(2011年1月17日 読売新聞)
撮影・菅野靖 世界遺産の北海道・知床。その名は、「地の果て」という意味のアイヌ語「シリエトク」を語源とする。
乃南アサさんの新刊『地のはてから』(講談社、上下巻)は、知床に大正初期、開拓民の子供として入った女性の激動の半生を描く長編小説だ。極寒の地での電気も水道もない暮らし、奉公先でのつらい日々、周囲を覆い始める戦争の影……。時代の波にのまれながら、ただただ懸命に生きた主人公の姿は、今を生きる私たちの心を静かに、しかし奥底から震わせる。(村田雅幸)
「日本最後の秘境」「手つかずの大自然」。そう形容される知床を初めて訪ねた1998年、ひどく驚いたことがあった。熊を見つけようと、車からクマザサの茂る原野を眺めていた時のこと。熊でも岩でもない塊が目に入った。聞けば、入植者が残した廃屋という。「こんな所まで開拓に入っていたなんて」。以来、縁あって何度も知床に足を運ぶうち、入植した女性たちの人生をつづった本を知人から贈られ、さらに衝撃を受ける。
「バッタの大群が飛んで来て、畑のすべてを食い尽くした、と書かれていたんです。それは、ものすごい恐怖だったはず。でも私たちは、まだ100年もたっていないのに、何も知らない」。そこから、この物語が生まれた。
主人公のとわは、3歳になる直前、株で失敗した父と母、兄の4人で福島から逃げるようにして「地のはて」にやってきた。生活は困難を極め、原生林を切り開いて畑を作り、やっと作物が収穫できそうだと思えば、バッタに襲われる。頼みの綱の父は事故死し、やがて小樽に奉公に出ることになったとわに、母がオホーツク海を眺めながら語る言葉が切ない。
〈おがちゃの一生なんて――あの岩のようなもんだなぁ(略)どうだけ大っけぁ波かぶったって、たぁだただ、歯ぁ食い縛って、黙ぁってじぃっとしてなっかなんねぁ〉
それからの、とわの人生も苦難の道となる。食べていくために身を粉にして働き、たった一度の恋もかなわない。結婚生活はうまくいかず、戦争や火事できょうだい、そして子も失う。苛烈な人生だ。が、乃南さんは言う。「今の人の目には、そう映るでしょう。でも、彼女はそんなことは思わず、一日一日を生きていた」
とわは思う。どうあがいても人生はやり直せない。いくら泣き叫んでも、世の中は自分一人の力では変えられない。だから、〈とにかく明日も朝を迎えよう。明日になったら、また次の日〉と。
そんな、とわの思いは、彼女の孫を主人公にした物語として一昨年に出した『ニサッタ、ニサッタ』(講談社)にも共通する。「ニサッタ」とはアイヌ語で「明日」の意。勤めていた会社が倒産、ネットカフェ難民になった孫に、とわは語る。〈明日ってのは必ず来るもんだから。生きてるうちはな〉。そうして孫の心に、小さな希望の灯をともす。
乃南さんはこの2作を書く際、「現代の閉塞感、特に若い人たちが感じている息苦しさを見て、なにか少し息がつけるようなものにはできないか」と考えていたという。もちろん、100年前と現代では状況が違う。けれど、どの時代であれ、人が生きていくには、何らかの困難が付きまとう。
「誰もが好んでこの時代に生まれたわけではないし、気に入らないからといって違う時代に行くこともできない。嘆く気持ちはみんなにあるけれど、大事なのは、今はこういう時代なんだと見据え、あきらめないこと」
現代人が今すぐ、とわのようにたくましく生きられるはずもない。でも、この物語を読み進めるうち、こうは感じないだろうか。とわのようなつらい環境であっても、人は生きていけるのだと。
「いざとなったらなんとかなる。人間には、生きる力が本能として備わっていると思えば、少し楽になるでしょう。そんなことを感じてもらえれば、ありがたいです」
◇
のなみ・あさ=1960年、東京都生まれ。『凍える牙』で直木賞。近著に『自白 刑事・土門功太朗』『すれ違う背中を』『禁猟区』など。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20110117-OYT8T00698.htm?from=yolsp
