先住民族関連ニュース

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(今こそ星野道夫)進歩に潜む影、極北から提起

2016-08-09 | 先住民族関連
朝日新聞 2016年8月8日05時00分

撮影を終えて、たき火の前でくつろぐ (C)Naoko Hoshino
 アラスカを旅して、自然と人との関わりの中から、想像する心の豊かさを問い続けた。
 今から20年前の1996年8月8日。一人の写真家の命が志半ばで絶たれた。
 星野道夫、享年43。
 星野は生前最後の写真集『アークティック・オデッセイ』(新潮社)の帯にこう記した。「これほど豊かになったのに、これほど人間が怯(おび)えている時代はないでしょう。私たちは進歩というものが内包する影にやっと気付き始め、途方に暮れています」
 当時から技術はさらに進歩し、いま、世界の距離は縮まった。だが、貧富の格差の広がりやテロの脅威で、人々の心はますます狭く閉ざされているのではないだろうか。
 グリズリー(灰色熊)やムース(ヘラジカ)が大自然に溶け込むほど小さく映った光景や、朽ち果てて森の一部にかえっていくトーテムポールなどの写真、アラスカの人々の人生観にふれた文章……。星野の写真と思索を深めた文章には、無限に広がる世界や時間を想像させる力がある。
 星野をアラスカに向かわせたのは、大学生の時に古本屋で手にした写真集に収録された一枚の写真だった。ベーリング海峡に近いシシュマレフという小さな村を空から撮った光景に心ひかれ、村の代表者に手紙を書き、20歳のひと夏をエスキモーの家族と過ごした。その後、親友が山で遭難死した事故に衝撃を受け、25歳で再びアラスカの地を踏み写真家を志した。
 季節ごとに移動するカリブー(トナカイ)の大群、毎夏現れるザトウクジラ、白銀の世界で生きるホッキョクグマたち……。星野は文章を書くことで、表現者として深みを増し、やがてアラスカの南部から極北まで、先住民族の間で広く伝わる自然に根ざした神話にひかれていく。
 「風景を自分のものとし、その土地に深くかかわってゆくために、人間は神話の力を必要としていたのだ。それは私たちが、近代社会の中で失った力でもある」(文春文庫『長い旅の途上』)。旅人からやがてアラスカに根をおろし、自然と人々の関わりをみつめるまなざしそのものが、人々を魅了していった。
 「この20年、色々な方から『勇気をもらった』という言葉をいただき、その意味をずっと考えてきた」と妻の直子さん(46)は語る。この秋、星野の文章の朗読舞台をするナレーターの磯部弘さん(54)は「さりげない一言が深い。行きつ戻りつ読んでいくとつながっていく」と魅力を語る。北極冒険家の荻田泰永さん(38)は、北極点を無補給・単独徒歩で目指した旅に、星野のエッセー集を携えた。「極限の環境の中で、星野さんの言葉は命が巡ることを感じさせてくれた」

 星野はよく「もうひとつの時間」「身近な自然」「遠い自然」という言葉を使った。日常に心を煩わされている瞬間も、アラスカの海ではクジラが跳ね、原野ではグリズリーの親子が歩いている。その光景は、自分と全くの無縁の世界ではない。「日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか」(同『旅をする木』)。さりげない問いかけは、今も人々の心をとらえて離さない。
 (伊藤恵里奈)
 <足あと> ほしの・みちお 1952年千葉県生まれ。慶応大学を卒業後、写真家・田中光常の助手を経て、78年アラスカ大学に入学。86年にアニマ賞、90年に木村伊兵衛写真賞を受賞。96年、ロシア・カムチャツカでヒグマの事故により急逝。
 <もっと学ぶ> 雑誌「コヨーテ」(スイッチ・パブリッシング)の最新号は特集「星野道夫の遥かなる旅」で、アラスカを巡り星野の旅の軌跡をたどる。「没後20年 特別展 星野道夫の旅」が24日から東京の松屋銀座を皮切りに、大阪、京都、横浜で順次開かれる。
 <かく語りき> 「結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である」(『旅をする木』から)
 ◆過去の作家や芸術家らを学び直す意味を考えます。次回は8月15日、作曲家のエリック・サティの予定です。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12501733.html?_requesturl=articles%2FDA3S12501733.html&rm=150

