西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

ジョブズの死、6年前のスピーチより

2011-10-07 | 時論、雑感
アップルの元COEのジョブズが癌で56歳の命を閉じた。

昔、スタンフォード大学の卒業式に招かれてスピーチ(約8分間)したのをブログに残していると気づいて、右上の検索で「ジョブズ」を探したら、以下にあった。

http://blog.goo.ne.jp/in0626/s/%A5%B8%A5%E7%A5%D6%A5%BA
(これをクリックしたら、すぐ繋がるようにするにはどうしたらいいのかな?)
まあ、もう一回、この画面から検索「ジョブズ」をやった方が早いかな。

聞いて思い出した。 「点をつなぐ」Connecting the dotsというのが印象深い。過去の経験(dots)と現在が繋がって線lineとなり道roadとなるのだ。

でも、このスピーチは、全体として、やはり「アメリカンドリーム」というか、個人の努力と幸運の物語になっている。

私のブログで紹介したFUTANさんの「コラボレーションはどうなのか」も気になる。
最近、再び気になりだした「アソシエーション」の働きである。

隔世紀でマルクスが再度注目される

2011-10-06 | 時論、雑感
マルクスが鋭意研究して『資本論』その他を書いたのは19世紀である。

で、20世紀に、その影響で成立したのが1917年のレーニンの「ソ連社会主義共和国」などである。この国名にある「社会主義」とは、既に実現したという意味ではなく、今後目指すという意味であった。現在の中国なども、「社会主義」と言っているが、実態は国家資本主義と言えるのではないか。

ところが20世紀の末にそのソ連が崩壊し、勢力圏の東ヨーロッパの各国も崩壊し、文字通りの資本主義になった。もともと、それらの国は「国家資本主義」だったのである。

だから、世界中、ほぼ資本主義が支配することになった。しかし、これは「資本主義の勝利」といったものではなく、21世紀は、その後の経過が示しているように、資本主義ではどうにもならず、真の社会主義への移行の時代に入ったと言ってよいのではないか。

それは「アソシエーション」の時代を予感させる。(大谷禎之介著『マルクスのアソシエーション論』(桜井書店)など)

一国で新社会に移行することもありうるが、「世界革命」とは言わないが、それに近いかたちでアメリカなどから「雪崩」を打って変革が起こることもありうる時代だろう。最近のアメリカでのface bookなどを通じての若者たちの富裕層への「異議申し立て」は、その種火かもしれない。やがて日本にも飛び火するかもしれない。

それが21世紀であり、19世紀から「隔世紀遺伝」が起こる確率が高いのではないだろうか。しかし、真の社会主義に進むには徹底的な民主主義が前提となるのではないか。主体的にも、それに向かって微力を尽くしたい気持ちである。

「近代建築の巨匠・前川國男の代表作・京都会館の保存を!」

2011-10-06 | 地域居住学
先日、京都(市内)の知り合いから表記のような「アピール」賛同願いがメイルで送られてきた。

「「近代建築の巨匠前川國男の代表作京都会館の保存を願うアピール」について賛同のお願い」

 突然このような書面をお送りすることをお許し下さい。

 さて、京都市左京区の岡崎公園内にある京都会館が全面的に改築される計画が突如浮上してきました。

 この問題は、日本建築学会が保存の要望書を提出しましたが、京都市はこの要望を
無視して、全面改築を強行しようとしています。

 「岡崎公会堂」のあった岡崎公園は、運動発祥の地でもあり、京都会館を設計した近代建築の巨匠である前川國男は、そのことを意識して、「水平的性格」を強調して設計したといわれています。こうしたコンセプトにもとづく前川國男の代表作である京都会館の全面改築にストップをかけようと考えて、今年8月末、映画監督の山田洋次さんなど28人のよびかけで、別紙のとおりのアピールを発表いたしました。

 つきましては、まことに恐縮ですが、是非ともこのアピールのよびかけにご賛同いただきたいと考え、ここにその旨ご依頼申し上げる次第です。

 御多用中、このような不躾なお願いをして、大変申し訳ない次第ですが、京都会館の建築的価値の重要性をご理解いただき、何卒、ご協力下さいますようお願い申し上げます。

 以上、取り急ぎ、お願い申し上げますので、よろしくご検討のうえ、ファックスかメールでお返事をいただければ幸甚です。」

以下のアピールに賛同の方は、メイルでは:save-kyotokaikan@ems-lab.org へ宜しく。


別紙のアピール:

