西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

思い出す先生方ー大学編(6)横尾義貫先生の思い出

2006-01-04 | 京都の思い出(学生時代)
京大建築学科時代の先生として、西山夘三先生、絹谷祐規先生は特別として、講義を聞いた先生等として前田敏男先生(ブログ12月2日)、福山敏男先生(12月4日)、棚橋 諒先生(12月6日)と書いてきたが、こうくると横尾義貫先生をあげない訳にはいくまい。シェル構造の権威で日本建築学会の会長もされた。先生は、大正3年のお生まれで90歳を越えられているがお元気なようだ。先生には、建築構造力学を習ったと思うが、「力感論」という話を覚えている。先生が京大を退官された時に頂いた『建築構造随想』(昭和53年2月18日発行、非売品)を読むと、最初の方に「力感論」「力感論覚え書」が出てくる。前者は、1953年、後者は1967年の論考なので、この考えは長い間あたためられていたことが分かる。私が京大建築の学部学生だったのは1960年~1964年なので、これら二つの論考の発表された中間時点であった。たしか、京都会館を例に出されて、回廊の手すりの「頭」が不安定に感じられないか、と聞かれたのではないか。そう言えば、やや「頭でっかち」で不安定な感じだった。4回生の時、ゼミ所属の相談で、西山研に行きたい、と言ったら、「就職できるかどうか・・」とつぶやかれた。大学院を出て豊田高専に就職した時、横尾先生は、名古屋大学教授も兼任しておられ、京大建築会の東海支部でお会いした。「都市計画のテーマなら色々あるから一度来なさい」と言われたが行けなかった。先生は、好奇心旺盛で色々なことに関心を示され、豊橋技術科学大学の副学長をされていた時、東三河の歴史書も書かれているし、京大時代に構内の遺跡調査の責任者にもなっておられる。西山先生が1994年に亡くなられた時に葬儀実行委員長になっていただき弔辞を読んでいただいた。その後、お会いした時に子どもの遊び空間の問題が重要といっておられたが、最近お会いしていない。お会いしたら又、別の問題を言われるかもしれない。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