2014年8月17日(日)日航奈良ホテル・飛天の間で奈良女子大卒後30周年記念同窓会があり、参加した。僕は、奈良女子大に1974年(昭和49年)4月に助教授で京大助手より赴任し、2005年(平成17年)3月に定年で退職した。都合31年間、勤めたことになる。卒後30周年の同窓会を三学部(文学部、理学部、家政学部ー家政学部は1993年10月より生活環境学部、現在に至る)全体、すなわち全学部で共同で行っている大学は、殆どないのではと思う。これは、何時から行っているのか、定かではないが、僕自身は、定年で退職する2005年(平成17年)より今年まで10回連続参加(皆出席)している。
奈良女子大の定年は、63歳だったので、その時教えた卒業生が30周年記念同窓会をする時には、教員は63に30を足して93歳になる計算だが、そこまで生き延びる人は少ない。今年93歳で参加されたのは文学部(哲学)の井上公正先生お一人だった。先生はめでたく奈良女子大の同窓会30年会を御卒業である。あやかりたいものと、ひそかに思うが・・・。
この30周年記念の合同同窓会が出来るのは、彼女らは奈良女子大卒後30年だから恐らく齢は52歳~54歳位であり、家庭的にも社会的にも安定し、余裕が出てきた時に当たっているからではないだろうか。僕たち教員だった者にとっても、「社会の中堅、人生折り返し点位の人達(特に女性)」が、どんな考えを持ち、どういう生きざまをしてきたのか、今後、どのように人生を展開しようとしているのか、聞きたくて期待と関心をもって毎年参加させてもらっている。
と同時に、諸先生方の元気な姿、謦咳に接しられるのも良い、と思っている。但し卒業生は、毎年52~54歳位であるが、参加される先生方は年々齢をとっていくのが特徴だ。(勿論、奈良女で30年経った若い先生方も入って来られている。理学部の何人かの先生や生活環境学部の瀬渡章子先生のように「現役教員」で参加の先生方もおられる。)
で、今回の参加は卒業生は200人を越えて204人、先生方は50人ということだった。先生方の大半は識別できるが、上述したように「若い」先生方には面識のない方々も出始めている。
会の持ち方は毎年の積み重ね(「見習い」で来年の予定幹事も二人参加)で、定型化しつつあるが、「まあ改良の余地」もあるかもしれない。「恩師代表」で挨拶、話をされた野口誠之(せいし)さん(前学長、物理学)も言っていたが、自己紹介されつつ、「私(野口さん)は、「恩師の代表でも何でもない」、幹事のたっての要望で出てきているに過ぎない。」その幹事さんの手紙には、「人生の後半戦のための有意義なお話を伺いたく・・・」みたいな言いまわしがあったが、私は人生全般の先達でも達人でもない。むしろ君たちから様々な人生の取り組みの苦労話などを聞きたいものだ・・・」といったお話があったが、同感である。
まあ、それは、10人位の丸テーブルで、それぞれやってください、ということかな、とも思うが、そうであれば、テーブルの幹事、世話役が何か「司会役」をやって簡単な自己紹介を兼ねて順に小話(テーブルスピーチ)などしたらどうだろう、と思う。僕にとっては、たまたま1984年卒の学生がいる時はイギリスに文部省在外研究員で1982年から1983年にかけて出かけていた年にもあたり、卒業研究指導にもタッチしなかったので、その頃学生だった卒業生の顔と名前が大部分一致しないから「自己紹介」があったらよかった、と思う。まあ何人かは席に寄って来ていただいて自己紹介があって良かった。
このブログをを見た来年の幹事、世話役の方々は、出来れば考えてみてください。まあ皆さんが主役だから、私は全体の聞き役に徹しても良いが、聞かれるなら「小話」もしてみたい感じです。
「そんなことやったらうるさくて仕方がない」と言われるかもしれないが、実際そうでなくとも結構「うるさい」し、」本来、丸テーブルでは、真向いの人に声が聞こえないと意味がないのだ。そうでないと話題が共有できないのである。うるさいのは仕方がないと思う。まあ、今までの日本人は、隣などとは小声で喋るが、「向こうまで聞こえる」風には喋っていない。一つ「脱皮」したらどうだろうか。
全体の奈良女子大学は、今までどうなって、今後どうなるだろうか?については、今岡春樹学長(生活環境学部出身、アパレル工学専攻)が、自己紹介も兼ね手短にまとめて報告された。今岡さんとも結構長い付き合いと思っていたが、あと5年しないと、この会への「参加資格」はないが・・・、と言っておられた。「少子高齢化が大学の進路に大きな影響をもっていること、そのなかでも色々工夫して改組などをしている、今年からの改組の概要を話された。(関心のあるかたは奈良女のホームページへどうぞ)
卒業生を代表して文学部英語・英米文学科卒の大倉玲子さん(旧姓、加納さん)がドイツに住んでおられる経験に基づいて話をされた。やはり国際的にもまれると話も面白く、うまくなるのかな、と思った。
順があちこち飛ぶが、乾杯の音頭を田村 俶先生(元学長、仏文専攻)が「たおやかになってください」と短く挨拶された。そういえば、今回の教員側の話、乾杯の音頭は現学長、前学長、元学長の学長シリーズであった。又そういえば、学長たちの出身学部が、生活環境学部、理学部、文学部と、幹事も気を使っておるわい、と思った。
