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先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

クリミア:「自治」求めるロシア系 住民投票決定に歓声

2014-03-01 | 先住民族関連
毎日新聞 2014年02月28日 20時48分(最終更新 02月28日 23時24分)
 【シンフェロポリ(ウクライナ南部)真野森作】「ファシストからクリミア半島を守ろう」。ウクライナ南部クリミア自治共和国の首都シンフェロポリでは27日夕(日本時間28日未明)、議会前に1000人以上のロシア系住民が集結。ヤヌコビッチ前大統領を追放したウクライナ新政権に、怒りをぶちまけた。ロシア系議員だけが出席する中、5月25日の大統領選に合わせて、自治権拡大を求める住民投票実施が議決されると「ウラー!(万歳)」と大きな歓声が広がった。
 白、青、赤のロシア旗多数を打ち振る議会前の群衆。その一人の若者は「1992年憲法」とのプラカードを高く掲げていた。当時の自治共和国憲法では公選大統領と一定の外交権が認められており、その復活は自治拡大を意味する。
 クリミアはロシア系住民が6割を占め、ロシア語話者は9割に達する。ウクライナの極右政党「自由」からも入閣した新政権に対しては、不信感と自衛ムードが渦巻く。
 地元紙記者によると、クリミアで不安が高まっているのは(1)旧野党勢力がロシア語の公用語扱いを認めてきた法律を破棄(2)ウクライナ民族主義拡大への警戒感(3)新政権の反ロシア化の恐れ−−の三つが主な原因という。ロシア系住民の間では、ウクライナからの独立論やロシアとの統合を求める声が上がっている。
 一方、先住民族のクリミア・タタール人は、そうした声に反発する。26日には、反露の立場を取る一部のタタール人集団とロシア系住民との間に衝突が起きた。タタール人組織「メジュリス」広報担当のレイラ・ムスリモワさんは「クリミアでタタール人は13%しかおらず、投票が実施されれば独立やロシア編入が決まる可能性が高い。我々はウクライナ内での自治を望んでおり、受け入れがたい」と強調した。
http://mainichi.jp/select/news/20140301k0000m030087000c.html

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ウクライナ:ロシアがクリミアに関与している-安保理開催を

2014-03-01 | 先住民族関連
bloomberg 更新日時: 2014/03/01 02:06 JST
  2月28日(ブルームバーグ):ウクライナのトゥルチノフ大統領代行は28日、深刻化するクリミア情勢にロシア軍が「直接関与している」と指摘し、国連および他の国際機関の支援を要請した。
政権の座を追われロシアに逃れたヤヌコビッチ前大統領はこの日の記者会見で、自身が依然として正当なウクライナの指導者だと主張。同時にロシアに介入を控えるよう呼び掛けた。ウクライナ議会は国連安全保障理事会の開催を求める大統領代行の動議を可決。ロシア系住民の多いクリミア半島ではロシア軍の行動が伝えられ、緊張が高まっている。
トゥルチノフ大統領代行は、議会は「ウクライナの領土を侵犯する兆候と見られるようなあらゆる行動の停止をロシアに求める」とし、「ロシア系のウクライナ国民の市民権は憲法によって守られている」と付け加えた。
親ロシアのヤヌコビッチ政権が倒れたことで民族間の緊張が高まる中、ロシアは軍事演習を開始。ウクライナ当局は、ロシア軍の行動の範囲を把握できずにいる。
武装集団がクリミア自治共和国の首都シンフェロポリの空港を掌握したと27日夜に報じられたが、ウクライナ政府当局者はこの日、空港は同国のコントロール下にあると説明。アバコフ内相は、ロシアの黒海艦隊が基地を置くセバストポリで同艦隊の兵士がベルベク空港を封鎖したと述べていた。ロシアのヘリコプター8機が半島に着陸したのをクリミアの議員が確認したとの報道もあった。
ロシアの黒海艦隊はセバストポリで基地用地を借用している。ロシア軍は26日にウクライナ国境近くで始めた軍事演習について、ウクライナでの政変とは関係ないと説明している。
出国していたヤヌコビッチ前大統領は28日、ロシア南部のロストフ・ナ・ドヌで記者会見し、身の危険を感じる脅迫があったため、出国を余儀なくされたと説明。安全が保証され次第、帰国すると言明した。新政権は違法だとし、前政権に対する反対勢力が矛を収めることを求めた。また、新政権が5月25日に計画している大統領選挙は無効だとも主張した。
原題:Ukraine’s Turchynov Says Russia Directly Involved inCrimea (1)(抜粋)
記事に関する記者への問い合わせ先:Crimea Henry Meyer hmeyer4@bloomberg.net;モスクワ Ekaterina Shatalova eshatalova@bloomberg.net;キエフ Kateryna Choursina kchoursina@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先:James M. Gomez jagomez@bloomberg.net;Balazs Penz bpenz@bloomberg.net;Denis Maternovsky dmaternovsky@bloomberg.net
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-N1PA956JIJUZ01.html