日本近代建築の巨匠前川國男の代表作京都会館の保存をねがうアピール
 京都市が前川國男の代表作、京都会館を原形をとどめないまでに全面改築しようとしています。  
前川國男は20世紀を代表する建築家ル・コルビュジェにモダニズム建築を学び、日本の気候風土のなかで独自の作風を確立しました。その契機となるのがこの京都会館です。日本の昭和戦後のモダニズム建築の歴史のなかでももっとも重要な作品といっても過言ではありません。1960年度に日本建築学会賞受賞、2003年には国際組織、DOCOMOMO JAPANの日本のモダニズム建築100にも選ばれています。
京都会館の建つ岡崎地区は、東山の裾野から鴨川へと続く静かで伸びやかな一帯です。そこには南禅寺や真如堂、金戒光明寺(黒谷)など、古都を代表する神社仏閣が数多く存在している一方、京都の三大近代化事業の一つ疏水が流れ、疏水を引き込んだ無燐庵はじめ近代庭園の数々があり、平安建都千百年記念事業では、平安神宮が建設され内国勧業博覧会の会場とされるなど京都の近代化の出発点ともなる地区です。
戦前には京都府立図書館や京都市美術館、戦後には京都会館や京都国立近代美術館も開設され、京都の文化センターとして親しまれています。京都会館は戦後復興の象徴として企画され、市民などから資金の拠出もうけて、指名コンペにより、前川國男の設計案が選ばれ1960年に完成しました。

 京都会館の建築のデザイン上の特徴は次の通りです。
第一は水平性を強調した和風のモダニズム建築
上に突出せず水平性の際だつ建築になっています。建物は柱と梁の架構を骨太に表し、大庇やテラスと手摺等により水平性を強調し、日本建築の伝統と風土に応え、庇から上部に出るホールの壁は大型タイルで覆い大寺院の屋根を思わせ、会議室棟をくぐり中庭に歩み入ると仏教伽藍にも似た大らかな感興を覚えます。また大庇のそりなども近代建築に和風のデザインを取り入れています。前川國男は西欧起源のモダニズム建築を、京都の地を得て、この国に見事になじませたのです。

第二は東山の景観と調和した軽やかな外観
東山の裾野の景観と調和する軽やかな山型の屋根をもっています。第一ホールの屋根は、舞台のある疎水側にも客席のある中庭側も傾斜し、高さやボリュームを感じさせないような軽やかな山型の屋根となっており、見上げる場所によりその様相が変わっていきます。大型タイルの色合いや質感も京都岡崎の地との調和を図った質の高いものです。

第三は開放感あふれる空間の構成
建物全体が開放感のある構成となっています。二条通から後退させて並木を植えた広いプロムナードはピロティ(吹き抜けの柱の列)を抜け、落ちついた中庭に通じ、さらにそこから第一ホールのホワイエ(ロビー)へと繋がります。南側の通りからも北側の通りが見通せます。この開放性は人々をやさしく京都会館へと迎え入れ、都市空間における自然な語らいと憩いの場を提供しています。

 この度の京都市の京都会館再整備計画はこれらデザイン上の特徴を根本から破壊するものです。改築案では第一ホール舞台上のフライタワーが水平の庇の上に四角の箱型が異様に突出する計画になっています。高さも30メートルとなり設計者がもっとも腐心した東山裾野の岡崎公園全域との調和が損なわれ、また、第一ホールは二階に入口のある計画案となっており、二条通から見通しのなかにあった第一ホールのホワイエも閉ざされ開放性が損なわれ、観客にとってもよい改築とはいえません。

 日本建築学会からは保存の要望書が提出されるなか、パブリックコメントでも示されていなかった改築案が突然出されてきたことは、多くの建築技術者のみならず、京都会館を利用してきた音楽や舞台関係者、住民からも疑義が出ています。議論が不十分であり不透明なすすめ方となっていることは否めません。京都会館はこれまで青少年の吹奏楽・合唱などの檜舞台として親しまれてきた建物でもあります。音楽や演劇、バレエなど市民の文化活動の場として親しまれてきた、市民文化の殿堂です。利用者・市民・専門家の意見をよく聞けば、このような計画案にはならないはずです。
京都市も当初検討したといわれる外観とりわけ第一ホールの屋根やホワイエの形状を継承することをしっかり前提におき、座席、音響、バリアフリーなど必要な設備の改善を行うのがもっともよい解決法だと考えられます。
 京都市民にとっても、京都の景観や文化財を守りたいと願う全国の人びとにとっても、この度の全面改築案は納得のできないものです。日本近代建築の代表作である京都会館を守り、市民に親しまれてきた文化の殿堂として後世に伝えていくための世論を広くおこしていただくよう心から訴えます。