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高雄の小学生、八王子まつりに参加 ブヌン族の伝統芸能を披露/台湾

2016-08-09 | 先住民族関連
中央フォーカス台湾 2016/08/08 13:15

高雄市政府提供
(台北 8日 中央社)南部・高雄市の樟山小学校童謡舞踏クラブのメンバーは6日、東京都八王子市の夏祭り「八王子まつり」に参加し、台湾原住民(先住民)ブヌン族伝統の歌謡と踊りを披露した。メンバーは、世界の人々がブヌン族の素晴らしい伝統芸能を育んだ美しい故郷に足を運んでくれればと願った。
高雄市と八王子市は2006年に友好交流都市協定を結んでおり、今年で10週年を迎える。今年2月に石森孝志・八王子市長率いる一行が高雄ランタンフェスティバル(高雄灯会)に参加したほか、3月には両市の高校が姉妹校締結するなど、活発な交流が行われている。高雄市は毎年八王子まつりに参加している。
樟山小は高雄市の山間部にある学校で、地域にはブヌン族が多く住む。陳菊市長は、辺境にありながらも特色のある文化を擁する学校の児童の国際交流を後押ししており、同市政府は同小の児童を八王子まつりに派遣することを決めた。
樟山小童謡舞踏クラブが先住民として海外で公演を行うのは今回が初めて。ブヌン族の最大の祭典「射耳祭」で披露される歌や踊りに創意豊かな編曲と楽器演奏を組み合わせ、ブヌン族の文化の魅力を伝えた。観客からは大きな拍手が上がった。石森市長は児童に感謝を述べ、エールを送った。また、黒須隆一・前市長は先住民の子供が一生懸命にパフォーマンスする姿に敬意と感動を覚えたと話した。
(編集:名切千絵)
http://japan.cna.com.tw/news/asoc/201608080002.aspx

