたって積み重ねてきた苦難と生きづらさの歴史が残る浦河で、それをやってみたかった。浦河へ来て、町で一番困っている人を紹介してくれと言って最初に出会ったのが、何代にもわたりアルコール依存症に苦しむアイヌの家族だったんです」
「神の家」を意味する〈べてる〉の発祥の地。手前が教会、青い屋根の建物も当時からグループホームとして使用。
そして84年、地下活動しながら準備していた〈べてるの家〉を本格始動する。一方で、勤務していた病院の医者からの評判は悪くなり、ついには精神科病棟を出入り禁止に。3年半、彼らと住んで得た答えといえば、“治す”発想からさらに離れることだった。そうして様々な試みと失敗、行き詰まりの末に、ミーティングに始まる対話的なシステムに辿り着く。
なかでも〈べてる〉の歴史は、ミーティングのひとつとして行われる当事者研究の歴史と言われる。そこでは苦労を共有して、当事者同士で対処法を話し合う。対処法を試してダメなら、また別の自分を助けるやり方を考える。同じ苦労に共感が生まれることも多い。
この日の当事者研究ミーティングは向谷地さんがファシリテーターとなり、当事者が司会役に。
「〈べてる〉の場合は、プラス思考でなく、苦労思考。当事者研究でも、何をやりたいかより、これからどんな苦労があるか、どんな苦労を選ぶかを聞くんです。いい意味でニヒリスティックなんですよ。だって精神科の病気が治っても、癌になるかもしれないし、人間はちゃんと毎日老いている。アルコール依存症にしても、今日は飲まなくても明日は飲むかもしれないという、エンドレスな旅ですよね。
自分はそういうところで生きていたいんです。これには個人的なルーツでもある、キリスト教の影響もあるかもしれません。イエスも評判の悪い弟子12人を選んで情けない旅を続け、予定通りに処刑される。そういう意味での悲惨な順調さ、情けなさを大事にしていくことに価値があるんですよね」
お金がなくてパチンコに行けてない、最近笑えてないなどの悩みが打ち明けられた。
ギャンブル、幻聴、子育てなど、あらゆるテーマでとにかく対話を続ける。先日、スタッフがコロナを巻き散らしているという疑心暗鬼から刃物を向けてしまった女性も、徹底的にミーティングを重ね、入院することなく危機を乗り越えた。
「治療するためという発想ではないけれど、気がついたら対話が一番治療的であるという可能性はあるかな」と、向谷地さん。そうやって約40年。数名から始まったメンバーは現在120人を超え、町の精神科の病棟に130床あったベッドは〈べてる〉の活動が盛り上がるにつれて段階的に減り、2014年、ついには廃止になった。
自主的に話をする姿が印象に残った。
「現場で試行錯誤しながら当事者研究に行き着いたのにも驚いたし、悩んだ時、職員さんに相談するのではなく、当事者同士が自主的に話してアイデアを見つけるやり方が根付いている場所もなかなかない。例えば、一方的に与えるような治療では、自分で考えてこうしようという力がどうしたって失われていく。それは相当暴力的なことだと、僕は思うんですよね。皆の考える力、想像する力を感じました」(星野さん)
小さな関わり合いを地域へと広げていく
薪ストーブのある診療所の待合室。喫茶店のような空間で火を眺めて待てば、患者さんの心も診察しなくていいくらい落ち着くのだという。川村さんも向谷地さんの後を追うように町の病院で異質な存在として煙たがれたという。笑いが絶えない鼎談だった。
〈写真中〉高田大志(たかだ・だいし)
ソーシャルワーカー。向谷地さんと入れ替わりで浦河町の病院でソーシャルワーカーを勤めた後、〈浦河ひがし町診療所〉副院長に。川村さんとは19年活動を共にする。診療所ではアトリエやテニスコート付きのグループホームも開設。
〈写真右〉川村敏明(かわむら・としあき)
精神科医。2014年に〈浦河ひがし町診療所〉を設立。アルコール依存症の専門医として勤務するなかで、アメリカの自助グループ(AA)の方法論を知り、“治さない医者”に。〈べてる〉初期からの活動にも携わる。軽トラが似合うお医者さん。
向谷地さんが総合病院時代の4年目に出会ったのが、研修医として浦河に来た現〈浦河ひがし町診療所〉の院長、川村敏明さんだ。〈べてる〉の設立にも関わり、今は精神科医として診療所を拠点に〈べてる〉を支える川村さんは、当初から向谷地さんのやり方を面白がった。
