西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

グランプラスという空間

2011-10-30 | 訪問場所・調査地
ブリュッセルの「中心空間」は、グランプラス(Grand-Place大きな広場)であろう。これはフランス語である。

ビクトル・ユーゴーは、「これは世界一の広場だ」と言ったようだ。世界遺産となっている。

プラスとは、Placeでありフランス語では「場所」という意味と「広場」という意味を併せ持つ。フランスなどヨーロッパでは、「大事な場所が広場」なのだ。

他国語では、場所及び広場を表す言葉は、ドイツ語ではPlatz(プラッツ)、スペイン語ではPlaza(プラザ)、イタリア語ではPiazza(ピアッツア)などで同じような言葉になっている。

このブリュッセルのグランドプラスには市庁舎(15cのゴシック建築)も面しているが、中世の職人の扶助組織の「ギルド」の建物も面している。それらの建物には、それぞれの守護聖人の彫刻も刻まれている。

また、ベルギー特産のチョコレートの老舗(ゴディバ)や新勢力の店も、この広場に面している。

ここで7月には盛大な祭りがあるようだが、今回は10月なので見られなかった。

このグランプラスからは色々な店があるレストラン街、世界一古い「アーケード商店街」、有名な小便小僧像にもすぐ行ける。

ところで、私たち夫婦は、夜の自由時間に、ここからホテルに帰るのに迷子になって1時間以上ウロウロした。こういう場合には、元に戻って、一度は歩いた道を行くのが一番いい。

こうして21時半過ぎにたどり着いたが、ホテル隣のレストランでビールにありついてホッとしたのだった。

ベルギーという国

2011-10-30 | 訪問場所・調査地
ベルギーは、「北」にオランダ、「南」にフランス、「東」にドイツ(ルクセンブルグ公国もあり)があって、北側はオランダ語圏(フランダース地方)、南側はフランス語圏(ワロン地方)、一部ドイツ語域、ほぼ真ん中の首都ブリュッセルは、フランス語、オランダ語両方が公用語になっている。

従って、ブリュッセルでは、交通標識も、フランス語、オランダ語両方で書いてあるが、オランダ語圏(フランダース地方)に行くと、オランダ語だけ、逆にフランス語圏(ワロン地方)に行くとフランス語だけになる。全体としてはオランダ語6割、フランス語4割だが、ブリュッセルではフランス語が6割になるようだ。

このツアーに一緒に参加した私より高齢の男性が、国内で違う言葉が公用語なんですねー、と感心していた。私は、他にはスイスのようにフランス語、ドイツ語、イタリア語、ロマン語の4つが公用語のところもありますよ、と言っておいた。日本にいると、考えもしないことだろう。

特にベルギー語というのがなく、こうなってきたのは、長い歴史の結果であろう。ベルギー史をしっかり勉強すると、ヨーロッパ史が分かるかもしれない。ベルギーはローマ帝国、フランク王国、ブルゴーニュ公国、ハプスブルグ家、ネーデルランド王国(オランダ)を経由して、ベルギーが独立した1830年(10月4日)ころからも、ヨーロッパの他国(ドイツ公国)から王様(レオポルド一世)を招いた国柄である。

日本の近代が1868年に始まったとするとベルギーはそれに先立つ1830年に「近代」が始まったと言える。ヨーロッパ列強に遅れて「植民地」を取りに行き、アフリカにベルギー領コンゴを得ている。ここのゴム採取や鉱産物などにより1900年前後のレオポルド二世時代が、「一番」繁栄したとのことだ。ブリュッセルにレオポルド二世が造ったという宝の蔵が五つもあり、1900年のパリ万博に日本から出展した「五重塔」をレオポルド二世が気に入って、買い取って、現在もブリュッセルに現存している。

ブリュッセル人もレオポルド二世を偲んで「レオポルド二世通り(LeopoldⅡ)」という通りをつくっている。

現在は、オランダ語圏は主にプロテスタント、フランス語圏は主にカソリックとのことだった。全体としてはカソリックのようだ。人口は全体でほぼ1千万人、首都のブリュッセルは1割のほぼ100万人である。全体面積は九州位である。

政治・軍事・経済から言うと、ヨーロッパ「全体」のEUの本部、NATOの本部がブリュッセルに置かれているが、国内的には、議会は、全体議会、ワロン地方議会、フランダース地方議会、首都圏議会が重層的にあって複雑なようだ。

オランダと合わせて「ネーデルランド」と言われ、平地が多いが、オランダが殆ど平地ばかり(海抜0メートル以下もある)なのに対してベルギーは北のオランダ続きのフランダース地方は、ほぼ平地だが、南のワロン地方のアルデンヌの森あたりは山地である。

案内人のS.さんに聞いたら、ベルギーのバス運転手でアルデンヌを走る分には良く起伏を知っているので安心だが、オランダからの続きでオランダのバス運転手で走る場合、気をつけないと、とのことだった。ブレーキを踏みすぎて煙が出たこともあったという。今回は、もちろんベルギー人の運転手でアルデンヌの森を走ったので安心だった。