2011年8月31日  」


私自身の体験に基づく「思い」は以下の如し:


 私は1960年に京大・建築学科に入学したものですが、前川國男さんの京都会館は出来上がっていたが、専門課程の3回生になった1962年に、日本における近代建築のすぐれた例としてこの京都会館に何度も見に行きました。ピロティやカーブのある軒にも、打ちっぱなしコンクリートにも感銘を受けました。現在1960年から50年余、コンクリートの寿命は70年と言われていたが、50年とは情けない。実際は、もっともつと思う。

確かに、その後、観劇や音楽イベントにも出向いて音響効果が今一つだな、と率直思いました。京都を通り越して大阪フェスティバルホールにイベントが流れるのもやむを得ないとも思いました。だから京都の北に音楽ホールが出来たのだと思います。京都会館の音響効果の改善工事には賛成ですが、東山の背景が「隠されるような」工事には反対です。ぜひ有効なリフォームをしつつ、コルビュジェ風の近代建築の優れた日本例である京都会館の保存をしていただきたい、と切に思います。


日野原重明さん100歳

2011-10-05 | 時論、雑感
今日、日野原重明さんが満100歳になったようだ。朝のテレビで歩く姿などを見たが、また話しぶりを聞いたが、総じて「100歳」とは思わせない元気ぶりだ。

しかし、前に95歳の頃に見た時の印象と比べると、首というか顔が前傾していて流石に「年寄りだな」と思わせる。奥さんも生きてはいるが、認知症で、「寝たきり」の状態で、日野原さん自身「(奥さんの)最期への足音が聞こえる」という。

日野原さんは年間150回にも及ぶ「講演」などを行っていて、2020年までの「10年間手帳」に予定を書き込んでいるが、もう2020年の予定も入っている、とのこと、これだと110歳までも生きないといけないことになる。日本人(男性)の最年長記録更新を「狙っている」とも、どこかで語っていた。

まあ、そういうことも「励み」に日々精進しているのだな、と思った。食事メニューもシンプルなものだし、階段もできる限り昇り降りしているようだ。

日野原さんと言うと、「生活の質」を大切にし、希望により自宅で最期を迎えるのを理想としている。「成人病」と呼んでいた癌や脳卒中、心筋梗塞などを「生活習慣病」と呼ぶことを提案したことでも有名。(今は、そのように呼ばれている)

聖路加国際病院を建てる時、患者の個室から外界の「ゆったりした」庭が見えるように「設計提案」したことも記憶に残っている。

文化勲章をもらった時「長生きのご褒美だ」との感想を述べたことも覚えている。

「個性ある長生き」、見習いたいものだ。

私のブログ頁のアクセス・ランキング(昨日)

2011-10-04 | SNS、地域SNS、ブログ
私は、「特別契約」して毎日のアクセス解析もしてもらっている。初めて例として昨日の「どの頁(記事)」にどれだけアクセスがあったか、以下に示す。

トップページ とあるのは、昨日のトップページで4の住居学概論ノートと同じ、66PVとあるのは「66人」がみたということ。

3 アーカイブ とあるのは、過去記事一覧で、右の欄の「最新記事」を見ると最新10記事が載っているが、その下に もっと見る があるので、そこをクリックすると一覧表がずらりと出てくる。

19 月別表示 とあるのは、年月別の表示一覧で、右の欄の下の方の「バックナンバー」で見たい年・月まで動かして、クリック、その月の最後から遡及して記事一覧が出てくる。

普通の記事では、掲載の年月日、時間 そして最後の数字が「何人」見たかの数字である。別のところで、昨日は287人が「訪問」され、計1810頁(記事)「閲覧」されたことになっている。まあ延べで1800件の影響を与えたことになるとも言えよう。

大体は、昨日から遡及して新しい記事が比較的多く見られているが、昨日のように2005年(ブログ開設年)、2006年、2007年の記事もトップ20に上がってきている。アーカイブ等を見て過去の記事も読んでいただいてありがたい、と思う。