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「非接触部族」マシコ・ピロ族、頻繁に出没の謎

2016-08-09 | 先住民族関連
nikkei BPnet-2015.10.27
周囲と接触しなかった部族は、なぜ姿を見せるようになったのか

マシコ・ピロ族のメンバー。ペルーのアマゾンの森に住み、アルト・マドレ・デ・ディオス川の河岸に定期的に出没する。2015年7月に撮影。(PHOTOGRAPH BY RON SWAISGOOD)
 ペルーの美しい村、シペチアリ。緑豊かなこの村を通る曲がりくねった山道に突如、鋭くとがれた2mの竹槍を装備したマシコ・ピロ族が現れた。
「なぜ私を殺そうとするの?」
 1月に初めてマシコ・ピロ族に遭遇したシペチアリ村のルフィナ・リヴェラ副村長――小柄ながら、威圧的な女性だ――は、そう叫んだ。
 その後も、彼らの来訪は続いた。アルト・マドレ・デ・ディオス川から歩いて1時間。アマゾンのジャングルの奥深くの静かな村から、鍋やなたが消えていた。
 3月には、ひとりの老女が狙われた。1本の矢が、老女のスカートをかすめて飛んでいった。5月の初めには、村の男たちが出かけたすきを狙って、マシコ・ピロ族がやってきて農作物を奪った。レオ・ペレス氏と友人は、デジタルカメラを持って侵入者が農作物を奪った場所に急行した。ペレス氏がカメラをのぞき込んだとき、友人は矢の音を聞いた。「危ない!」 警告の言葉を発したものの、時すでに遅く、22歳のペレス氏は命を落とした。
「非接触」だが未知ではない
 「非接触」部族として知られ、1世紀以上孤立して暮らしてきたと考えられるマシコ・ピロ族が、最近になって姿を見せるようになった。依然として不可解な部分はあるものの、巷で言われるほど謎が多いわけではない。ペルーに住む推定600~800人のマシコ・ピロ族は、同国南東部の先住民族と、何度か接触しているのだ。
 最近の接触では、川を進むボートを呼び止め、食料、衣服、なたなどの道具を求めた。住民たちは、マシコ・ピロ族の女性や赤ん坊を差し出されたり、ジャングルの野営地に遭遇したり、釣りの最中に矢の襲撃を受けたりしてきた。マシコ・ピロ族は泳ぎが苦手だが、木登りに長けている。また、竹筒の中で果実を発酵させて酒を造る風習があるほか、森の植物や動物にちなんで自分たちの名前を付けると言われている。
 昨年からマシコ・ピロ族の出現が急激に増えており、同時に攻撃性も増している。その結果、ペレス氏の死や2つの村の撤退などが起き、ペルー政府が介入するまで事態が発展している。
 ペルー文化省は、シペチアリ村近くのアルト・マドレ・デ・ディオス川沿いに管理棟を持ち、政府保護官のチームが川を連日パトロールしている。先住民管理を担当するロレナ・プリエト氏は、「私たちの目的は、先住民の命、健康、自決の権利を守ること。これ以上、待つことはできません」と話す。
 孤立した部族との急激な接触は、暴力や疾病が引き金になって部族が全滅するリスクをはらむ。なぜなら、ジャングルの免疫システムは、インフルエンザやはしかはおろか、普通の風邪にさえも対応できないほどだからだ。
 そのため、政府は管理下での接触計画を立てているが、これがマシコ・ピロ族のうち孤立する権利を主張するグループから猛反対を買っている。しかし、マシコ・ピロ族の側からすでに接触が始まっているという事実を無視することはできないだろう。「彼らは、身を隠し接触を拒絶することに多大なる努力をしてきた部族です。でも今は、そこから抜け出そうとしている」と、ブラジルにあるゲルディ博物館の人類学者で、この地域の先住民を研究しているグレン・シェパード氏は語る。(参考記事:「アマゾンの闘う先住民 カヤポ」)
共通の言語と民族性
 シペチアリ村の下流、ディアマンテに住む人々は、ここ何年も、散発的にマシコ・ピロ族に遭遇している。アルト・マドレ・デ・ディオス川が蛇行するこの地は、魚に恵まれ、狩猟にも向いている。さらに、ジャングルで移動生活をするための小屋や薪にするための木にも事欠かない。
 マシコ・ピロ族は、ディアマンテに住むイネ族やその他の先住民と、共通の言語と民族性を持つ。
 マシコ・ピロ族の襲撃で12月に避難したモンテ・サルバド村のロメル・ポンシアーノ村長は言う。「彼らの言葉の約80%はわかります。わからないのは、古い世代の人たちが使う言葉です」。 政府の保護官でもあるポンシアーノ氏は、マシコ・ピロ族の言葉がわからないときには村の長老に助けを求め、現代のイネ語に翻訳してもらう。
 古くから変わらない言葉もある。「マシコ」だ。「野生人」あるいは「野蛮人」を意味するため、当然マシコ・ピロ族自身はこの言葉を好まない。それより、「兄弟」や「同郷の人」を意味する「ノモレ」という言葉を好む。
