西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

Yさん宅の「新築祝い」に行く、皆の生活現状も聞く、ゲデスの『進化する都市』(翻訳)の話も・・・

2016-05-10 | 地域居住学
昨日2016年5月9日(月)、千里ニュータウンの吹田市・津雲台6丁目の新築されたYさん邸に行った。木造の「外断熱」のかっちりした家だ。僕は、近鉄・高の原から近鉄に乗り、西大寺で大阪難波方面行きに乗り換え、更に日本橋で地下鉄堺筋線に乗り換え、阪急線に入って終点の北千里一つ手前の山田まで行った。当日はあいにく雨だった。この路線、方面に来るのは恐らく初めてではないか。

山田でモノレールで来るNさんとTsuさんに合流、taxiでYさん邸に行く予定のところYさんのご主人が運転で自動車で来られ、乗せてもらった。久しぶりの横浜から来たTsuさんが「足の痛み」を訴えた。誰もが、齢と共にそういう状況になるのだな、と思った。

別にYさんに聞くと、2013年12月14日(「忠臣蔵」討ち入りの日)に前住していた住宅が燃えてしまい(隣からの延焼)、やむなくこの新築に至った。やるからには「出来るだけ」良いものを、と心がけた、とのこと。二人とも住居学・建築学の出身だから自然の流れだろう。三人に最近の生活状況を聞けて興味深かった。それらの話は、ここでは記さない。

僕を含め、この4人は、その昔、若き頃にゲデスの『進化する都市』(1915年初版、1968年に「はしがき」付の再版)の翻訳に取り組んだメンバーの一部である。僕は、今度改訳した分について「100年前に、この中でゲデスが学生らに「(都市計画など)を学習するのにどこの国に行ったら良いか」について、その理由も付けて提起しているよ(イタリア、パリ(フランス)、アメリカ、ヨーロッパ色々、イギリス植民地、そしてとりわけ(第一次世界大戦であったにもかかわらずドイツ・・・)とて具体的に引用、説明しておいた。

すかさずTsuさんが「昔のヨーロッパでは、若者が訪れるのにゲデス推挙の地が妥当かもしれないが、現日本では又別、違いますよね」とすかさず言った。さすが我が教え子であるわい、と思ったが同時に自分だったら何処を推挙するだろうか、と考えてみた。何時か、「若い」学生たちに語りたいものである。

まあ、今日来ている「千里ニュータウン」は入るであろう。僕の「千里体験」は50年ほど前にさかのぼる。当時、住田昌二先生家族が住んでおられ、院生として僕等が住田邸を訪ねたことがあったが、夜になって帰るのにバスを待っていたら、バスのヘッドライトで野兎を認めたことがある。同じく院生時代に絹谷先生に連れられて「千里」を見学、視察したこともある。絹谷さんが、眼前に見える住棟を指して、「住棟間間隔は何メートルあるか?」の見た目で推測する「テスト」もあったのではないか。1987年の「国際居住年」には、イギリス人も招いて「千里」でシンポジュームを開き、今日に続く「高齢化」の問題点なども議論した記憶がある。阪大の大久保先生が研究者側の代表だったと記憶する。放送大学で、「千里」を取り上げたこともある。(本間博文、西村一朗共著『住居学概論』、1994年3月刊)

懐かしい「思い出」が脳裏に現れた1日でもあった。

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