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映画『KANO』―甲子園大会で準優勝した台湾代表の物語

2014-03-01 | 先住民族関連
nippon.com 2月27日(木)10時27分配信
台湾で映画『KANO』が公開される。戦前、日本の全国中等学校野球大会で準優勝した台湾代表の嘉義農林学校の物語だ。台湾在住のシンガーソングライター馬場克樹氏が、魏徳聖プロデューサーと馬志翔監督に話を聞いた。
台湾代表校が甲子園を席巻
野球少年の夢の舞台、甲子園で繰り広げられる全国高校野球選手権大会は2014年に96回目を迎える。その歴史を戦前までさかのぼると、日本の統治下にあった台湾や朝鮮、満州の代表も出場していた時期があった。
昭和6年(1931年)8月の全国中等学校優勝野球大会(当時の名称)で、旋風を巻き起こした嘉義農林学校(嘉農:かのう)(※1)も台湾代表だ。嘉農野球部は日本人、台湾人(台湾で生まれ育った漢人)、原住民(先住民)による混成チーム。松山商などで監督を務めた名将・近藤兵太郎の赴任をきっかけに実力をつけ、この年、甲子園初出場ながら次々と強豪校を破って決勝に進出した。最後は惜しくも敗れたが、さわやかなプレーで観客を魅了。作家・菊地寛も決勝翌日の大阪朝日新聞に寄せた観戦記でこのチームの活躍をたたえたほどだ。
嘉農の活躍は、地元の台湾ですら戦後ほとんど忘れ去られていたという「伝説」。今回、『海角七号』や『セデック・バレ』で知られる魏徳聖氏が、約80年ぶりにこの物語を“発掘”。若手監督として注目の馬志翔氏にメガホンを託して映画『KANO』が製作されることになった。
日本人と台湾人が手を取り合って栄光をつかむという物語の内容にふさわしく、映画も日台のスタッフ、キャストのチームプレーで完成した。嘉農野球部の近藤監督役の永瀬正敏、台湾で「ダムの父」として知られる八田与一役の大沢たかおなど、多くの日本人俳優も出演している。
日台の若者たちの成長物語に共感した台湾在住のシンガーソングライター馬場克樹氏が、公開を前に魏徳聖プロデューサーと馬志翔監督にインタビューを行った。
統治時代を通して見えてくる“心の矛盾”
馬場 克樹(聞き手):なぜ今、嘉義農林の物語を映画化しようと思ったのでしょうか。
魏徳聖プロデューサー(以下、魏):実は『セデック・バレ』の撮影に向けて日本統治時代の資料を収集している時に、偶然この話を見つけたのがきっかけです。
馬志翔監督(以下、馬):魏プロデューサーからこの話を初めて聞いた時には、かつて野球少年だった自分の記憶とも重なり、まさに血湧き肉踊るという感じでした。
馬場:魏さんの作品『海角七号』や『セデック・バレ』も日本統治時代が背景でした。この時代に対して特別な思いがあるのでしょうか。
魏:この時代を描くことで、自分の描きたかったことがより鮮明になったのは事実です。つまり日本の統治時代の資料を読み込んでいくうちに、現代の台湾人が抱える心の矛盾が浮き彫りになってきたのです。
台湾は歴史上自分が主役だったことがなく、常に外からの支配を受けてきました。台湾はいわば“孤児”と言ってもよく、“親”だけが何度も入れ替わってきたのです。21世紀なった現在、台湾はすでに“成人”したにもかかわらず、自分たちがもう“孤児”ではないことに気づいていなかったのです。
日本統治時代は、時には愛憎相半ばし、良し悪しの基準だけでは解釈できない面が多々あった時代です。それゆえに、その時代に生きた一人ひとりの立場の違いに絶えず思いを寄せて、あれかこれかという決めつけに陥らないように心がけました。
『KANO』は、日本人、台湾人、原住民の三者が一つに結束して、夢に向かって突き進む物語です。三つの民族が明確に階層化されていた時代に、それぞれの存在価値を認めながら自己実現を果たしました。この歴史的な事実をまず知ってもらいたかったのです。
