今日から三夜、NHKハイヴィジョンで「日本の風景を変えた男たち」がある。初夜は、池田武邦、明日は内藤多仲、明後日が丹下健三である。三人とも東大・建築学科の出身だ。日本の建築分野の「エリート」だ。
今日の池田武邦さんは、84歳、現存している。(他の内藤多仲さんも丹下健三さんも既に亡くなっている。)池田さんは藤沢市の生まれ、農村地帯で育つ、それが原風景、戦前は海軍兵学校出身、太平洋戦争で九死に一生を得る。戦後、焼け野原の復興にかけて建築をやろうとし、1946年東京帝国大学建築学科に入り、1949年卒、鈴木成文先生と同期かな。
設計事務所で活躍、日本設計設立、社長、日本初の超高層ビル・霞ヶ関ビルを設計完成1968年、その後、更に高い新宿三井ビルを設計、50階(地上200m)に自らのオフィスをつくる、前にブログに書いたが、http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/58eff9c143f6a537d183ec2bb56e6c1c
池田さんは冬のある日、外は雲の中だが、内は人工でコントロールされている環境で仕事のあと、地上の玄関に降立って、外は吹雪であるのを目撃し、愕然とする。こういう自然を拒否した超高層ビルとは何なのだろうか、と。
その後、日本の近代建築150年から反省して、数百年、数千年の伝統を大切にする、つまり海や大地、水や緑や動物等の自然を大切にする考え方に「回帰」している。私は、学生時代から自然、環境の重要性を認識してきたが、60歳位になってから改心した池田さんは偉いと思う。
環境保全、循環型のハウステンボスを造り、現在、長崎県西海市に住む。秋田の鵜養や福山の鞆の浦にも入れ込んでいる。私は数年前、科研費研究でハウステンボスに池田さんを聞き取りに訪ねた。
私が池田さんに贈った俳句:超高層降立ち吹雪に驚きぬ 市路
今日の池田武邦さんは、84歳、現存している。(他の内藤多仲さんも丹下健三さんも既に亡くなっている。)池田さんは藤沢市の生まれ、農村地帯で育つ、それが原風景、戦前は海軍兵学校出身、太平洋戦争で九死に一生を得る。戦後、焼け野原の復興にかけて建築をやろうとし、1946年東京帝国大学建築学科に入り、1949年卒、鈴木成文先生と同期かな。
設計事務所で活躍、日本設計設立、社長、日本初の超高層ビル・霞ヶ関ビルを設計完成1968年、その後、更に高い新宿三井ビルを設計、50階(地上200m)に自らのオフィスをつくる、前にブログに書いたが、http://blog.goo.ne.jp/in0626/e/58eff9c143f6a537d183ec2bb56e6c1c
池田さんは冬のある日、外は雲の中だが、内は人工でコントロールされている環境で仕事のあと、地上の玄関に降立って、外は吹雪であるのを目撃し、愕然とする。こういう自然を拒否した超高層ビルとは何なのだろうか、と。
その後、日本の近代建築150年から反省して、数百年、数千年の伝統を大切にする、つまり海や大地、水や緑や動物等の自然を大切にする考え方に「回帰」している。私は、学生時代から自然、環境の重要性を認識してきたが、60歳位になってから改心した池田さんは偉いと思う。
環境保全、循環型のハウステンボスを造り、現在、長崎県西海市に住む。秋田の鵜養や福山の鞆の浦にも入れ込んでいる。私は数年前、科研費研究でハウステンボスに池田さんを聞き取りに訪ねた。
私が池田さんに贈った俳句:超高層降立ち吹雪に驚きぬ 市路