午後13時から16時にいたる3時間のパーティも、一寸長かったが料理もおいしくて満足、皆さん今後も元気で進んでください。 「ご機嫌よう、さようなら!」
奈良女子大の定年は、63歳だったので、その時教えた卒業生が30周年記念同窓会をする時には、教員は63に30を足して93歳になる計算だが、そこまで生き延びる人は少ない。今年93歳で参加されたのは文学部(哲学)の井上公正先生お一人だった。先生はめでたく奈良女子大の同窓会30年会を御卒業である。あやかりたいものと、ひそかに思うが・・・。
この30周年記念の合同同窓会が出来るのは、彼女らは奈良女子大卒後30年だから恐らく齢は52歳~54歳位であり、家庭的にも社会的にも安定し、余裕が出てきた時に当たっているからではないだろうか。僕たち教員だった者にとっても、「社会の中堅、人生折り返し点位の人達(特に女性)」が、どんな考えを持ち、どういう生きざまをしてきたのか、今後、どのように人生を展開しようとしているのか、聞きたくて期待と関心をもって毎年参加させてもらっている。
と同時に、諸先生方の元気な姿、謦咳に接しられるのも良い、と思っている。但し卒業生は、毎年52~54歳位であるが、参加される先生方は年々齢をとっていくのが特徴だ。(勿論、奈良女で30年経った若い先生方も入って来られている。理学部の何人かの先生や生活環境学部の瀬渡章子先生のように「現役教員」で参加の先生方もおられる。)
で、今回の参加は卒業生は200人を越えて204人、先生方は50人ということだった。先生方の大半は識別できるが、上述したように「若い」先生方には面識のない方々も出始めている。
会の持ち方は毎年の積み重ね(「見習い」で来年の予定幹事も二人参加)で、定型化しつつあるが、「まあ改良の余地」もあるかもしれない。「恩師代表」で挨拶、話をされた野口誠之(せいし)さん(前学長、物理学)も言っていたが、自己紹介されつつ、「私(野口さん)は、「恩師の代表でも何でもない」、幹事のたっての要望で出てきているに過ぎない。」その幹事さんの手紙には、「人生の後半戦のための有意義なお話を伺いたく・・・」みたいな言いまわしがあったが、私は人生全般の先達でも達人でもない。むしろ君たちから様々な人生の取り組みの苦労話などを聞きたいものだ・・・」といったお話があったが、同感である。
まあ、それは、10人位の丸テーブルで、それぞれやってください、ということかな、とも思うが、そうであれば、テーブルの幹事、世話役が何か「司会役」をやって簡単な自己紹介を兼ねて順に小話(テーブルスピーチ)などしたらどうだろう、と思う。僕にとっては、たまたま1984年卒の学生がいる時はイギリスに文部省在外研究員で1982年から1983年にかけて出かけていた年にもあたり、卒業研究指導にもタッチしなかったので、その頃学生だった卒業生の顔と名前が大部分一致しないから「自己紹介」があったらよかった、と思う。まあ何人かは席に寄って来ていただいて自己紹介があって良かった。
このブログをを見た来年の幹事、世話役の方々は、出来れば考えてみてください。まあ皆さんが主役だから、私は全体の聞き役に徹しても良いが、聞かれるなら「小話」もしてみたい感じです。
「そんなことやったらうるさくて仕方がない」と言われるかもしれないが、実際そうでなくとも結構「うるさい」し、」本来、丸テーブルでは、真向いの人に声が聞こえないと意味がないのだ。そうでないと話題が共有できないのである。うるさいのは仕方がないと思う。まあ、今までの日本人は、隣などとは小声で喋るが、「向こうまで聞こえる」風には喋っていない。一つ「脱皮」したらどうだろうか。
全体の奈良女子大学は、今までどうなって、今後どうなるだろうか?については、今岡春樹学長(生活環境学部出身、アパレル工学専攻)が、自己紹介も兼ね手短にまとめて報告された。今岡さんとも結構長い付き合いと思っていたが、あと5年しないと、この会への「参加資格」はないが・・・、と言っておられた。「少子高齢化が大学の進路に大きな影響をもっていること、そのなかでも色々工夫して改組などをしている、今年からの改組の概要を話された。(関心のあるかたは奈良女のホームページへどうぞ)
卒業生を代表して文学部英語・英米文学科卒の大倉玲子さん(旧姓、加納さん)がドイツに住んでおられる経験に基づいて話をされた。やはり国際的にもまれると話も面白く、うまくなるのかな、と思った。
順があちこち飛ぶが、乾杯の音頭を田村 俶先生(元学長、仏文専攻)が「たおやかになってください」と短く挨拶された。そういえば、今回の教員側の話、乾杯の音頭は現学長、前学長、元学長の学長シリーズであった。又そういえば、学長たちの出身学部が、生活環境学部、理学部、文学部と、幹事も気を使っておるわい、と思った。
午後13時から16時にいたる3時間のパーティも、一寸長かったが料理もおいしくて満足、皆さん今後も元気で進んでください。 「ご機嫌よう、さようなら!」
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