『海角七号』、『セデック・バレ』、そして『KANO』の3部作は、日本統治時代における「心残り」や「恨み」、「栄光」など、複雑な心情を描いた作品ですが、いずれも自分たちのアイデンティティを問うているのです。台湾の人々はかつて“孤児”だったかもしれませんが、“成人”して新たな家庭を作る際には、新たな“孤児”を生み出してはならないと思うのです。
日台の歴史の重みを感じてほしい
——『KANO』は日本人と台湾人が民族を超えて一つになる物語です。今回の映画製作チームも日台の混成メンバーでした。撮影過程でも物語と同様に、言語や民族の壁を超えることはできたのでしょうか。
馬 私にとっては『KANO』が初の海外との合作。台湾と日本では仕事の進め方が違います。日本人はきっちりとしていますが、台湾人はもっとフレキシブル。しかし、結果的にはそれらがうまく融合しました。主役の永瀬さんとのコミュニケーションには特に時間を取り、お互いの違いをまず理解していただいてから撮影に臨みました。仕事に対する台湾人の熱意と日本人の矜持(きょうじ)が、相互補完して一つの作品になったのだと思います。
——『KANO』は近藤監督や選手たちの挑戦と成長の物語でもあります。初めて長編のメガホンを取った馬監督、初めて監督を支える立場となった魏プロデューサー、そして野球部員を演じた素人俳優たち、それぞれの挑戦と成長の場でもあったと思います。
魏 プロデューサーと監督では心理状態がまったく違います。プロデューサーは現場を仕切るべきではありませんが、しばらくすると、予算が膨らむ、時間が足りないという問題に直面しました。創作には干渉したくはないが予算は抑えなければならない。理想と現実のはざまに立たされました。ただ節約を唱えるのでは監督が困惑するだけですので両者のバランスに配慮しました。例えば、1シーンを撮り終えるたびに編集作業を進め、監督とも話し合いつつ、重複する映像撮影を避ける工夫をしました。
馬 これまで手掛けたのは短編ばかりでしたので、短距離選手からマラソン選手への発想の切り替えが必要でした。『KANO』は脚本が完璧でしたので、最大の挑戦は野球のシーンをいかにリアルに描くかでした。嘉農が本当に強いチームに見えなければなりません。それで演技は素人でも野球経験者を起用しました。役者も混成でしたが、漢人、原住民も日本語の台詞を猛特訓で覚えてくれました。
——日本のプロ野球で活躍した台湾人選手の先駆けで、日本の野球殿堂入りもした呉昌征(※2)さんも嘉農出身で、この映画に登場しますね。
馬 彼は甲子園に初出場したチームより数歳年下で、近藤監督の薫陶を受けた一人です。映画には少年役で登場します。2月27日、台湾での上映会の初日には、日本のご遺族もご招待します。
————プロデューサーの立場から見た馬監督の最大の魅力とは何でしょうか。
魏 馬監督は私と違って俳優出身ですので、役者の心理を熟知しています。難しい年頃の素人の役者さんを相手にアメとムチの使い分けもうまい。私はこの物語を是非映画にしたいと思いましたが、撮るのは自分ではないと思っていました。だから野球経験もあり、原住民でもある馬監督なら「自分はこの映画を撮るために生まれてきたのだ」と感じてくれると思いました。
——『KANO』は3月7日に大阪アジアン映画祭でオープニング上映されます。日本の皆さんにメッセージをお願いします。
魏 『海角七号』も『セデック・バレ』も日本で公開されましたが、『KANO』がメインストリームの映画としてロードショーにつながることを期待しています。そして、日本人と台湾人が気持ちを一つにして夢をかなえた時代があったことを是非知っていただきたいと思います。
馬 これまでになかった野球映画だと自負しています。また、心と心の交流には国境がないことや、台湾と日本の人々がともに作り上げた歴史の重みを感じていただければと思います。
公式サイト: https://www.facebook.com/Kano.japan
動画アドレス:http://youtu.be/pmG6LuRxilw
撮影=劉士毅(Liu Shih-I)