「彼らはマシコと呼ばれると怒ります」。ディアマンテに住むウォルディール・ゴメス氏は言う。ゴメス氏は、ハグする真似をしながら、「ノモレと呼べば、よく思ってくれます」と付け加えた。
 ディアマンテの住民の多くは、マシコ・ピロ族と共通の言語と民族性を持っているため、マシコ・ピロ族のことを兄弟のようにとらえている。それでも、両グループの関係は複雑で、必ずしも友好的だったわけではない。有名なエピソードがある。1970年代中盤、ディアマンテのサントス・バルガス氏らが、リオ・ピンケン川近くでマシコ・ピロ族に遭遇した。バルガス氏らが威嚇射撃をすると、マシコ・ピロ族は逃げた。しかし、マシコ・ピロ族の1人の少年がつまづき、転んでしまった。
「河岸で兄と、木に登って遊んでいたときのこと。急に、たくさんの人に囲まれたんです。泳げる兄は、川に飛び込んで逃げました」と、柔和なほほえみと鋭い目を持つ長身でおおらかなアルベルト・フローレス氏は当時を振り返る。
 バルガス氏らはフローレス少年をディアマンテに連れて帰った。フローレス少年は、そこでバナナとマサト(キャッサバを発酵させたビール)に出会う。8カ月後、バルガス氏はフローレス少年に、家に戻るチャンスを与えた。しかし彼は、森での移動生活よりも、ディアマンテでの暮らしを選んだ。
「こっちのコミュニティのほうがよかったんです」とフローレス氏は言う。
直接接触は数年前から
 2010年の遭遇から、二十数人のマシコ・ピロ族が、ディアマンテ近くに定期的に出没するようになった。ディアマンテには真っ直ぐの砂利道があり、その両脇に家が立ち並んでいる。ある日、ニコラス・「シャコ」・フローレス氏が釣りをしているとき、マシコ・ピロ族のグループに遭遇した。フローレス氏はそれまでの何十年、森でよくマシコ・ピロ族と遭遇していたものの、このときは彼らになたを渡し、自分の農場に連れて帰った。
 翌年、シャコ・フローレス氏はずっと、道具やバナナなど彼らの望むものを与え続けた。しかし、なぜか突然、それをやめてしまった。2011年後半、マシコ・ピロ族はフローレス氏を狙うようになり、2度の失敗の末、11月に行われた3度目の襲撃で、矢が彼の心臓を貫通した。
 ゴメス氏は言う。「彼らが何かをほしがったとき、断ろうものなら、殺される恐れがあります。また、質問をし過ぎたり、同じ質問を繰り返したりしても、彼らは怒ります」
 ディアマンテの住民は、フローレス氏の仇討ちをすることができたかもしれない。フローレス氏の死後1週間、激しい雨が降り続き、川の水かさが増したため、マシコ・ピロ族はフローレス氏を殺した島に足止めされた。つまり、モーターボートで近づき、彼らを撃つことができたはずだ。しかし、エドガー・モラレス村長は言う。「それはできませんでした。なぜなら私たちは、同胞だから」
 マシコ・ピロ族は、しばらく姿を消したものの、また姿を現すようになった。この3年で、多数の写真や映像が撮られている。その中では、伝道者、伐採者、観光客を乗せたボートが通過する横で、男性や少年が、熱心になたやバナナを運んでいる。「想像よりもずっと早く、数多くの接触が行われるようになりました」と、人類学者のシェパード氏は言う。
トラウマを抱えた村
 ディアマンテの住民にとって、ペレス氏が殺された今となっても、マシコ・ピロ族への見方は変わっていない。
 先住民との協働を進める非営利団体「SePeru」のフランク・ハイエク理事長は言う。「これはある種、警告と言えます。なぜなら、ノモレは危険であることがわかっているからです。でも、手を差し伸べたい気持ちや一緒になりたい気持ち、イネ族に対する好奇心なども同時に存在しています」
 しかし、ペレス氏が暮らしていたシペチアリ村は、多くの住民がマチゲンガ族である。マシコ族と同じ言語を話さず、兄弟の絆を感じることもないため、住民はマシコ・ピロ族との関係を持ちたくないと考えている。「彼らは今、玄関の前にまで押しかけ、急速に攻撃的な動きをしています。住民は連日、比較的高いリスクにさらされています。安全保障、食料安全保障、収入が、深刻な打撃を受けているのです」とハイエク理事長は語る。
 危険を受け入れざるを得なかったシペチアリ村のコミュニティは、主な収入源のひとつであったエコツーリズムロッジを閉鎖した。以降、そこで働いていたガイドやコックなどが、現金集めに奔走している。地域の学校に通う子供たちに、仕送りをしなければならないのだ。(参考記事:「関野吉晴:初めてのアマゾン、先住民の楽しみ」)
 政府職員が毎日、折れた枝など、森からの訪問者の痕跡を探してパトロールしている。家族間にはトランシーバーが配られ、最新情報や警告の共有に用いられている。マシコ・ピロ族が戻ってきたら、コミュニティごとコンクリート製の幼稚園に避難する計画だ。
 リヴェラ氏ら住民は、毎朝政府職員からの知らせに耳を傾ける。リヴェラ氏は、下流にある管理棟近くの河岸にマシコ・ピロ族が発見されたら安心すると言う。「あそこからここまで、1日では歩けませんから」