「向谷地さんの生活支援の場には、笑い声が絶えなかった。偏見や差別の目があっても、そこにいる精神病患者はちっとも不幸じゃない。心を打つものがありましたね。それに反して医者の僕の所では話題が貧相で暗くて、寂れたような風景で。でも今、浦河では笑いが常識でどこにでもある。人の失敗ほど面白いものはないし、そんなことが山ほど起きる。バカにして笑うのではなく、共感して笑うから魅力的なんですよ」
2014年に開業。デイケアやナイトケアも行う〈浦河ひがし町診療所〉。
当時、アルコール依存症治療の無力さに直面していた川村さんは、アメリカの自助グループの活動にも出会い、患者と医者、助ける人と助けられる人の役割を固定せず、助ける人であり、時に助けてもらっている人になることを決意する。そして“治さない医者”となったのだった。
「精神科医が治そうと思っているうちは世の中良くならない。医者のほうにも、患者さんをただ治されるべき人だと思い、治そうとする偏見や差別があるわけですよね。だから僕はそういうのをやめたんです。医者の指示に黙って患者を従わせるのでなく、一緒に考える、応援する。
何十年来の患者さんがまだいつもの幻聴の話をする時には、もう聞き飽きた、と言うこともあるし。酷いよね。そのうち、真剣に話してるのに先生は足の間にごみ箱を挟んでツメを切ってて聞いてくれなかったなんて噂が広まって、被害者の会ができて、どうしたら先生に聞いてもらえるか〈べてる〉内でミーティングされてたりするの(笑)」
ロビーではアールブリュットの展覧会を開催。
偉そうな医者ではなく患者を応援するパートナーとして、診察室での会話を地域へと広げるための仕掛けをわざと作る。冬は患者が一帯を雪かきするし、被災地にボランティアにも行く。
「誰も家の近所に精神病院が開業して喜ぶ人はいない。精神病の人にありがとうと言うチャンスもなかなかないし、彼らも言われる立場になることができない。でも、雪かきをしたらすごく喜ばれる。どうやってそういう場面を作るかなんです。ここで診療をしていると、誰がどこで良くしたのか、僕が見ていない知らない場面で、地域でのいろいろな関わりから、患者さんに変化が訪れるんだなと思うことがあるんです」
診療所のソーシャルワーカーである高田大志さんも、川村さんのありきたりでない診療を支える。子供たちへの支援が検査データや診断ありきで進むのではなく、地域全体で支え合う文化を広げるために学校にも入り込んでいる。やはり考えているのは、地域との共生だ。
「浦河では、精神疾患のある人たちが時間をかけて地域に馴染み、地域の人も少しずつ歩み寄り、反応し合いながらの共生が成り立っている。それが決して当事者主体でもなく、健常者と互いに“馴染み合う”ことが実現されていたのが一番の気づきでした。〈べてる〉で働くスタッフも、誰が当事者か健常者か分からない。当事者だけでもミーティングをするし、今日も当事者の職員さんが施設の見学案内をしてくれたり、本当に分け隔てがない社会が実現しているんですよね」(星野さん)
浦河の町と港を臨むルピナスの丘。初夏はルピナス、秋にはコスモスが咲く。
前述のコロナが要因で刃物を取り出した女性はその大変さが評価され、〈べてる〉の幻覚&妄想大会で大賞をもらった。彼女が受賞後に真っ先にしたのが、何かとお世話になっている警察官に賞状を見せに行くことだったという。そこにも、長年にわたり培われてきた、地域とのあるべき共存のかたちを見た。地域ケアに転換して精神病院を廃止した国もある中で、日本は未だ世界一の精神病院大国のままだ。様々な因果を除いても、それは異様に映る。どこかに馴染み合えるはずの彼らを隔てている、根深いレイシズムはないだろうか。私たちは彼らと共に考え、対話しているだろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/dcfe99cf6763e4ee47e9818712974f11f17c45de

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