(※1)^ 嘉義農林学校 1919年、日本の統治下にあった台湾で設立された台湾公立農業学校をルーツとし、その後台湾公立嘉義農林学校、台南州立嘉義農林学校と変遷。戦後は台湾省立嘉義農業職業学校と改称。2000年に国立嘉義師範学院と合併、現在の国立嘉義大学となった。戦前に夏の高校野球甲子園大会に初出場ながら準優勝を果たし、その後も強豪校として全国に名を轟かせた。
(※2)^ 呉昌征(1916-1987) 正式な台湾名は呉波、日本に帰化後は石井昌征、呉昌征は登録名。日本統治下の台湾台南生まれ。嘉義農林学校で近藤兵太郎監督のもと、春の甲子園大会1回、夏の甲子園大会に3回出場。裸足でグラウンドを駆け回るプレーから「人間機関車」の異名をとった。プロ野球入りして、1942年と1943年に2年連続で首位打者を獲得。投手兼任外野手でもあり、戦後初のノーヒット・ノーランも記録。1995年に特別表彰により日本の野球殿堂入りを果たした。
http://www.nippon.com/ja/people/e00058/

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ロシア系がクリミア独立要求=タタール系と衝突―ウクライナ

2014-03-01 | 先住民族関連
時事通信 2月26日(水)23時47分配信
 【モスクワ時事】ウクライナ南部シンフェロポリのクリミア自治共和国議会前で25、26両日、多数派のロシア系住民が「クリミア半島の独立とロシアへの帰属の是非を問う住民投票」の実施を求めてデモを行った。
 26日には、親欧州連合(EU)派の新政権を支持する先住民タタール系住民などが対抗して集まり、小競り合いとなった。クリミア半島はソ連時代の1954年にウクライナに移管された歴史があり、親ロシア派のヤヌコビッチ政権崩壊で民族対立が表面化した。 
http://www.jiji.com/jc/c?g=int&k=2014022700001