 政府職員は、シペチアリ村には戻らないよう、マシコ・ピロ族に繰り返し警告している。しかし、彼らが戻らない保証はない。今はまだ、不安定な停戦ともいえる状態だ。「彼らが戻ってこない限り、こちらから探しにいくことはありません。でも、彼らが戻ってきたら、私たちは自分の身を守るでしょう。その後、彼らを探しに行くでしょう」とイタリアーノ氏は言う。
川の上の会合
 政府の管理棟は、シペチアリ村とディアマンテに挟まれた丘の上、アルト・マドレ・デ・ディオス川を一望する場所に建てられている。そこには2年間誰もいなかったが、今は保護官が常駐している。
 管理棟内には、壁をよじ登って河岸にやってきたマシコ・ピロ族の写真と、手書きの地図が貼られている。また、マシコ・ピロ族の矢から取った、巨大なげっ歯類の歯で砥がれた40センチの竹製矢じりと、シャコ・フローレス氏の写真も置かれている。屋外に置かれたイスにはソーラー電池が取り付けられ、通信機器に電気を供給している。
 ペレス氏が殺されるまでは、竹やヤシに囲まれた河岸近くに、二十数人のマシコ・ピロ族が出没していた。彼らはしばらく姿を消していたが、少しずつ戻ってくるようになった。
 5月以降、5人のマシコ・ピロ族が、保護官と定期的に会っている。彼らは名前が知られている。プトガナ(クモの意)氏は、最近アリクイに襲われた老女だ。カモトロ(カリバチ)氏は、20代後半の男。ヨマコ(キヌバネドリ)は、妊娠中の10代前半の少女。クナイ(タンガラナの木)は10代中盤の少年。コカ(キツツキ)は、9歳か10歳の少年で、グループの矢を持ち運んでいる。
 数カ月の間、5人は他のマシコ・ピロ族の居場所を「遠いところ」としか言わなかったため、彼らは伝染病か静かな報復に苦しめられていると推測されていた。しかし8月には6人目のマシコ・ピロ族が加わり、今では12人を超えている。彼らは、恐怖のためにゆっくりと姿を現していると述べている。
 ポンシアーノ氏ほか保護官は、レイナルド・ローレアノ氏およびルイ・バルガス氏とともに、連日のように川を行き来し、マシコ・ピロ族が出現する河岸にボートが接岸しないように注意している。ローレアノ氏によると、彼らは3日に1回のペースで現れ、バナナを要求してくるという。
 接触時のルールはいたってシンプルだ。ほしがる物を与えること。長く話しすぎないこと。シペチアリ村から距離を置くように警告すること。罠を避けるために、会う場所を変えること。ペレス氏の死など、繊細な話題に触れないこと。「大事なのは、交流とスケジュールにおける規律です。これらのシチュエーションでは、言葉に気を付けなければなりません」とポンシアーノ氏は言う。
 マシコ・ピロ族の間で伝染病が流行するリスクを減らすため、ポンシアーノ氏らは複数のワクチンを受けている。また、マシコ・ピロ族が病気の兆候を見せたらすぐに治療できるよう、医師が待機している。どこかのタイミングで、――マシコ族が外部との接触を保ちたいなら――ワクチン接種が重要であることを、保護官が伝えることになっている。でも、現時点では「彼らは強くて健康です」とポンシアーノ氏は述べている。
成功のレシピは存在しない
 今後のことは誰にもわからない。この地域の平和は、今後の政府のかかわりと、職員がマシコ・ピロ族の信頼を勝ち取れるかどうかにかかっている。
 ブラジルでいろいろな部族との初接触を40年以上続けてきたホセ・カルロス・メイレレス氏はこう言う。「忍耐力、謙虚さ、そして彼らの信頼を得るまでに何年もかけるという意志が必要です。新しいチームを何度も送り込むことに意味はありません。先住民との関係は人対人であり、組織的なものではないのです」
 きっとどこかのタイミングで、マシコ・ピロ族が森での隔離された生活を捨て始めた理由が明らかになるだろう。彼らの領域を侵した伐採者や麻薬密売人によるプレッシャー、食糧難、病気、部族内の争い、あるいは外部の人間による誘惑など、理由はいくつも考えられる。同時に、マシコ・ピロ族が2人を殺した理由や、今後の意向(引き続き移動生活を送るのか川沿いのどこかに定住するのか)もわかるだろう。
 メイレレス氏は言う。「文化的にも身体的にも彼らを殺さずに受け入れるにはどうしたらいいのか。私たちは今、その方法を学んでいるところです。私たちはそのプロセスに沿って、彼らがこちらの世界に苦痛なく入ってこれるよう、寄り添うことが必要です。成功のためのレシピなど、存在しないのです」(参考記事:「森林伐採の危機、アマゾン孤立部族」)
文=Nadia Drake/訳=堀込泰三
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/15/b/101900042/?s_cid=bpn_TopMR

