西村一朗の地域居住談義

住居・住環境の工夫や課題そして興味あることの談義

1951年4月11日は何の日?

2013-04-14 | 歴史とのつながり、歴史の面白さ
別の地域SNSに少し前に投稿より。(より広い人に知らせたいため)最近月一位でこちらに投稿、にも関わらず毎日100人以上に見ていただいている。有難い。

1951年4月11日は、(昭和26年で)僕は金沢市立十一屋町小学校の4年生になったばかりである。(計算してみると・・・)

で、「今日は何の日?」でラジオが言っていた。その一つが耳に残った。

アメリカのトルーマン大統領が当時の「在日米軍」最高司令官・マッカーサー元帥を朝鮮戦争での方針対立で解任した日」とのことだ。

そうだったんだ、と感慨深い。当時の僕のクラスの担任は若い未婚の20歳台の吉村不二子先生、毎日、「今朝の新聞で気になった記事は?」という質問をしておられた。

忘れてしまったが、恐らく次の登校日に、マッカーサー元帥が解任され(リッジウエー中将が任命され)たということがクラスで話題になっていただろう。

今から思うと、吉村先生は、NIE(Newspaper in Education)を実践しておられたのだ。これで、朝鮮戦争が始まったとか、鉄のカーテンだとか、スターリンが死んだとか、ご飯を食べると頭がわるくなる(だからパンを食べなさいー今から考えるとアメリカが余った小麦を売り込まんがための宣伝!?)とかが頭に残った。

で、マッカーサー解任の主な理由は「朝鮮戦争で(中国義勇軍の参戦などで)不利を一気に挽回するため原爆を使うという提案をしたこと」であったと後に分かった。これをみると、マッカーサーが提案しトルーマン大統領が拒否したことになっている。

ところが、つい最近「もうひとつのアメリカ史」(BSテレビ)を見たら、1951年頃とは反対に「1945年に広島に原爆を投下した時には、トルーマンが推進決定し、マッカーサーが原爆投下なくとも日本は降伏する、と反対した」とのことだ。

当時1945年、7人いた将軍、提督のうち6人が反対したという。マッカーサーや後の大統領アイゼンハワーも反対したようだ。副大統領になりそこね(従ってルーズベルト大統領の後任になりそこね)たヘンリー・A・ウオレスも反対した。

歴史は、色々な読み方をされるのだろうか。とにかくこの日、その前後のことは頭に強く残った。

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