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中国支援のニカラグア運河、環境に懸念

2014-03-01 | 先住民族関連
National Geographic News  February 26, 2014
Brian Clark Howard,
 中央アメリカを縦断する運河の建設計画が、ニカラグアで進められている。中国の支援によるこのプロジェクトは、周辺の野生生物や湿地帯の生態系に危険を及ぼす恐れがあるという。
 ニカラグア当局は昨年6月、環境影響調査が終わらない内から、中国政府との関係が指摘されている香港系の企業「HKNDグループ」に対し、400億ドル(約4兆円)規模の建設計画を委任した。太平洋とカリブ海を結ぶ運河の全長は実に300キロ。完成すればパナマ運河と並ぶ巨大な人工水路が生まれることになる。
 しかし、今月19日に公開された「Nature」誌の論文で、2人の著名な環境科学者が、同国の自然環境がズタズタになると警告している。「だれも足を踏み入れていない、学術的にも重要度が高い地域の生態系が崩壊する恐れがある」という。
 ナショナル ジオグラフィックは、執筆者のホルヘ・A・フエテ・ペレス(Jorge A. Huete-Perez)氏にインタビューし、運河建設の問題点を語ってもらった。同氏は、首都マナグアにある中央アメリカ大学(UCA)の分子生物学研究センター(Centro de Biologia Molecular)で責任者を務めている。
◆運河の建設で40万ヘクタール分の熱帯雨林と湿地帯が破壊されると述べていますが、特に影響が大きい地域は?
 既にHKNDグループに認可が下りている段階ですが、まだルートや規模の詳細は未定です。一部の政府筋の話では、カリブ海に面したニカラグア東岸の町ブルーフィールズのラグーンから、太平洋沿岸の集落ブリットをつなぐルートになる可能性が高いようです。
 このルートからHKNDの運河建設計画の影響を受ける範囲を推算しますと、カリブ海沿岸部の森林や保護区域、湿地帯、内陸部に及ぶとみられます。これらの地域は、先住民族が所有権を有する自治区でもあります。
 運河や幹線道路、東西沿岸部を結ぶ鉄道システム、油送管が敷設され、自由貿易地域となる周辺には2カ所の国際空港が建設される予定です。湿地帯は干上がり、広葉樹が茂る森林地帯も破壊され、沿岸部や内陸部、大気、また淡水の野生生物の生息地が脅かされる恐れが否定できません。
◆ルート上にある3カ所の保護区、ボサワス生物圏保護区やインディオ・メイズ生物保護区、セロ・シルバ自然保護区の生態系にはどのような影響が及びますか?
 運河は10年ほどで完成する見込みですが、関連プロジェクトも含めて開発と工業化が進むと、その影響はニカラグア湖や大西洋側の自治区だけに留まりません。ユネスコの生物圏保護区に指定されているボサワスやインディオ・メイズ生物保護区、セロ・シルビア自然保護区にまたがる大規模な自然保護区域「メソアメリカ生物回廊(MBC)」の生態系にも悪影響が及びます。
 MBCの野生生物の移動ルートは遮断され、運河や鉄道、油送管敷設のために森林も伐採を余儀なくされるでしょう。貴重な湿地帯も干上がるか、計画中の国際空港や工業区域の用地として埋め立てられてしまうのです。
◆ニカラグア湖への影響は?
 中南米最大級の淡水域であるニカラグア湖と、2つの火山から成るオメテペ島の生態系への影響は甚大です。巨大運河の開通後は、船舶の数が激増します。水深が非常に浅いニカラグア湖で通行の安全を確保するためには、浚渫(しゅんせつ)工事が避けられません。カリブ海に排土するためには、相当数のダムを周辺の河川に建設する必要性も出てくるでしょう。
 また、湖の海抜はかなり高く、必要な運河の水位を確保するために、東西に水門を設けなくてはなりません。しかし工業化が予定されている水門付近の水域には、海水やディーゼル廃油などの排出物が滞留する危険性があるとの調査結果も出ています。さらに淡水の枯渇や温暖化、ニカラグアの人口増などの条件が重なると、湖の生態系は回復不能なダメージを被ることになるのです。
 湖には繊細な固有種の魚類が多く生息していますが、外来種の流入によって既に危機的な状況に追い込まれています。コンテナ船など外航船が増加すれば、汚水や廃油の放出が避けられません。洗浄・殺菌する最新技術を用いたとしても、外来種や病原菌の流入を完全に防ぐことはできないでしょう。
 ニカラグア湖に浮かぶオメテペ島には、開発の手が及んでいない森林や火山など、生物多様性に富んだ自然が広がっています。考古学的価値の高い太古の遺跡も存在し、エコツーリズムの可能性も秘められています。大量の船舶の航行ルートが、この島のすぐ脇を突っ切る事になるのです。運河建設の最も大きなデメリットに違いありません。
◆国際社会はどう対応すべきでしょうか?
 私たちは、HKNDの運河建設の影響評価に関する調査活動を支援してもらうよう、国際社会に呼びかけています。功罪両面を含むすべての情報を、ニカラグア政府をはじめとする世界中の人々に見てもらいたい。すぐにでも、環境と社会への影響度を中立的な立場で調査する必要があるのです。
PHOTOGRAPH BY OSWALDO RIVAS, REUTERS/CORBIS
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20140226005