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アイヌ遺骨 独、研究で収集 「怒りを通り越した」協会理事長が返還訴え

2016-08-09 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年8月9日 東京朝刊
 【ベルリン中西啓介】ドイツでアイヌ民族の遺骨の収集が確認されたことを受け、北海道アイヌ協会の加藤忠理事長(77)が8日、電話取材に応じ「ドイツ人が遺骨を盗掘していた事実に、怒りを通り越した思いだ」と述べ、政府を通じドイツ側に早期の返還を求める考えを示した。ロシアなどでも遺骨が保管されている可能性が高く、協会は今後、遺骨問題の国際広報活動も強化する。
 毎日新聞の取材で、独国内には計17体の遺骨が保管されていることが判明した。多くは19世紀後半以降に人類学などの研究のためドイツに送られていた。加藤氏は「不当な扱いを受けてきたご遺骨を早く取り戻し、慰霊したい」と話した。
 アイヌの遺骨は、19世紀に英国に運ばれていたことが分かっている。協会は、政府に海外に散逸した遺骨を調査するよう要請している。加藤氏はドイツの遺骨について「先住民の人権に関わる問題であり、きちっとした対応をドイツ側にもお願いしたい」と話した。
 返還に向け課題になるのが、遺骨問題に関する国際的認知度の低さだ。ドイツの研究者は「(豪州などの先住民)アボリジニに比べアイヌは遺骨返還に関する外国向けのロビー活動がなく、気づかなかった」と言う。19世紀後半にロシアで書かれた論文には「アイヌの頭骨55体を計測した」とあり、独以外にも大量に保管されている可能性が高い。
 協会は今後、海外の学術関係者を対象に広報活動を展開する方針。加藤氏は8月末から京都で開かれる世界考古学会議に参加。先住民の歴史や文化保護などについて講演する予定で「ドイツでの遺骨発見を紹介し、人権問題としての遺骨の存在について、世界的関心を高めたい」と話している。
http://mainichi.jp/articles/20160809/ddm/007/040/090000c

