伊藤ファミリーBLOG

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【COGHCC聖書通読】 2017/03/15

2017-03-15 07:55:32 | 一日一章・聖書通読日記
歴代志下 12:1-2, 4-5
『レハベアムはその国が堅く立ち、強くなるに及んで、主のおきてを捨てた。イスラエルも皆彼にならった。 彼らがこのように主に向かって罪を犯したので、レハベアム王の五年にエジプトの王シシャクがエルサレムに攻め上ってきた。

シシャクはユダの要害の町々を取り、エルサレムに迫って来た。 そこで預言者シマヤは、レハベアムおよびシシャクのゆえに、エルサレムに集まったユダのつかさたちのもとにきて言った、「主はこう仰せられる、『あなたがたはわたしを捨てたので、わたしもあなたがたを捨ててシシャクにわたした』と」。』

北イスラエル王国と分裂した南ユダ王国が国の基礎固めを進め、国力が増し加わるに連れ、レハベアムは慢心して主の教えに従わなくなり、ユダの民たちの心もまた主から離れました。そこで主はエジプトを用いてユダを攻めさせ、罪の懲らしめを受けさせました。主は預言者シマヤを王の元に遣わし、レハベアムとユダの民が主を捨てたので、主もまたユダを捨てられたと宣告しました。

私たちは困ったときには主に助けを求めますが、順風満帆になると主から心が離れてしまいやすい存在です。罪の支払う報酬は死であり、主を捨てる者は主から見捨てられて当然です。人生の良いときも悪いときも変わらず主を求め従い続けるコンスタントな信仰が、私たちに必要とされます。

http://bible.com/81/2ch.12.1-2,4-5.ja1955

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歴代志下 12:6-8
『そこでイスラエルのつかさたち、および王はへりくだって、「主は正しい」と言った。 主は彼らのへりくだるのを見られたので、主の言葉がシマヤにのぞんで言った、「彼らがへりくだったから、わたしは彼らを滅ぼさないで、間もなく救を施す。わたしはシシャクの手によって、怒りをエルサレムに注ぐことをしない。 しかし彼らはシシャクのしもべになる。これは彼らがわたしに仕えることと、国々の王たちに仕えることとの相違を知るためである」。』

預言者シマヤを通して不信仰の報いとしての懲らしめの言葉を聞いたレハベアムとユダの人々は、主を正しいと、遜って罪を悔い改めました。王とユダの人々が遜って立ち返る姿を見られた主は、ユダをことごとくは滅ぼし尽くさず、救いを施すと約束されました。しかし同時に主はユダに対する戒めとして、主に仕えることと、他国の王に仕えることとの違いを知らしめるために、エジプト王シシャクの為すがままにされました。

恵みと憐れみに富む主に仕えることと、情け容赦ない人の支配下に置かれることの違いを知る私たちは、主の御言葉に聞き従い、祝福と守りの御手の内に生かされるさいわいに与る賢い人生の選択を行いたいと願います。

http://bible.com/81/2ch.12.6-8.ja1955

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歴代志下 12:9-12
「エジプトの王シシャクはエルサレムに攻めのぼって、主の宮の宝物と、王の家の宝物とを奪い去った。すなわちそれらをことごとく奪い去り、またソロモンの造った金の盾をも奪い去った。 それでレハベアム王は、その代りに青銅の盾を造って、王の家の門を守る侍衛長たちの手に渡した。 王が主の宮にはいるごとに侍衛は来て、これを負い、またこれを侍衛のへやへ持って帰った。 レハベアムがへりくだったので主の怒りは彼を離れ、彼をことごとく滅ぼそうとはされなかった。またユダの事情もよくなった。」

エジプト王シシャクはエルサレムの神殿と王宮の宝物倉から宝物を奪い、またソロモンが造った金の盾をも奪い去りました。そこでレハベアム王は青銅で盾を造り、これを侍衛兵たちに持たせました。金は神様のきよさと祝福の象徴、青銅は罪の購いの象徴です。すなわち侍衛兵たちは罪を身に負い購いを受けたのです。罪を犯した者の主に対する遜った姿勢を見た神様はその怒りをさやに収められ、ユダの国政は回復しました。

私たちは罪赦された罪人に過ぎない存在であることを決して忘れず、思い上がって主を捨てることなく、罪の購いを求めて遜って主に仕える者となり、主の憐れみによって生かされる恵みに与らせていただきたいと願います。

http://bible.com/81/2ch.12.9-12.ja1955
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【今日の聖句】 2017/03/15

2017-03-15 07:00:18 | 今日の聖句
詩篇 73:26
「わが身とわが心とは衰える。しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。」

この世では悪が栄え正直者が馬鹿を見るのは聖書の時代も今も変わりなく、そのために心を悩ませるのは時間の無駄遣いです。やがて天で受ける義の栄冠に目を向け、先人たちから受け継いだ信仰を守り通し、主を心の力として永遠の希望に生きる私たちでありますように。

http://bible.com/81/psa.73.26.ja1955
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