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オーロラを見損ねても楽しい カナダの北限イエローナイフ

2014-03-01 | 先住民族関連
CREA WEB 2月26日(水)12時1分配信
 世界を旅する女性トラベルライターが、これまでデジカメのメモリーの奥に眠らせたままだった小ネタをお蔵出しするのがこのコラム。敏腕の4人が、週替わりで登板します。
 第22回は、芹澤和美さんがマイナス50度の極寒の地を訪れた時のエピソードをご披露。
防寒服を着込み、「最北端の○○」だらけの街へ
 カナダのイエローナイフは、北極圏から約500kmに位置する北限の街。日本人ツーリストには、オーロラ鑑賞のメッカとして知られている場所だ。私が訪れたのは、最低気温マイナス30度の12月。朝、街が機能し始めても外はまだ真っ暗、午前10時にようやく日が昇り、15時過ぎには日没を迎えてしまうという、冬真っ盛りの時期だった。
 20世紀前半に金の鉱山が見つかりゴールドラッシュに沸いたイエローナイフは、金山の閉山後も、ダイヤモンドの発掘、そして現在はオーロラ観光と、昔から美しく光り輝くものに恵みをもたらされてきた。カナダ北限の街と聞いて、静かで淋しい場所を想像していたのだが、実際に訪れた街はイメージと大違い。ノースウエスト準州の州都であるイエローナイフは、近隣の経済・行政の中心地で、街中には、最北端のマクドナルド、最北端のケンタッキーフライドチキン……など、「最北端の」と枕詞がつくものがたくさんある。また、先住民やアジアからの移民など多民族が暮らし、多彩な魅力に溢れるコスモポリスでもあった。
 イエローナイフで冬の風物詩といえば、雪景色のほかにもうひとつ、凍った湖の上に現れるアイスロードがある。その総延長は約500km。わずか2カ月の間に、5000台以上ものトラックが湖上にできた道を走り、ダイヤモンド鉱山で働く人々に生活物資を運ぶという。春になり湖の氷が溶ければ、当然ながらこの道は断たれる。空輸での物資輸送はコストが高いため、アイスロードができる真冬の間に、陸輸送で1年分の必要物資を運ぶのだ。
 到着したその日の最高気温はマイナス15度、街の人いわく、「今日は春のように温かな日だ」。真冬にオーロラ鑑賞をするには万全の防寒対策が必要だが、地元の旅行会社を通じて、必要な防寒着や靴をレンタルできる。極端な寒がりの私でさえ、マイナス100度まで耐えられるという防寒服とブーツを着用していれば、外でも寒さを感じることがなかった。
マイナス50度の湖上でうっかり居眠り
 イエローナイフは、オーロラベルト(オーロラが高頻度で発生する帯状の地域)の真下に位置し、周囲にさえぎる山脈もないことから、オーロラを見られる確率は世界でもトップクラスといわれている。昼の取材を終えた私たちは、オーロラを見るべく、日没後の湖へと向かった。
 厚く凍った湖上の気温はマイナス50度。雪の上に置いた折りたたみ椅子に座ってオーロラを待ちながら、ときおり、先住民族が使っていた移動式住居ティピーを模したテントの中に入り暖をとる。テントは暖炉も完備されていて、なかなか快適。夜食にカリブー(トナカイ)のミートボールを食べたり、ホットココアを飲んだりしながら、待ち時間を過ごした。
 そろそろオーロラが現れるはず。そう聞いて、夜空の下で待つこと数時間。雲の向こうには優雅に光が踊っているはずなのだが、曇天のためか、いっこうに姿を現さない。単純計算では、3日に1度はオーロラが発生することになるのだが、自然の奇跡は計算どおりにはいかないのだ。
 時刻は深夜1時。連日の移動疲れもあり、あろうことか、私は雪上で椅子に座ったまま、思わずうたた寝をしてしまった。30分ほど経った頃だろうか、「きれいだったねー」「見えてよかったねー」という、ほかのツーリストのざわめきで目を覚ましたときには、オーロラはすでに漆黒の中。夜空に一瞬だけ幻想的な姿を見せた自然の神秘も素晴らしいが、マイナス50度の中で居眠りしても生きていられる防寒服にも深く感服した。
犬ぞりの強烈な匂いにノックダウン
 オーロラを見損ねた翌日、雪上の犬ぞりを体験するべく、ふたたび湖へと向かった。迎えてくれたのは、元気なハスキー犬たち。盛んに吼えているのは、「自分に引かせてくれ!」と懇願しているのだという。
 このときに乗った木製のそりは、大人が3人乗れるタイプのもの。マッシャーと呼ばれる犬使いがかけ声とともに手綱を引くと、そりに繋がれた数頭のハスキー犬がいっせいに走り出した。林の中の真っ白な道を、犬たちは颯爽と駆けてゆく。ときにはでこぼことした道や木立ちに挟まれた急カーブもあるが、彼らのドライビングテクニックは絶妙で、こちらがハラハラするのをよそに、軽やかに通り抜ける。
 静寂の森の中では、犬の息遣いとそりが滑る音のほかには何も聞こえない。かつて、ここに暮らした先住民にとって、犬ぞりは欠かせない移動手段で、人間と犬はきっと助け合って共存していたのだろう……と思いを巡らしていたそのとき。猛烈なガス臭があたりに漂い始めた。聞けば、犬たちは走りながら、喉の渇きを潤すために雪を食べ、用も足すように訓練されているのだという。当然、オナラは当たり前。前日は厳寒の氷上で眠りながら生きながらえた私も、この強烈な匂いに何度も気を失いそうになった。
 結局、イエロータウンで名物のオーロラを観ることはなかった。だが、深い雪の中で食べた温かなトナカイのミートボールや、厳寒から守ってくれた防寒服の温もり、雪上を滑るそりの音、そして犬ぞりの強烈な匂いなど、五感で感じた北限の記憶は、なによりも忘れ難い旅の思い出となっている。
 芹澤和美 (せりざわ かずみ)
アジアやオセアニア、中米を中心に、ネイティブの暮らしやカルチャー、ホテルなどを取材。ここ数年は、マカオからのレポートをラジオやテレビなどで発信中。漫画家の花津ハナヨ氏によるトラベルコミック『噂のマカオで女磨き! 』(文藝春秋)では、花津氏とマカオを歩き、女性視点のマカオをコーディネイト。著書に『マカオノスタルジック紀行』(双葉社)。
オフィシャルサイト www.serizawa.cn
http://crea.bunshun.jp/articles/-/4735