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アジア学生交流環境フォーラム 成果発表と閉講式 千葉

2016-08-09 | アイヌ民族関連
毎日新聞2016年8月9日 00時15分(最終更新 8月9日 00時22分)
 早稲田大など日本を含む7カ国の大学が参加した「アジア学生交流環境フォーラム」(主催・イオン環境財団、後援・毎日新聞社、中国青年報社、朝鮮日報社、トイチェ社)の成果発表と閉講式が8日、千葉市内で行われた。
 「生物多様性と叡智(えいち))」をテーマに学生たちは3日からの期間中、北海道の知床国立公園などを巡ったほか、標茶(しべちゃ)町などで森づくりに取り組む「虹別コロカムイの会」のメンバーやアイヌ民族の話を聞いた。
 成果発表で、生物多様性の保全と持続可能な発展を両立させるキーワードに「愛と責任」「感謝」「伝統知」などが挙がった。閉講式で同財団の岡田卓也理事長が修了証を授与した。【明珍美紀】
http://mainichi.jp/articles/20160809/k00/00m/040/094000c

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白老アイヌ民博「ポロトコタンの夜」 220人アイヌ文化親しむ

2016-08-09 | アイヌ民族関連
苫小牧民放(2016年 8/8)

来場者も踊りに参加した
 夜間にアイヌ文化に親しむ特別プログラム「ポロトコタンの夜」が5、6の両日、白老町のアイヌ民族博物館で行われ、伝統的なアイヌの古式舞踊やエカシ(長老)の語りなどを鑑賞した。アイヌ文化に対する関心の高まりもあり、2日間で約220人が来場。かがり火がともされた幻想的な雰囲気のコタン内を散策したり、博物館の展示品を見学するなど思い思いに文化に触れていた。
 両日とも午後5時40分の博物館ガイドツアーからスタート。今年は学芸課の若手職員が狩猟道具や着物などを紹介しながら、分かりやすくアイヌ民族の伝統的な生活を解説した。
 伝統家屋のチセで行われた本編ポロトコタンの夜は、エカシ役を務める伝承課の野本三治課長がいろりの前で火の神様への祈りをささげる神事「カムイノミ」で幕開け。数年ぶりとなる演目「ウポポ」や民族楽器のムックリとトンコリの演奏などが行われた。
 アイヌ民族の男性が勇ましく踊る「クリムセ」(弓の舞)や、女性3人が親子のツルを表現する「サロルンチカプリセ」などの踊りが終わるたびに会場から大きな拍手が送られた。
 ステージ終了後には、サケを薫製にしたアイヌの伝統食「サッチェプ」の試食も行われ、来館者の多くが「おいしいね」と笑顔を見せた。
 札幌市から親子5人で来場した須藤大悟さん(37)は演目最後の輪踊りに参加。「初めて来たがとても内容が良かった。踊りも楽しくて、ぜひ他の人たちにもアイヌ文化の素晴らしさを伝えたい」と話した。
 演目終了後も多くの来場者がポロトコタン内を散策。夕焼けが映るポロト湖を背景に記念写真を撮影したり、土産物店で買い物するなど思い思いに楽しんでいた。
http://www.tomamin.co.jp/20160841415

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サケ突くマレク、シカ笛イパプケニ… 函館市北方民族資料館がアイヌの道具展示