最近、毎日のように読まれているのは「7 フランク・ロイド・ライト」記事だ。これは、14.とも関係がある。

昨日の「不思議」は二位に「増田友也先生の記事」が41人にも見られているという不思議である。


1 トップページ 66 PV
2 増田友也設計の京都・東山会館の思い出 2005-11-27 18:27:05     41 PV
3 アーカイブ 34 PV
4 住居学概論ノート(1)住居とは?住居学とは? 2011-10-03 15:28:41 23 PV
5 進化論について(学習続き) 2011-10-02 08:39:30 18 PV
6 「世界を変えた10冊の本」より 2011-09-30 16:12:26 11 PV
7 フランク・ロイド・ライト作「カウフマン邸」... 2006-12-10 15:18:28 10 PV
8 有名人もただの人ー田園調布居住ー 2007-08-25 16:38:38 9 PV
9 『京都三大学 京大・同志社・立命館 東大... 2011-03-02 10:12:15 8 PV
10 柳田邦夫の2.5人称の視点 2007-04-30 19:17:33 8 PV
11 在日中国人への一つの認識ー野村 進さんー 2011-09-28 17:13:44 8 PV
12 NHKって高給取りなのだな・・・。 2011-09-28 17:17:20 7 PV
13 沖縄の普天間、福島での放射性物質の置き場 2011-09-27 15:16:16 7 PV
14 解釈仮説:ライトのジョンソン・ワックス社... 2009-07-06 17:06:46 7 PV
15 向島ニュータウン(14)-京都市立向島図書館 2005-11-26 21:01:28 6 PV
16 詩集『求めない』 加島 祥造 2007-10-11 21:16:56 6 PV
17 重村 力さんによる故・地井昭夫さんの想像... 2006-12-05 14:50:21 6 PV
18 デンマルク国の話(内村鑑三)より学ぶ 2011-09-25 14:50:52 6 PV
19 月別表示 5 PV
20 「進化論」を少し勉強し考える 2011-10-01 16:00:34 5 PV

上位20件を表示しております。

以上、参考にしてください。

私も、これで「何を過去に書いたのか」参考にし再読して「修正・増補」などもしています。

住居学概論ノート(1)住居とは?住居学とは?

2011-10-03 | 地域居住学
(1)住居とは?住居学とは?

「住居学」は、「住居とは何か?」にはじまり、「そうか、それが住居なんだ」に終わると言える。

住宅と住居・・・住宅は、ハード(建築としての住宅、物理的構築物)、一方、住居は、ハード(住宅)とソフト(住生活)の統一、結合。

・住むと言うのは、住生活とほぼ同じだが、別に「棲む(動物が棲む、動物と棲む)」、「澄む(心が澄む)」、「済む(人生の最後を過ごす)」ということも大事である。

・住居は、空間的に言って住宅にとどまらず、近隣、近隣住区(小学校区)、市町村、都道府県、地方、国土・・・、と広がってとらえるべきである。住民の空間は、年齢等の条件により、そのように広がっているからである。それらの空間に対応する生活は、近隣や近隣住区に対しては地域居住、それより上位では都市・農村居住、国土居住・・・となるだろう。

・住民の一生(年齢)に即して生活空間の拡大過程と共に、縮小過程も存在する。赤ん坊から子供時代、成人し、社会人となり、結婚し、社会的に活躍するにつれて生活空間は拡大するが、高齢になり定年退職し、職場人間から地域人間になるにつれて生活空間は縮小傾向となる。(なるべく元気にPPK[ピンピンコロリ]が良いという人も多いが・・・)

・住居に始まる上記生活空間に対する学は、住居学(広義)としても良いが、別に生活空間学と称しても良いであろう。

・以上のような主に空間軸にそった住居学、生活空間学も構想できるが、一方、主に時間軸(歴史軸)にそった住居学、生活空間学も構想できるだろう。
それには時間の長短で、三つくらいに分けて考えても良い。

)いわゆる歴史学の伝統にそって(住居史学、生活空間史学・・・温故知新)
)自分史にそくして・・・「思い出し・思い入れ住居論」
)住居が生まれ継続し廃棄される過程にそくして・・・(住居企画、住居計画、住居建設、住居管理・リフォーム、住居廃棄・リサイクル論)


○課題・・・生活空間と空間生活、生活空間と生活環境、(白地に描くのではなく)(ある意味でどうにもならない)住居の具体場(住所)からの発想へ、住居と権力・財力・知力(企画・計画力)

進化論について(学習続き)

2011-10-02 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日の続き:

ダウイーンが、聖書にある「6日間ですべての生き物を神が創造した。人間を最後に神に似せて創造し、人間に全てを支配させよう」とした生物、種の創造説に疑問を抱いたのは、1831年から5年間の「地球一周」のピーグル号航海で観察し、資料収集し、考察した結果である。(南米、ガラパゴス等でのマネシツグミの変異に注目)これを創造説に対して自然選択説という。

また、当時、イギリスでは奴隷は既に禁止されていたが、ピーグル号で訪れた南米ではアフリカからの奴隷を目撃して、大いに憤慨したことが日記にあるようだ。この「反奴隷」の思いも進化論(ダウイーンはmodificationと言ったが、これをevolution(進化)としたのは「社会進化説」のハーバード・スペンサーである)を唱える根底にあったのでは、と言ったのは科学史家のジェームス・ムーアさんである。

日本では、猿などが身近にいたし、仏教の影響で他の生物との垣根がキリスト教のように高くはなかったことがベースにあるが、1877年に「お抱え外国人教師」のエドワード・モースが東京帝大で講義した(申す のだった)のだが、モース自身、「日本人が(東京帝大生ではあるが)進化論をこんなによく理解する」とは思わなかったとアメリカに帰国して言ったらしい。

そのアメリカでは、現在、進化論を認めない人たちが福音派キリスト教徒など40パーセントほどいるようだ。認めない人が一番多いのは、サウジアラビアの75パーセント、イギリスやドイツは12パーセント、日本は10パーセント位という。

ダウイーンの本国イギリスでは、ダウイーンはウエストミンスター寺院に葬られている。

最近、進化論も「進化」(深化か)しているというか「進化計算」という分野もでき、変異や突然変異も織り込んで、自然過程では何百万年もかかるのを数か月で「計算」し、結果が出るようだ。新幹線のN700系の設計も「進化計算」によっているようだ。

番組では、スタジオゲストの、大澤真幸さん(社会学者)、佐倉 統さん(科学史家)、中野京子さん(西洋文化史家)が話し合っていたが、見方が微妙に違い、これも面白かった。

大澤さんのいう進化論に基づく「偶然性の倫理」という考え方もユニークかな。「・・・我々がある資質(や障害等)を持って生れ出るのは偶然であって、それらをしっかり受け止めて平等に生きれるようにするのが、偶然性の倫理ではないか」という。


過去、進化論は、優生学では間違った「解釈」に陥ったし、ヒットラーも「悪用」したが、歴史の教訓として、そういうことはあってはならないことである。

「進化論」を少し勉強し考える

2011-10-01 | 生活描写と読書・観劇等の文化
昨日、NHKプレミアムで「大発見史」という番組があり、「進化論の疾走」というのをやっていて、録画して、今朝見てみた。大変興味深い内容、『種の起源』(1859年発刊)のダウイーンが考案した「生命樹」に似せた『種の起源』発刊(1859年)から影響を受けた人々や学説「樹」は興味深い。マルクスや心理学者フロイトや社会学者のスペンサーは大いなる影響を受けたようだ。

昨日のブログで「世界を変えた10冊の本」で、まあ一冊に絞る、収れんすると考えると、その一冊は「『資本論』ではないか」と述べたが、今朝見た番組では、マルクスの『資本論』(ウキペディアより引用「1867年に第1部が初めて刊行され、1885年に第2部が、1894年に第3部が公刊された。第1部は、マルクス自身によって発行されたが、第2部と第3部は、マルクスの死後、マルクスの遺稿をもとに、フリードリヒ・エンゲルスの献身的な尽力によって編集・刊行された。」)に影響を与えたのはダウイーンの『種の起源』になるわけだ。

ダウイーンからどのようにマルクスに影響を受けたか、は大きな研究テーマになると思うが、マルクスの僚友エンゲルスは、はっきりダウイーンの影響を受けたと思わせる有名な著書(論文)を書いている。

それは『猿が人間になるにあたっての労働の役割』である。内容は、人間は四本足から二本足で立って(これも進化の一過程)、脳からの指令で、手を自由に使い、道具を作り、そして使う過程で、それが逆に脳に働いて(反作用)、脳はより高度に「進化」するという趣旨だ。

たしかに『資本論』(1867年)より先に『種の起源』(1859年)が発行されている。どういう風にマルクスがダウイーンより影響を受けたのか、勉強・研究してみたい。

一言で言えば、Evolution(進化)からRevolution(革命)へ進化、革命が起こったということかな。