西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

バンドン会議55周年

2010-04-16 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
バンドン会議55周年といっても「はー?」と思う世代が多くなったのではないか。55周年というから1955年のことだ。昭和で言うと昭和30年である。

私は、中学2年生(金沢市立野田中学)であった。新聞ニュースでかすかに記憶がある。バンドンとはインドネシアの都市の名前で、今朝、今年はバンドン会議55周年に当たる、とラジオで寺島実郎さんが言っていた。(旧宗国のオランダの人たちに「インドネシアのパリ」と呼ばれていた高原都市、一度行ってみたいものだ)

当時は、終戦後10年経っていて、日本はこの辺りから後で言われる「高度経済成長」に入っていくのであり、次の年の『経済白書』に亡くなられた都留重人さんは「もはや戦後ではない」と書かれたのだ。

世界をみると、1949年に中華人民共和国が誕生し、1950年に朝鮮戦争が起こり、1951年に日本はサンフランシスコ講和会議を経て「日米安保条約」を結び、アメリカの「風下」で現在まで来ている。

そういう背景のもとに、インドネシアのスカルノ大統領、インドのネルー首相(当時はネール首相と言っていた)、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領など歴史上のビッグネームがバンドンで(アメリカ、ソ連を睨んで)会議(アジア・アフリカ会議)を開いたのだ。

で、日本にも招待状が来たが、当時は、何と鳩山(一郎)内閣、外相は重光 葵氏、この二人はアメリカに「遠慮」して出席せず、替わりに経済関係の閣僚だった高崎達之介さんが出席。この折、高崎ー周恩来の「秘密会議」が行われ、後の中国との国交なしのLT(Tは高崎)貿易につながり、やがては日中国交回復の伏線になったのだ。

寺島さんは、現在の鳩山政権も「東アジア共同体」と言っているが、今や「ASEAN」に注目という。バンドン会議55周年記念日は明後日の4月18日である。

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