2016-08-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/08 16:00

アイヌ民族の狩猟道具などを紹介している「アイヌの生業―捕る・獲る・採る」
 アイヌ民族の狩猟・漁労・農耕道具などを展示する資料展「アイヌの生業―捕る・獲(と)る・採る」(函館市文化・スポーツ振興財団主催)が、函館市末広町の函館市北方民族資料館で開かれている。狩猟などの伝統的な生業を保持しながら、周辺諸民族と交流を重ねたアイヌ民族の独自の生活様式や文化を学ぶことができる内容だ。
 同館の収蔵品約4千点のうち、常設展示品は約400点。同館は、常設展示されていない収蔵品の一部を、毎年テーマを定めて期間限定で公開している。
 今回は7月23日から公開。産卵のために河川を遡上(そじょう)してくるサケ、マスを捕まえるために使う突き鉤(マレク)や、シカの発情期などに鳴き声をまねておびき寄せるシカ笛(イパプケニ)など63点を展示。アイヌ民族が道具を使っている様子を描いたイラスト入りのパネルも展示した。
 会場では狩猟などと関わる信仰・儀礼用具も紹介。オットセイの捕獲が60頭に達したときに、豊漁と安全祈願のために作られる木彫りのオットセイなども並べている。同館の展示担当者、山田早紀さん(25)は「四季を通し、自然の中で食糧を得るために使われた道具を通じ、アイヌ民族の文化を知るきっかけになれば」と話している。
 11月3日まで。9月7日のみ休館。入館料は一般300円、学生150円。問い合わせは同館(電)0138・22・4128へ。(石田礼)
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/area/donan/1-0302134.html

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アイヌ語トランプ アイヌ民族博物館土産に人気

2016-08-09 | アイヌ民族関連
北海道新聞 08/08 05:00

アイヌ文様がデザインされた「アイヌ語トランプ」
 【白老】アイヌ語に親しんでもらおうと制作された「アイヌ語トランプ」が、胆振管内白老町のアイヌ民族博物館の土産物として人気を集めている。
 制作・販売するのは苫小牧市の及川久美子さん(57)。日高管内平取町のアイヌ文化伝承者に監修してもらい、外国人にも分かるようカードに1語ずつ、読みをカタカナとローマ字で、意味を英語と日本語で記した。
 アイヌ文様をデザインした美しい仕上がり。1組千円で、新千歳空港内の書店などでも扱う。アイヌ文化を広く伝えたいという及川さんは「高校生の娘はババ抜きをしながら自然と意味を覚えました」。
http://dd.hokkaido-np.co.jp/news/life-topic/life-topic/1-0302121.html

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釧路アイヌ題材に講演/釧路市

2016-08-09 | アイヌ民族関連
釧路新聞  2016年08月08日
  アイヌ民族の歴史や文化を学ぶ市民グループ「釧路アイヌ文化懇話会」(山本悦也会長)は7日、市立釧路図書館で創立30周年記念講演会を開いた。釧路出身でアイヌアートプロジェクト代表の結城幸司氏が講演したほか、伝統舞踊の披露などを行った。結城氏は「メナシクルという自覚」と題して講演。自らがアイヌ語で東側の人を意味するメナシクル(釧路アイヌ)と強く意識したという北海道博物館での展示会を鑑賞した際、北海道の歴史の幕開けとなった「クナシリ・メナシの戦い」の紹介がほとんどなかったことにショックを受けたエピソードなどを紹介した。
http://www.news-kushiro.jp/news/20160808/201608085.html

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武装集団が市場襲撃、住民14人死亡…インド

2016-08-09 | 先住民族関連
読売新聞 2016年08月05日 20時46分
【インド南部チェンナイ=田尾茂樹】インド北東部アッサム州コクラジャ近郊で5日、武装集団が市場を襲撃し、PTI通信によると、少なくとも住民14人が死亡、20人以上が負傷した。
 地元警察は、インドからの分離・独立などを目指すヒンズー教系の少数民族・ボド族の過激派組織による犯行とみて調べている。
 同通信によると、武装集団は群衆に向かって自動小銃を乱射し、手投げ弾を投げつけたという。駆けつけた治安部隊が武装集団のうち1人を殺害したが、残る3~4人が逃走しており、行方を追っている。
 ブータンやバングラデシュと国境を接するアッサム州では、先住民族のボド族とイスラム教徒の入植者らとの衝突が頻発している。ボド族の過激派によるイスラム教徒を狙った襲撃事件も相次いでいる。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20160805-OYT1T50117.html

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