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阿寒湖アイヌシアター「イコロ」 小中高生、学習の場に

2014-03-01 | アイヌ民族関連
北海道新聞 (2014/02/18)
 阿寒湖アイヌシアター「イコロ」の運営協議会が、小中高校の学習に同シアターを活用してもらおうとPRに力を入れている。昨年9月に元釧路市職員の尾田浩さん(58)が事務局長に就任。釧根管内の学校を回り、人形劇の鑑賞やムックリ(口琴)作りなどの体験を通してアイヌ文化を学ぶ大切さを訴えている。(長谷川裕紀)

 イコロではアイヌ民族の民話を脚本化した人形劇「ふんだりけったりクマ神さま」やアイヌ古式舞踊が鑑賞できるほか、隣接する常設劇場「オンネチセ」でムックリ作りや木彫りの体験ができる。さらにアイヌコタンの人々による講話もあり、学校の希望に合わせて時間や体験内容を調整している。
 開業初年の2012年度は61校6800人、13年度も63校5600人(9月時点の申し込み)が入るなど利用は好調で、教員や生徒から「楽しみながらアイヌ文化を体感できる」「アイヌ民族の人々から直接、体験談を聞ける」と評判も上々だ。
 運営協議会はさらに学習の場として定着させようと、尾田事務局長が昨年11、12月に釧根管内の144校を訪問。各校の校長らにイコロの体験メニューを説明し、人形劇の物語を紹介する絵本を配った。今後、オホーツク管内や十勝管内の学校にも売り込む予定だ。
運営協の尾田浩事務局長 独特の世界観に触れて
 小中高校にイコロを活用した体験学習をするよう勧めている尾田浩事務局長に聞いた。

