鹿ケ谷の法然院、
別儀ながら、
鹿ケ谷とは、
「鹿ケ谷の陰謀」として1177年に平家打倒の陰謀が発覚、
鬼界が島に流された者たちの内、
俊寛僧都のみが島に捨て置かれる・・・、
ざわざわと木々が揺れる中を、
法然院に向かう、
茅葺の門が殊の外美しい寺院、
門扉の竹に優しさを感じる、
門から中を見ると、
砂で造形された不思議な、
なお反対側では、砂の造形が続けられていたが、
何となく、
先を急ぎ、
そこを後にする、
苔むした石垣が下に続いていく、
街に戻ってくる、
結界の角を曲がる、
街の向こうに見える丘は吉田山、
鬱蒼と茂る丘に、
細い石段を登ると、
丘に並行して同じ様式の黒い家が続く、
前の道の反対側は高い石垣、
社家なのだろうか、
不思議な雰囲気が漂う、
紛れ込んでしまった中世の時代、
竹藪が続く、
誰もいない朝の山道、
その木々の中に、
木造の家が一軒、
不思議、
「茂庵」という、
まだ閉じられていた、
誰がここまで登ってくるのだろうか、
車では来られない、
景色の無い森の中に佇む、
カフェ&レストランとあるが、
何方が来るのか、
更に行くと、
小さな扉が、
石の階段を降りると、
吉田神社、
拝殿まで羊草が、
その先に、
不思議な形の藁葺の宮、
その隣に、
黒住教の宗忠神社、
門前の隣に、
吉田山荘、
ここには、
初めて訪れたが、
京都にして京都にあらず、
しかし、
京の霊域、
駆け抜ける、
そして、その真正面、
黒谷を通り、
真如堂と金戒光明寺のある丘に登る、