撮影・菅野靖 世界遺産の北海道・知床。その名は、「地の果て」という意味のアイヌ語「シリエトク」を語源とする。
乃南アサさんの新刊『地のはてから』(講談社、上下巻)は、知床に大正初期、開拓民の子供として入った女性の激動の半生を描く長編小説だ。極寒の地での電気も水道もない暮らし、奉公先でのつらい日々、周囲を覆い始める戦争の影……。時代の波にのまれながら、ただただ懸命に生きた主人公の姿は、今を生きる私たちの心を静かに、しかし奥底から震わせる。(村田雅幸)
「日本最後の秘境」「手つかずの大自然」。そう形容される知床を初めて訪ねた1998年、ひどく驚いたことがあった。熊を見つけようと、車からクマザサの茂る原野を眺めていた時のこと。熊でも岩でもない塊が目に入った。聞けば、入植者が残した廃屋という。「こんな所まで開拓に入っていたなんて」。以来、縁あって何度も知床に足を運ぶうち、入植した女性たちの人生をつづった本を知人から贈られ、さらに衝撃を受ける。
「バッタの大群が飛んで来て、畑のすべてを食い尽くした、と書かれていたんです。それは、ものすごい恐怖だったはず。でも私たちは、まだ100年もたっていないのに、何も知らない」。そこから、この物語が生まれた。
主人公のとわは、3歳になる直前、株で失敗した父と母、兄の4人で福島から逃げるようにして「地のはて」にやってきた。生活は困難を極め、原生林を切り開いて畑を作り、やっと作物が収穫できそうだと思えば、バッタに襲われる。頼みの綱の父は事故死し、やがて小樽に奉公に出ることになったとわに、母がオホーツク海を眺めながら語る言葉が切ない。
〈おがちゃの一生なんて――あの岩のようなもんだなぁ(略)どうだけ大っけぁ波かぶったって、たぁだただ、歯ぁ食い縛って、黙ぁってじぃっとしてなっかなんねぁ〉
それからの、とわの人生も苦難の道となる。食べていくために身を粉にして働き、たった一度の恋もかなわない。結婚生活はうまくいかず、戦争や火事できょうだい、そして子も失う。苛烈な人生だ。が、乃南さんは言う。「今の人の目には、そう映るでしょう。でも、彼女はそんなことは思わず、一日一日を生きていた」
とわは思う。どうあがいても人生はやり直せない。いくら泣き叫んでも、世の中は自分一人の力では変えられない。だから、〈とにかく明日も朝を迎えよう。明日になったら、また次の日〉と。
そんな、とわの思いは、彼女の孫を主人公にした物語として一昨年に出した『ニサッタ、ニサッタ』(講談社)にも共通する。「ニサッタ」とはアイヌ語で「明日」の意。勤めていた会社が倒産、ネットカフェ難民になった孫に、とわは語る。〈明日ってのは必ず来るもんだから。生きてるうちはな〉。そうして孫の心に、小さな希望の灯をともす。
乃南さんはこの2作を書く際、「現代の閉塞感、特に若い人たちが感じている息苦しさを見て、なにか少し息がつけるようなものにはできないか」と考えていたという。もちろん、100年前と現代では状況が違う。けれど、どの時代であれ、人が生きていくには、何らかの困難が付きまとう。
「誰もが好んでこの時代に生まれたわけではないし、気に入らないからといって違う時代に行くこともできない。嘆く気持ちはみんなにあるけれど、大事なのは、今はこういう時代なんだと見据え、あきらめないこと」
現代人が今すぐ、とわのようにたくましく生きられるはずもない。でも、この物語を読み進めるうち、こうは感じないだろうか。とわのようなつらい環境であっても、人は生きていけるのだと。
「いざとなったらなんとかなる。人間には、生きる力が本能として備わっていると思えば、少し楽になるでしょう。そんなことを感じてもらえれば、ありがたいです」
◇
のなみ・あさ=1960年、東京都生まれ。『凍える牙』で直木賞。近著に『自白 刑事・土門功太朗』『すれ違う背中を』『禁猟区』など。
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20110117-OYT8T00698.htm?from=yolsp