 ――イコロの魅力は。
 「舞台上に炎を起こすガス台や水路があり、多彩な演出ができます。年末年始を除いてほぼ毎日、人形劇や公式舞踊などの公演をしており、このような劇場は他にはあまりありません。人形劇で登場するクマ送りの儀式などアイヌ民族の独特の世界観を学べ、子どもたちは自分なりにさまざまなことを感じられるでしょう」
 ――運営協議会の事務局長に就くため、定年を前に釧路市役所を退職しましたね。
 「地域の人々に素晴らしいイコロを使ってもらう後押しをしたいという思いがありました。私は18歳からアマチュア劇団『釧路演劇集団』に所属し、役者や舞台の裏方などとして約60の芝居の経験があり、劇場はもともと好きなのです」
 ――なぜアイヌ文化に興味を持ったのですか。
 「アイヌ民族は千年以上も自然と共存してきました。古式舞踊は明治期に政府がアイヌ民族を抑圧した時代を経ても受け継がれてきた。その生き方に感動し、勉強したいと思うようになりました」
 ――2006年から釧路や札幌などで上演された市民参加劇「アイヌ逓送人吉良平治郎」で、演出を担当しました。
 「アイヌコタンの秋辺日出男さんらと一から脚本を作り、大正時代のアイヌ民族の生き方を描きました。劇では『アイヌ野郎』などとあえて差別的なセリフも使いましたが、観客から『昔は実際にアイヌ民族へのいじめがあった。今は反省している』などと率直な感想が聞かれました。開業したばかりのイコロでも公演できたことは意義深いと思っています」
 ――イコロの来場者を増やすために必要なことは。
 「イコロを知らないという学校関係者もおり、もっとアピールが必要です。阿寒湖周辺の自然ツアーと組み合わせるなどし、修学旅行や宿泊学習で利用してもらえるよう工夫したいです」
http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/piyar/225484.html

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白老・アイヌ民族博物館の入場者好調17・5%増

2014-03-01 | アイヌ民族関連
室蘭民報 【2014年2月28日(金)朝刊】
 白老町若草町のアイヌ民族博物館の昨年4月から今年1月まで10カ月間の入場者は、17万935人で前年度同期に比べて17・5%増と好調だ。同博物館が目標に据えた年間入場者18万4千人に「かなり近くにいけそう」とみている。
 年間の入場者数は一昨年度14万4683人、昨年度は15万5991人。本年度は10カ月間で既に過去2カ年度の入場者を上回った。が、2010年度(平成22年度)は20万2803人を数えており、大震災前の水準には依然戻っていない。
 10カ月間の国内外の内訳は日本が12万2427人(前年度同期比9・2%増)、海外が4万8508人(同45・8%増)。増加が著しい海外のなかでもタイが2・6培の1万8036人と際立っている。新千歳空港との直行便就航が影響しているとみられる。国内は前年度落ち込んだ修学旅行生が回復したという。
 韓国は1万2406人(同7・8%減)と1万人を超えたが、昨年10月以降の減少幅が大きく、領土問題など日韓関係の不安定さが背景にあるとみられる。
 全入場者数を月別でみると、すべての月で対前年同月を上回った。20%超増となったのは5月、10月、12月、1月。
 2月25日現在の来場者は約17万7900人。昨年3月は約4800人が来場しており、このまま推移すると18万人超えはほぼ確実。同博物館の年間目標18万4千人も視野に入ってきている。
 同博物館は昨年4月に設置した誘客戦略室を核に、道内外の学校への営業、観光協会や町と連携した誘客に取り組んでいるほか、週末企画を春から秋にかけて実施した。
 村木美幸専務理事はこれら取り組みの成果を踏まえた上で「子どもたち向けのアイヌ文化の普及、充実などを図っていきたい」と話している。
(富士雄志)
http://www.muromin.mnw.jp/murominn-web/back/2014/02/28/20140228m_08.html

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